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私がいない間に、部屋では話合いがもたれていたようだ。少し揉めたらしい。
グレリオくんが気まずそうな表情をしていて、カリエスさんはむっつりとしている。アストリアスさんは眉間を指先で押さえて俯いていた。
「すみませんでした」
私はベッドの上の席に戻り、ただひとり冷静な表情を保つその人に言った。
「かまわない。今、この時点で君を拘束するものはなにもない」エスクラシオ大公殿下は言った。「話を続けても良いか」
「どうぞ」
私の精神状態がどうであれ、聞かなければならない話に変わりはない。
「先ほどの君の考えだが、八割方正解だ。ただ一点については大きく違う。ランデルバイアとしては、いずれはファーデルシアに攻め入る用意がある。できるだけ早期に」
「……そうなんですか」
「争いの火種となろう存在をこのまま放置しておくことは、我々としても得策ではない。我々以外の国もその存在が耳に入った時点で、どういう形であれ獲得に乗りだすだろう。そうなれば、ファーデルシア以上の脅威に我が国は曝されることになる。それを黙って見過ごすわけにはいかない」
「では、戦争はどうあっても避けられるものではない、と」
頷きがあった。
……ルーディ、ミシェリアさん……
「ファーデルシアとしての唯一の回避策としては、巫女を我々に引き渡すことだった。だが、それをしなかった。そして、今、我々の手の内には君がいる」
その意味は?
「神に選ばれし存在を産み出す女性は、ふたりもいらないだろう」
一瞬、息が止った。
「美香ちゃんを、黒髪の巫女を殺すと?」
いや、でも。
「私を殺して、改めて黒髪の巫女を手に入れる?」
「或いは騒乱の原因となろうものすべてを排除するか。どれを選ぶかお決めになられるのは、陛下だ」
思わず、笑ってしまった。
たかだか女、しかも、なにか取り柄があるわけでもない女ふたりの為に国々が踊っている。しかも、あろう事か、この私がその中心にいる。……冗談にしても、出来悪すぎ!
「ふたりとも生かしておくという道は」
「それで得られるものに対する負荷が大きすぎる」
「ああ、確かに」
生か、死か。生き残るのは、私か、美香ちゃんか。それとも、ふたりとも殺される?
どう考えたって、ミスキャストだ。タイロンの神というのは、さぞかしセンスがないに違いない。
笑い続ける私の前で、大公殿下は何も言わなかった。
「もうひとつ、訊いてもいいですか」
あー、腹いてぇ。涙が出てきた。
「どうぞ」
「なんで、そこまで手の内を明かしてくれるんでしょうか。黙っていた方が良くはないですか。本気になって、逃げ出そうとするかもしれませんよ」
そう茶化すが、大公殿下の表情に笑みが浮かぶことはなかった。
「誠実さを見せる者に対しては、誠実さで答えるべきものだろう。それに」赤銅色の前髪を掻き上げるようにして言った。「君の言った通り、ここに来て、私も君の処遇に対し迷いを感じている」
そう呟いた青い瞳が、連戦連勝という指揮官らしくなく、どこかしら寂しそうに見えた。
それ以上、話すこともなく、重苦しい空気のまま第一回目の話合いは解散になった。
第二回目なんてあるのだろうか。
眠るにはまだ早い時間であったが、私はベッドの中に潜った。
考える以前に取り留めもない思いばかりが浮かんで、一向に生産的な気持ちにはなれなかった。眠ることも出来ず、ただ、布団の中で固く眼を閉じていた。
私が眠ったと思ったのだろうか。ぼそぼそと低い、エスクラシオ殿下とランディさんの話し声が聞こえてきた。
「正直、今回ばかりは、気が滅入ります。男相手であれば非情にもなれますが、守るものも何もない、弱々しいばかりのウサギを前に剣を取る気にはなれませんよ」
これはランディさんだな。
しかし、ウサギってのは、私の事か? 子牛じゃなくって? 弱々しいなんて言われたのは初めてだ。おまえは殺しても死なない、どこへ行っても生きていけるだろう、なんて事をあっちではずっと言われてきたから。
「しかも、ウサギが、また健気ときている。限界近いだろうに泣きもせず、必死で突っ張って生きようとしているんです。あんなところを見てしまえば、例え陛下のご命令があったとしても躊躇いが出ますね。自分が手を下さなくとも、見捨てた後悔はいつまでも残るでしょう」
ああ、私を殺す事になった場合の話か。……多分、私のが殺される方の確率が高いんだろうな。髪白いし、とうが立っているし、処女でもないしなぁ。と、美香ちゃんて経験あるのかな。聞いてないけれど、カレシいたし、案外、もう済ませているかも。だとしたら、ケツ顎王子も立つ瀬ないな。
「情けを持つな、と言っても今更、無理か。グレリオも今回ばかりはかなり懐疑的になっている。彼女とふたりきりにはしない方が良いだろう。これ以上、情をかければ、どういう行動に出るかも分からない」
私を逃がそうっとするってか? 年下の可愛子ちゃんとの道行きかぁ。それも悪くないかもなぁ。ああ、でも、殿下の声は、深い闇の中が良く似合う。
「彼もまだ若いですから、割り切れと言っても無理なところもあるでしょう」
「おまえの意見としてはどうだ。彼女個人を見た印象としては」
「そうですね。女性と分かっていても、未だに少年を見ている気分です。あの読みの確かさから言っても、そこらの一兵卒よりは、ずっと貴方の意を汲むに長けているでしょう。これまでにしても、投げ掛けてくる問いに無駄なものはなかった。行動面においても、私の知る女性にはないものばかりです。その印象が強いせいでしょうね。男であれば、有用であったと思います。それが惜しまれます」
「そうだな。アストリアスも同じような意見だ」
……なんか複雑だなぁ。女としてイマイチなのは分かっていたけれどさぁ、ちぇーっ。ああ、もうなんか厭になっちゃうなぁ。面倒臭くなってきた。ほんと、死んじゃった方がいいのかもなぁ。生き残ったって、ろくな事にはならないんだし……なんで、こんな事になっちゃったんだろ?
「貴方のお考えとしてはどうなのですか。誤解があったとは言え、あなたの選択が彼女を巻込む結果になったわけですが」
「そうだな。後悔がないと言えば、嘘になる。が、今となっては当初の予定通りに連れていくしかあるまい」
……結局、そうなるか。
窓の外から、一段と激しくなった雨音が聞こえた。