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 私の暮す保護施設の屋敷は、本来の目的は養護院であったりするので、この国の親を亡くしたこどもたちも一緒になって暮している。
「あ、キャスだぁ。キャス、おかえりーっ!」
「ただいまぁ」
「キャスぅ、あそぼーっ」
「ああ、今まだ、疲れているから、また後でね」
「ご本読んでぇ」
「寝る前に読んであげるから、ちょっと休ませて」
 玄関ホールに入るなり、走ってきて纏わりつくちびっ子どもを躱しながら、食堂へと向かう。木と漆喰壁の狭い廊下を歩いていると、向こうから施設責任者のミシェリアさんと行き合った。戸締まりの点検中であるらしい。
「お帰りなさい、キャス。今日はどうでしたか」
「ただいま、ミシェリアさん。畑仕事は、流石に疲れました」
 首を竦めて答えると、ミシェリアさんは、穏やかな紫色の瞳の目尻の皴を濃くして微笑んだ。
「慣れないことをしているですから、仕方ないわね。それでも、徐々に慣れていきますよ」
「だといいんですが」
「今日はゆっくりとお休みなさい」
「有難うございます」
 軽く礼を言って別れる。
 ミシェリアさんは、元はこの国の神殿に仕える巫女のひとりであったそうだ。首席ではないが、まあ、そこそこ重要なポジションにはいたらしい。地球で言うところの、シスターみたいなものだ。
 それが、ある日、もっと実質的に人の為になる事をしたいと思い立ち、野に下ってこの保護施設を開いた。その経緯から、国からの補助なんかもあって、王子様なんぞも気紛れに視察に出向いても来られたってわけ。
 尤も、美香ちゃんがいなくなってから、王子様もトンとご無沙汰だが。男はそういうところが極端だ。
「あ、キャス、おかえりなさい」
 食堂に入ると、ミシェリアさんを手伝ってこどもたちの面倒をみているルーディの笑顔に迎えられた。
 ルーディはまだ二十二才と若いが、しっかりとした娘さんで、こどもたちも懐いている。明るい茶色の髪にハシバミ色の瞳が奇麗で、ちょっとそばかすが浮いているところが可愛い。性格も明るく、おおらか。気楽に話せる相手として、妹みたいな、年下の友達みたいな付合い方をさせてもらっている。私にとって、癒しの存在だ。
「ただいまぁ。つっかれたあっ。お腹空いたよう」
「お疲れさま。今、食事、持ってきてあげる」
「ありがと。こどもたちは?」
「もう、すませたわよ。キャスがいないから、もう大変だった」
 どっかり席に腰を下ろして、質素な木の長机に突っ伏した。……ああ、ほんと疲れた。二の腕がパンパンに張っている。続けてりゃあ、弛みもなくなるだろうけれど、それまでが地獄だなぁ……
「ほんと、疲れたみたいね」
 食事を持ってきてくれたルーディがくすくすと笑いながら言った。
「疲れましたともさ。肉体労働は向かないんだよう」
 こんな泣き言が言えるのも、ルーディ相手だけだ。
「前のお仕事とは、大分、違うの? ええと、広告だっけ」
「ぜんぜん違うよ。前は人と会って話したり、考えたりするのが主だったから」
「ふうん、それでお金が稼げるっていうんだから、不思議な世界よねぇ」
「まあ、それだけじゃないんだけれどね。いただきます」
 私は、パンとスープ、それにほん少しのハムとチーズの食事を前に手を合わせる。決して豪華ではないが、不味くはない。ああ、でも、ラーメン食べたい……救いは、一杯のワインだ。特産だけあって、これは文句なく美味しい。本音は、冷えたビールの方が良いけれどね。
 私の日本での職場は、広告代理店で企画担当だった。
 と言うと、芸能界に近い華やかな職場を思い浮かべる人もいるが、弱小企業であったりするのでとっても地味で、受ける仕事も、企業のマニュアルのビデオパッケージとか新聞広告とか、コマーシャルなんかでも低予算の地方CMとかそんなのばかりで、いつ潰れてもおかしくないところだった。
 そして、実際、潰れた。長く続いた不況の影響と、クソったれの大手広告代理店の無茶な営業に潰された。畜生! 他人の縄張り《シマ》荒らすなっ! つい、この間まで、『私たち、そんなお安いお仕事なんて引き受けられませんわ』みたいな顔してたくせに、不況になった途端、いい顔して頭下げやがって!
