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 この世界に来た私たちを待っていたのは、中途半端に苛酷な現実だった。
 数十年だか振りにやってきた異世界の人間である私と美香ちゃんは、次元を超えてきた衝撃のせいか半死状態だったところを手厚い看護を受けて、なんとか生き延びる事が出来た。
 私と美香ちゃんは、保護施設というのか、養護施設である一軒の屋敷に暮す事になった。取り敢えず、安全に眠る場所と食事は確保されたわけだ。その上、この国で生きていくのに必要最低限の教育も受けられることになった。氏素性も分からない者に、本当に有り難い話だ。
 神の御遣いとも言われているが、私たち以前にこっちに来た人たちがそれなりに善い行いをしたせいもあるらしい。それぞれ、医療技術の発展やら、農地開拓やら、教育の裾野を広げたりとか。そのお陰あって、私たちも助けて貰えたようだ。逆にろくでもない事されていたら、今頃、死んでいただろう。でも、その分、神様の御遣いとしての役割も期待されていたりもする。……プレッシャーだ。
 それにしても、この私達の暮していた文明よりも遥か以前のこの世界で、元の世界に帰る方策がないという現実を突きつけられた時は、流石にショックだった。しかも、私の最後の記憶からして、帰ったところで、家や家族さえも失われているに違いなかった。泣きはしなかったが、途方に暮れた。
 美香ちゃんは、ずっと、家族や友人、付合ってたカレのことを心配してぐずぐずと泣いていたところをみると、その事は覚えてないのか見ていなかったらしい。あんまり、毎日、泣き続けるので、私が見たことは伏せておく事にした。
 そうしたら、いつしか泣かなくなって、「諦めなければ、絶対、いつか帰れるよ。みんなにも会える」、と自分を励ますように口にするようになった。だから、余計に話せなくなった。
 兎に角、先行きどうであれ、この世界で生きていこうという気にはなったようである。勿論、私にもほかの選択の余地はなかった。身体も回復したところで、まずは、言葉を覚えることから始った。
 日常会話から始って、カタコトながら喋れるようになるまで、三ヶ月間ぐらいかかった。美香ちゃんは、もっと早くて、一ヶ月半ぐらいだったと思う。
 やっぱり、若い子は覚えが早くて、と、いうもんでもないらしい。
 言葉を最も早く覚えるコツ。それは、その国の人間に親しい人物を作ることだと言われる。
 彼女はそれを実践した。しかも、お相手は、なんと、この国の王子様である……おそるべし、女子高生。
 おそらく、真面目な学生でもあったのだろう彼女は、カラーもなにもしていない、日本人でも珍しい真っ黒なまっすぐのサラサラヘアーと、真っ黒な瞳の持ち主だった。
 容姿は私からみて、こう言っちゃあなんだが、子豚ちゃんと言うか、並み程度でしかない。ベタベタの彫りの浅い日本人顔で背も百五十半ばぐらい。性格は悪くはない、と思う。ちょい甘ったれのところがあるが、スレた感じはない。所詮、親の庇護下にいた女子高校生で、まだ、こどもだ。仕方ないだろう。もう少し経てば、少しは奇麗になるかもしれない。
 と、たかを括っていたら、黒髪に黒い瞳はこちらでは聖なる女性の証となる色らしい。なんでも、偉業をなしたという神殿巫女の外見がその色だったらしく、しかも、異世界からやってきた……で、王子様の目に留まる切っ掛けとなった。見初められた、言うのか。
 王子様、ジェシュリア・エウロス・ガルシア・デ・ファーデルシア。通称、ジェシー王子、二十三才。独身。花嫁募集中。
 それを、美香ちゃん本人の口から聞いた時、密かに、やってらんねぇなぁ、と思った。
 ……カレ氏のイサオくんだっけ。あれは、もういいのか?
 ちょっとした意地悪で、そう訊ねてみたら、本人もそれは気にしていたらしく、揺れる乙女心というのを延々と聞かされて、逆に閉口した。
 それでも、やっぱり王子様、お姫様という身分は魅力的らしい。付随してくるものも含めて。私も少しはご相伴に預かったりもした。お土産のお菓子、ひとつ、ふたつ程度。そして、言葉の上達に比例して、ふたりは急速に親密な仲となったようである。
 小さくて頼りなさそうな上に、甘え上手というのか、そういう性格も良かったんだろう。王子様の庇護を受けて、美香ちゃんは巫女の修業をすると言う理由で、お城の中にある神殿にあがることになった。
 この世界に来て、半年経った頃のことだ。
「一緒についてきて欲しいの」
 美香ちゃんは、私に言った。心細いから、と。
 私は考えた。考えた上で断った。
 お城の中というのも見てみたい気はあったが、そこで私のする事は何もない。美香ちゃんは巫女だか、お姫さまだかになれば良いが、彼女のお守りをして暮すなんて事はご免である。自活する道を考えたい、というのは一応、社会人だった者として当然の考えだった。
「たまには遊びに行くから」
 寂しいと、べそをかく美香ちゃんに私は言った。なんとか、私の言い分を理解してもらって、私たちは別々の道を踏み出す事となった。
 と、言いつつ。
 正直、野良仕事は都会育ちの私にはきつい。というか、ここの生活自体がきつい。お伽噺のような世界ではあるが、妖精や良い魔法使いが現れて、望むものが与えられるわけではない。当り前に生活はしていかなければならない。
 酒と煙草と徹夜に塗れた生活を送っていた私には、嗜み程度の酒量と禁煙、太陽が出ると共に起きて沈むと共に寝るという健康的な生活は、当初より違和感があるなんてもんじゃなかった。地獄に近かった。でも、それも今はすっかり当り前になりつつある……人間、慣れって怖い。
 私に出来ることは限られている。だが、需要と供給というものがこの世にはある。選り好みが出来る立場にはない。まずは、働き手を必要としている場所を紹介して貰い、手伝いをさせて貰いながら、今後、身を立てる方策を捜すことになった。まあ、その内、私にも出来ることが見付かるかもしれない。
 でも、取り敢えずは。
「ごくろうさん。今日はもういいよ。よく頑張ったね」
「ふあい、ありがとうございます」
「まあ、明日もまた頼むよ」
「お疲れさまです」
 私はマリシアさんに一礼して、仮の家である保護施設への帰途につく。
 ……生きていくのも大変だ。
 茜色から濃い群青色に変わりつつある空を見上げて、溜息を吐いた。




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