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 本によると、黒髪、黒い瞳の巫女の伝説はローグ大陸全土に知られる内容だが、国が国の形態を持たない有史以前の物語で、巫女が何処の国に生まれて育ったものか、それぞれの国によって違うものとなっているそうだ。ただ、片田舎の神殿で祈りをささげるごく普通の巫女であったという点では共通している。清らかで純真無垢な乙女であったというのは、お決まりの文句。ただ、私も勘違いをしていたのだが、巫女自身が何かを為し遂げたわけではない。
 ある日、いつものように祈りを捧げる巫女の前にタイロンの神が姿を現して告げた。
「そなたに宿りし子がローグの王としてこの大地を治めるであろう」
 未だ清い身であった巫女は驚いたが、神の言葉に偽りがあろう筈もなく、ただその後も身を慎ましくして暮していた。だが、ある日、なんやかんやとお決まりの試練があった後にひとりの若者と結ばれ、黒髪、黒い瞳の美しい男子を産んだ。果たしてその子は、成長すると共に数々の奇跡を起こし――大陸全土を統べる王となった。そして、その後、長く平和な時が築かれた。
 ……なんて事のない、平凡な神話だ。

 部屋に戻った私は、私が使うベッドの上に座った。久し振りに正座しようとしたが、辛くなりそうなので、脚は崩させて貰った。
 エスクラシオ大公は、隣のベッドに腰掛け、私と向かい合う形に。ランディさんは部屋にあった椅子に座り、別室の他の三人の騎士さんたちも集まって、周囲の壁に凭れながら私の様子を窺うように立っていた。
 狭い部屋に六人の人口密度は、やはり、多過ぎる。私以外は体格の良い人たちばかりだから、余計に。きっと、だから、こんなに息苦しいんだ。
「先ほどの質問だが」エスクラシオ大公殿下が、重々しく口を開いた。「君を連れていくことを了承をしたのは私の一存で、陛下がどのように判断されるかは分からない。だから、私個人の判断としての意見を述べる事になるが」
「分かりました」
 率直さが感じられる言葉。深い声に誤魔化す雰囲気は感じられない。
 だが、頷く私の口の中に、錆びた味が思い出されるのは何故だろう。
「最初、君に会った時に訊ねたな。その髪の色は元からか、と。君は、違う、と答えた。いつの間にか変わっていたのだと」
「はい」
 ファーデルシアの城の神殿前で、偶然に出会った時の事だ。あの時、私はまだ、裏で何が起きているのかも、この人が何者かもなにも知らなかった。
「私はそう答える君の瞳が黒い事に気付いた。君は答えなかったが、毛先に残るその色、それが元の髪色か」
 なんと答えれば良いのか。ああ、なんでこんなに口の中が不味いんだ。
「……いいえ」
「黒ではないのか」
 答えたくないな。答えたくないが……人の心の内を見透かすような青い目が、私を真直ぐに見ていた。
「……そうです」
 誰かの、はっ、と息を飲む音が聞こえた。
 殿下は、私から視線を外すように下に落した。
「あの後の会談で、ファーデルシア側は巫女を出すことを固く拒みはしたものの、戦になる事も避けたがった。そこで、別の者――巫女と共に来た者がいるからその者を使者として出すと申し出てきた。私はすぐに君の事だと分かった。だから、その申し出を受入れた。髪の色が違うにしても、確かにその価値はあるだろうと。あの時は、私はまだ君が男だと思っていた。だから、承諾した」
 私は、ずっと考えていた。
 ランデルバイアの目的を。私をどうするつもりかを。
「……素人考えの当て推量ですが、話しても良いですか」
 どうぞ、と頷きがある。
「ランデルバイアとしては、最初から戦を仕掛ける気はなかったのではないのですか。理由は他につけていたみたいですが、端から目的は黒髪の巫女を手に入れる事だったのではないですか。そして、ファーデルシアもそれを分かっていた。ランデルバイアにしてみれば、常にファーデルシアとグスカと対峙していて三竦みの状態にある。ファーデルシアに攻撃を仕掛けることは、逆にグスカに隙を作ることにも繋がる。加えて、気候の問題から出撃するにも期間が定められていて、補給路の確保の難しさから短期決戦を強いられることにもなる。その間に二国を相手するのは出来ないこともないでしょうが、得策とも言えない。篭城戦に持ち込まれて長引けば、途中で引かざるを得なくなります。本来ならば、他の二国が潰しあいをした上で、勝者となった国が疲弊している内に叩くのが、最も効率的な遣り方のように思えます。ですが、どこから耳に入ったかは分かりませんが、黒髪、黒い瞳の巫女がファーデルシアに現れたことを聞きつけた。伝説ですと、巫女は大陸を統べる王の母親となるべき存在。ファーデルシアがこれを利用しない筈がない。現に、ファーデルシアの王子は巫女と呼ぶその娘と恋仲になっています……そう装っているだけかもしれませんが。その目的とするところは、その娘に自分の血を分けた黒髪、黒い瞳を持つ王子を産ませること。たとえ、伝説通りの奇跡を起こすことが出来なくとも、無能であっても、少し仕掛けがあればその外見だけで国を問わず民衆は神とも崇めるでしょうし、それがランデルバイアを始めとする他国にとっては脅威となります。逆に、巫女さえ手に入れる事が出来れば、どの国にも同じ事が言える。巫女が厭がったとしても、無理矢理、子を作ることだって出来るでしょう。ですが、ここで私の存在に気付いた貴方は、もっと簡単な方法を思いついた。黒髪ではないが、黒い瞳の男性ならば、神の遣いの存在として謳うには十分。それを従えさせる事で王としての価値は高まり、民衆の支持は得られる。そして、いずれか王家の姫君との間に黒髪、黒い瞳の王子さえなせれば、巫女を手にいれるよりもずっと効率良く望みのものが手に入る。既に王妃と五人の側室がいるアウグスナータ王の立場的にも、実のところ、次の王位継承問題で揉める心配もなく都合が良い。しかも、男であれば、女よりも子を為せる時期も長い。ファーデルシアについてどうするかは分かりませんが、そのうち、なんらかの方法で巫女を放棄させれば良い。手持ちカードも少ない事からも、遅かれ手詰まりになる事は目に見えている……そう考えたのではないですか」
 溜息が答えた。
 周囲を見回せば、皆、俯いたり、別方向を向いたりして、誰も私と眼を合わせようとしなかった。
「でも、私が女だったと知って、あなた方も本当は困っているのではないのですか」
「誰の入れ知恵だ。いや、君は、ほんとうに女性か。それとも、君の世界の者は皆、そのようなものの考え方ができるのか」
「……私よりも頭の良い人は沢山いましたから、同じような状況に置かれれば、これぐらいの読みをもっと早く出来る人も多いと思いますよ。ただ、黒髪の巫女が出来るか、と言えば、多分、無理です」
「何故」
「あの娘はまだ十七の普通の女の子で、ものの成り立ち方や人の動きを先んじて読むには、まだ、知識も経験も不足しているでしょうから」
「では、いずれは出来るようになるという事か」
「かもしれません。私とそう変わらないだけの基礎教育は受けてきた筈ですから。でも、出来ないかもしれない。あの娘の潜在能力を測れるほど、長く一緒にいたわけでも、親しかったわけでもないですから、そこまでは判断つきません」
 ただ、愚かなままにしておく事は可能だろう。傀儡として遣うなら、そちらの方が都合が良いだろうし。男としては女は馬鹿な方が可愛いだろう……ああ、ひょっとして、そういう事か。
「ちくしょう、」
 思わず唸っていた。




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