- 14 -

 五日目。旅も行程の半分を消化したことになる。
 あれから、なんとなくだが、和やかな雰囲気になった。話しかけても、以前のような素っ気無さはない。お尻の痛さは相変わらずだが、それさえ抜きにすれば、至極、快適な旅だ。
「天候が崩れそうだ。先を急ぐぞ」
 空をみてのエスクラシオ殿下の言葉に、足並み揃えて速度が増した。

 山に近付いたせいもあるのだろう。雨になった。
 しかし、先んじて急いだお陰あって、大した降りにならないうちに、山間部の集落にある宿に着くことが出来た。
 田舎ではあるが、ファーデルシアとランデルバイアを結ぶ主要の街道沿いにある為に、それなりに利用客がいるようだ。ツインの部屋が二つしか取れなかった。
「別に雑魚寝でも、私は気にしませんよ」
 仕事での経験上、別に床の上でも寝れるし。徹夜は得意だし。
 そう言ったら、殿下に溜息を吐かれた。
「あ、そちらが気にされるんでしたら、私、別に馬車の中で寝ても平気です」
 と言ったら、もんのすごい目付きで睨まれた。こえぇっ!
 で、話合いの結果、三人で一部屋ずつを使うことになった。公平に。
 最初は、私ひとりで一部屋を使わせようとしたので、それは流石に悪くて断った。
「みなさんの方が疲れているんですから、ベッドで休むべきです。そんなことしたら、私ひとりで勝手に馬車へ移動しますよ」
 強情に言い張って、折れさせた。その代わりに、ベッドで寝ることを承知させられた。女を床の上で寝かせて自分たちがベッドの上で休むなんて事は、許されるものではないらしい。まあ、それは分かるので、妥協した。
 私と同室なのは、エスクラシオ殿下とランディさん。ランディさんが床の上。身分上、そうなるだろうな、と納得できるので、それについては何も言わなかった。
 でも。
 この宿ではひとつスペシャルがあった。
 なんと、近くの岩間に温泉が湧いているそうだ。宿のご主人が教えてくれた。
 うわお! 温泉! なんて甘美な響きだ。いやあ……密かに気になってたんですよ。臭いがねぇ……頭なんか、相当、臭いのではないか、と。顔もベタベタだし。
 お風呂というものが未発達なこの世界。風呂は、トイレに入るのと同程度の意識であったりする。施設でも湯浴みというと、三日に一度、大きな盥にお湯を張って、せいぜい石鹸で身体を洗う程度だった。
 気候がさらりとして湿度がないので、毎日入るほどの必要性を感じないのだろう。その辺りも、欧米諸国と似ている。今でこそ、日本の風呂文化が世界に伝えられて、ジャパニーズバスタブがセレブの間では人気だそうだけれど。
 それはさておき、実際、旅に出てからというもの、その湯浴みさえ出来ない。騎士さんたちは、私の見ていないところで水浴びなんかしているみたいだが、私はせいぜい、服を着たまま水で絞ったタオルで身体を拭く程度しかしていない。
 まあ、お風呂に入らなくたって、死にはしないんだけれどさ。日本人として辛いよ。臭うし。やはり、あの気持ち良さは、捨てがたい。
「馬を休ませるのにいいですよ」
 おい、おっちゃん!
「人は入れないんですか」
「人ですか? いや、入れないことはないでしょうが、今までそういったお客はいらっしゃいませんし……」
「入りたいんですけれど、駄目ですか」
「駄目とは言いませんけれど、いや、でも、生憎、外は雨ですし、屋根もなにもないですよ」
「かまいません」
 ぜってー、入る! 死んでも入るっ! わあいっ! 露天風呂だぁっ!
「……というわけで、誰か見張りについてきて貰えないでしょうか」
 私の申し出に、騎士さんたちは顔を見合わせ、それぞれに複雑な表情をみせた。
「駄目ですか」
 ちょっと上目遣いを使ってみた。
 長い、長い、殿下の溜息があった。
 相当、呆れているな。でも、あの気持ち良さを知らないからそんな顔が出来るんだよ。
「私の国では、毎日、お風呂に入るのが当り前の事だったんです。温泉は、文化のひとつでした。天然の温泉は人気の観光地で、わざわざ入りに遠くから出掛けたりもします」
「たかだか湯に浸かるために?」
 アストリアスさんが、不可解そうに言った。
「はい。見知らぬ者同士、一緒の温泉に入って交流を深めたりもしました」
 風呂で悟りを開いた仏さんだっているんだぞ。
 それから延々と、病気に効くことやらいろいろと説明をして、やっと、カリエスさんの見張り付きで入りに行く許可を貰えた。
 温泉は宿から歩いて十分のところにあったが、予想以上に気持ちが良かった。この世界に来て、いちばん幸せだと感じた時だった。
 はあ、まったり……こんなまったり感は、本当に久し振り。うう、極楽じゃ。
 溜まりに溜った旅の汚れと垢を落し、頭まで浸かってがしがしとこすったら、さっぱりとした。
 岩風呂で温度はすこし高めだったが、人間が入るにも十分な深さと広さがあった。湯の質はさらりとして透明。ちょっと整備して告知すれば、目玉スポットになること間違いなしなのになぁ……惜しいなぁ。
 小雨の降る中、湯に浸かりながら、広告にするとしたらどんな風が良いか考えた。キャッチコピーとかチラシのデザインとか。それが、とても楽しかった。
 でも、本当に、この世界では、雨の中、露天風呂に浸かろうなどという物好きは私しかいないみたいだ。カリエスさんについて来て貰うまでもなく、誰も来なかった。
 満足したところで湯から上がり、服を着る間も、カリエスさんは岩場の向こうでこちらに背を向けて待っていた。真面目そうな人だけあって、覗きはしなかったみたいだ。
「有難う御座いました」
 そうお礼を言ったら、少し赤い顔をして、いや、と短く答えただけだった。純情というわけでもないのだろうが、すこしは想像したか?
「カリエスさんも入ればいいのに。気持ち良いですよ。良かったら、私、見張りしますし」
「……遠慮しておこう」
「勿体ないなぁ。じゃあ、戻りましょうか」
「髪が濡れているが、いいのか」
「いいですよう。身体はじゅうぶんに暖まっていますし、宿についたら拭きます」
 湯上がりほこほこで、全身からまだ湯気が立ち昇っていそうなぐらいだ。
「……そうか」
 私は上機嫌で、カリエスさんと一緒に宿に帰った。

