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次の日の朝、あれだけ降っていた雨は上がり、晴天に恵まれた。
でも、出発はなく、もう一泊していくと言う。昨夜の雨で地盤が緩んでいるだろう山道は危険だという判断だ。部屋ももう一部屋取れたので、ランディさんもきょうはベッドで休めるみたいだ。良かった。
それを聞いて、私はまた温泉に入りに行くことにした。すっかり寝不足で、やさぐれている気分を宥める為に。
こんな状態になっても、まだ、本気で自殺する気になれない自分がしぶといというのか、図太いというのか。年間三万人はいるという自殺者のみなさんに申し訳ない気分だ。
驚いたことに、今回、エスクラシオ殿下がついてきた。
凄いな、私。王族を従えちゃっているよ。しかも、風呂の見張り役だよ。
まあ、ウサギちゃんとしては知らん顔して、図々しくしているのも手だろう。先行き、そう長くもないかもしれない事を考えれば、このくらいの暴挙は許されてもいいのだろうな。
入る湯船の岩の向こう、その大公殿下はどうされているのか。なにを考えているのやら。
「別に見たってかまいませんよう」そう声をかけてみた。「何か言いたいことあって、ついてきたんじゃないんですかぁ」
ここまで来ると、恥じらう気持ちも薄い。さして自慢できるスタイルでもないのが哀しいところだが。
まったく、と呆れる声が答えた。顔は出さない。
「そういうところは可愛げがないな」
やっぱり?
「どうしてそう人の先を読もうとする」
……そっちの方かよ。
「さあ、癖じゃないですか。それとも性分か」
あ、黙りやがった。
「私も訊きたいことがあるんですがぁ、いいですかぁ」声を大きくして問う。「王様ってどんな感じの人ですかぁ。お兄さんなんですよねぇ。ちっちゃい頃から仲が良かったですかぁ」
少し間があった。
「別に良くも悪くもない。私は、元より陛下に仕える身であったから、血の繋がった者としての意識はなかった」
なんだ、そりゃ。兄弟らしく育ってはいないって事か。
「ふうん、顔とか似てるんですかぁ」
「さあな、似ているといえば、似ているという者もいる」
よく分からない言い方だ。まあ、ルックスはまずまず良いってことか。
「性格はぁ? 優しいですかぁ。それとも、厳しかったりしますかぁ」
「王として相応しい方だ」
そんなん言われても、わからぁーん! もっとわかるように言えーっ!
「好みの女性のタイプはぁ」
「……何故、そんなことを訊く」
いやあ。
「ちょっと頑張って誑し込めそうなら、売り込んでみようかなぁって」
「おまえは!」
あ、顔出した。うーん、風呂に入りながら男前を眺めるのも、なかなかオツ。ごっつぁんです。
私は湯船の縁になる岩に張り付く形で大公殿下の方に顔を向け、へらっと笑って見せた。手も軽くあげて振ってやる。
ほら、そっからだと見えないでしょう。腹ばいだから、お尻ぐらいは見えるかもしれないけれど。
エスクラシオ殿下はむっつりとした表情で、私を睨んだ。
「おまえ程度に、陛下が御心を動かされるとは思えんな」
「うわ、失礼な」
「本当のことだ。現に王妃を初めとする側室の方々は、美しい方ばかりが揃っておられる。おまえがどう頑張ったところで足下にも及ばぬであろう」
「いや、でも、そういう中だからこそ意外性でウケたりするかもしれないじゃないですか。私のところでは、『美人は三日で飽きブスは三日で慣れる』って言うんですよ」
「戯言を」
「本当ですって。本当にそう言うんですよう。他にも、『蓼食う虫も好き好き』って言って、蓼って辛い植物があるんですけれど、それを好んで食べる虫もいるように人の好みも様々って言い方があったりします。案外、王様も自分でも知らないだけで、イカモノ食いの気があったりするかも」
「おまえは……」
また、溜息を吐かれた。そして、その男前な顔を岩の向こうに引っ込めてしまった。残念。
「……そうまでしても生きたいか」
唐突な問い。
生きたいか? そう問われて、皆、なんて答えるんだろう。
「さあ、どうなんでしょうか。自分でもはっきり分かりません」向きを変えて、掴まっていた岩に背を当てる。「でも、死ぬにしても、痛いのや苦しいのは嫌だなって。殺されるって聞いて、怖いとも思います。だから、同じ死ぬにしても、気付かない内に死にたいなぁって思います。覚悟とかそんなのいらない状態で。殺されるにしても、眠っている間に一瞬でとか、知らない内に一服盛られて分かんない内に死んでいるとか、そんな感じで」
何も考えずに言った言葉だが、口にしてから、ああ、そうなんだなぁ、って腑に落ちた。
怖いのが嫌なだけなんだな、私。本当は、生きるのも、死ぬのも、どうでもいいんだ。生きていたって、何かやりたい仕事があるわけではないし、やらなきゃならない事があるわけでもない。一緒に生きていたいほど好きな誰かがいるわけでもない。でも、やっぱり怖いから、死にたくない……そういう事なんだよなぁ……
私はお願いをしてみた。
「もし、私が殺される事に決まったら、教えてくれなくていいんで、出来るだけそういうやり方にしてくれませんか」
答えまでに、長い間があった。
「なるべくそうするように計らおう」
深く静かな声が答えた。
「……有難うございます」
なんだか切なくなると同時に、安心もした。
荒んでいた気持ちが、お湯に溶けて流れ出ていくような感じがした。