 あの日は、私が無職となった初日だったのだ。途方に暮れながらの職安の手続きからの帰り道、あの空に行き当たった。結局、何処にいようが求職中の身に変わりはなかった、というわけだ。
「私としては、キャスには、このままここにずっといて欲しいけれど」ルーディは、私の正面の席に座ると言った。「こどもたちも懐いているし。でも、無理なのよね」
「生産性のない人間は置いておけない、って理屈は分かるから」
 受けた恩は、返さなければならない。
 国が異邦人の私をこうして保護して置いてくれているのも、将来的に納める税金やなんらかの利益を見越してのことだ。或いは、そう出来る人間を産むなりさせる為に。その中で天の御遣いとやらの役割を果たすことになるだろう、って事だそうだ。ほんと、普通の人間になに期待してんだよ。
「こどもたちが懐いているのも、わたしが母親の年に近いからなんだろうしね」
 私は日本ではこどもを産むどころか、未婚だった。最後に付合っていたオトコとも、別れて一年以上経つ。結婚願望がなかったわけではないが、婚カツなんぞしている余裕も体力もなく、負け犬路線まっしぐらだった。そんな私はこどもとの接し方など分からないし、別に好きなわけでも嫌いなわけでもない。だが、母恋しい年齢のちびっ子達には、そんな私でも心の足しとしたいのだろう。
 ここにいるこどもたちの親は、一年前まであった戦争で亡くなった者が殆どだ。
 三年間続いた侵略戦争で、働き盛りであった者たちの命が多く失われた。兵や騎士だけでなく、鋤や鍬しか持ったことのない民間人にも巻込まれた者は多くいたし、志願して戦いに加わった者も多くいたと聞いた。
 その結果、勝つ事はなかったにしろ、負けたわけでもなく、国が滅びることはなかったわけだが、国を支える人手が減ったことに違いはなかった。
 私はそんな時に得られた貴重な働き手であり、親を亡くした子の母親の代わりにされている。
 それが、今の私のポジション。
 正直、真面目に考えれば考えるほど、気が滅入る話だ。でも、やれる事をやるしかない、って事なんだろう。
「でも、結局、ミカは巫女さまでお城暮らしで、安泰なわけでしょ。なんか、不公平な感じ。キャスだって、本当は黒髪なんでしょ。今はそんな色だけれど」
 少しだけむくれた顔で、ルーディが私の髪を見ながら言った。
 自然と、髪があった場所に手が動いた。
「ああ、まあ、そうだったけれど、今は違うから」
 今の私は、こちらの世界では女では有り得ないショートヘアになっている。最初は肩まであったものを、襟足短く切った。お母さんを求めるちびっ子たちには不評だが、致し方ない。伸ばしている方がみっともないし、自分でも見て溜らないものがあったので切った。
「まあ、それにしたって、一緒に来てって言うの断ったの私だし。それに、お城暮らしはお城暮らしで、別の苦労があると思うよ。幾ら、王子様がついていたとしてもさ」
 おそらく、だが。
 私の勝手な想像でしかないが、異邦人を容易く受入れられるほど、国家の権力中枢は甘くはないと思ってしまうのだ。いくら王様が人道主義者とは言え、周囲の者たちもそうであるとは限らない。だが、そんな事を言って美香ちゃんを引き留める権利は私にはないし、言ったところで聞きはしなかったろう。あの年頃の女の子の恋愛を阻む理屈は、敵の言葉でしかない。
 いらないところで恨まれるのはご免だし、そうする義理は私にはない。冷たいと言われるかもしれないが、私も自分自身のことで手一杯なのだ。
 私の基本スタンスは、『ことなかれ主義』だ。これは、変わらない。
「そうかもしれないけれど……ああ、ミカに会いにいくのって明後日だっけ」
「うん、そう」
 前からの約束で、巫女としてのお務めが休みになるその日にお城へ会いに行く事になっていた。美香ちゃんの方が出られれば良いのだが、基本的に巫女さまは外に出られないらしい。
「今日、こども達がミカへのプレゼントを用意していたから、明日、渡すわね。忘れないように持っていってあげて」
「うん、分かった。ちゃんと持っていく」
 ちびっ子たちも『ミカお姉ちゃん』に会いたいのだろうが、私が会うのでさえ特例なのだから仕方がない。黒髪の巫女さまは、それだけ特別な存在ということだ。それに、やんちゃなちびっ子どもを引き連れていくことなど、私には無理だった。きっと、何かをやらかすに違いない。
「ごちそうさまでした。美味しかった」
 私は空になった皿に手を合わせると、食器を片付けるべく席を立った。
「私もそろそろ、ちびちゃんたちを寝かしつけなきゃね」
「これ片付けたら、私も行くわ。ミュスカに本を読んであげるって言っちゃったし」
「そう。じゃあ、先に行ってるわね」
「うん」
 ルーディを見送って、私は調理場へと移動した。




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