 温泉に入った後は、やっぱ、ビールでしょう。冷えた白ワインも良いかもしれないけれど、私はビール派だ。
 髪を乾かした後で、宿の一階の食堂に晩ごはんを食べに行った。
 みんな先に行っていて、カリエスさんの他は食事をすませていたが、ワイン片手に私を待っていてくれた。
「すみませんでした。有難うございました」
 私は頭を下げて、みなさんにお礼を言った。そして、
「おじさん、ビールちょうだい」
 途端に、グレリオくんが噎せた。
「……飲めるのか」
 殿下たちのリアクションは、どうも私には違和感がある。些細なことに反応するみたいだ。
「はい。こちらの方はあまり飲まれないんですか」
「そうではないけれど、レディでビールを好まれる方はそうそういないね」
 とは、アストリアスさん。
「へえ、そうなんですか。でも、私はレディなんて良いもんじゃないですし」
 そう言っている間に、ドン、と陶器のジョッキが前に置かれた。ナマチューだあ! お久し振り、会いたかったよう!
「他に注文は」
「あー、何かお薦めありますか」
「山鳥のパイシチューが美味いよ」
「じゃあ、それで」
 注文をし終って、早速、ジョッキの半分ぐらいを一気に飲み干した。美味いっ!
「随分といい飲みっぷりだな」
 呆れたというより感心したように、カリエスさんが呟いた。
「はあ、咽喉が渇いていたもんで。あ、ひょっとして、こういうのがこちらでは、はしたないとか言われるんでしょうか」
「そこまでは言わないけれど、感心されない事は確かですよ。特に高位の方々にはね」
 そうランディさんが答える。
「ああ、気を悪くさせてごめんなさい。これまでは当り前で、そういう事を気にしたことはなかったもんですから。これからは、気をつけます」
「いや、気にすることはない。少々、意外なだけだ」
 それこそ意外にも、エスクラシオ殿下が言った。
「意外?」
「いや、違うな。仮にも神のお遣わしになった巫女に連なる者が、我々の価値観から外れた行為を是とするのに驚かされるのは、当り前の事なのだろう」
 皮肉でもないらしく言われた。
 ……んな、大げさな。と、思ったところで、はた、と気が付いた。
「あの、お訊ねしたいのですが、ランデルバイアでは、私の存在というのはどのように受け止められているのでしょうか」
「どのように、とは」
「最初に望まれたのは、黒髪で黒い瞳の巫女でしたよね。その代わりに私が行くことになったわけですが、それをあなた方は受入れた。そんな氏素性も分からない、何者か分からない者を国の特使として迎え入れる事など、普通は有り得ません。そのような申し出は馬鹿げていると突っぱねてもおかしくないと思いますが、何故なんですか」
 ディオさま、とアストリアスさんが囁くように言った。すると、私に向けて、待て、と言うように手が軽くあげられた。
 ディオ? 名前?
 前にパイシチューが置かれた。
「食べるといい。その話は今、ここでは出来ない」
 エスクラシオ殿下は言った。つまり、部屋でなら話す、という事か。
「分かりました。では、失礼して。いただきます」
 手を合わせる先から、とても厭な予感がした。
 シチューは美味しかったが、温泉に入った後の気分の良さは急速に減退していた。




 << back  index  next >>





inserted by FC2 system