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 薄暗い中に立つ黒い姿は影そのものに見える。
「そうだな。ひとたび戦場に立てば、祈るものが必要だ。奇跡を信じたくなることもある」
 ああ、そうだった。この人はそういう人だった。
「……戦うことは怖いですか」
「そうだな。戦うこと自体は恐ろしくはない」ただ、と言う。「敗北した時に失うものを思えば、恐ろしくある」
「死ぬことを怖いとは思わないのですか」
「戦場の中では。だが、ひとたび戦場を離れれば、恐ろしく感じる」
 戦争を実体験したことのない私には、漠然としか想像できない感覚だ。でも、意外にまともな感覚の持ち主なんだろうな、とそんな印象を持った。
「そうですか……」
 君は、とまた問いかけられる。
「痛みや苦しみを恐ろしいと言ったが、命を失うことを恐ろしいとは思わないのか」
 温泉での会話の続きらしい。随分と長く引っ張ったな。
「分からない事への恐怖はありますよ。ぼんやりとですけれど」
「その程度か」
 眉をひそめる響きが声に含まれた。
「私には、もう他に失われるものは残っていませんから」私は答えた。「多分なんですけれど、元の世界にいた家族や友人や帰る家も、なにも残っていません。二度と戻れないとかそういうのではなくて、私がここに来る直前にあった爆発でみんな燃えちゃったし、死んじゃったと思います。だから、そういう意味で怖いとは思いません」
 鏡像物質の衝突による被害がどれほどのものだったかは分からないが、過去の人工衛星の事故の話と比較して、荻窪駅の近くにいた私を中心とすれば、おそらく東京首都圏から周辺地域の壊滅は免れられなかっただろうと思う。分からないけれど、多分。
「……そうだったか」
 言わなかった方が良かったかな。
「こっちでは、死んだ人の魂ってどうなるんですか」
「死んだ者の魂はタイロンの神に召され、永遠の安息を約束される。だが、生前の行い如何によっては、地の底に落され、魔王エクロスの下、悪鬼に食われつつ永遠の苦しみを味わうと言われる」
 当り前に地獄も存在するんだな。
「そうですか」
「君の世界では違うのか」
「ええ。死んだら神様のところに行くのは同じですけれど、その後、暫くしたら別の存在として生まれ変わって、最初からやり直すって伝わっています」
 あれ、輪廻転生って仏教の話だったっけ? ……まあ、いいや。
「別の人間としての生が得られるのか」
「いや、確か人とは限らなかったと思いますよ。魚とか、鳥とか、虫なんて事もあるんじゃなかったかと思います」
 その辺はうろ覚え。無神論者だから。あれ、だから罰が当ったのか?
「それも大変そうだな。人であるならば、まだしも」
「そうですか? 鳥とか動物とかも良さそうですけれど。虫はちょっとなんですが」
「……猫か」
「え?」
「いや、そうかもしれないな」
 でも、と私は目の前の像をもう一度、見上げた。
 違う世界に飛ばされてきた私の魂は、どこへ行っちゃうのかなぁ?
 少なくとも、こんな不細工な神様のいる所へは行きたくないと思う。まだ、奈良の大仏さまのところへ行く方がマシだ。あのでかい足で、踏潰されそうではあるが。まあ、それはそれで、足裏の文様が刻印されて、逆に有り難いかもしれない。興福寺の阿修羅さまだったら、尚、良し。あれだけ奇麗なお迎えだったら、どうなったって文句は言わないさ。
「そろそろ出発するぞ」
 促す声に、私は神に背を向けた。

 スケジュール通りにその日の内に山越えが出来た。でも、麓に下りた頃には陽も落ちて、周囲は薄暗くなっていた。その中を馬車は進んでいた。
 明るい内から止る事がなかったところからみると、野宿というわけではないようだ。ちゃんと目的地があるらしい。
 馬車横にカリエスさんがついたので訊ねてみると、もう少し先に、今夜の宿泊施設があるらしい。そう言われて私は、ファーデルシアの保護施設に毛のはえた程度のところだろうと想像していた。だけど、着いてみて吃驚。って、お城じゃん!
 石を積み上げた武骨な外観だけれど、お堀があって、門兵もしっかりいて、跳ね橋なんかもついている。
「開門!」
 大きな声が響いて、入り口に嵌められていた鉄格子がガラガラと音をたてて、上に引き上げられた。
 それを潜って中へ。そうしたら、松明の灯がつく広場があって、兵隊さんやそうじゃなさそうな人もわらわらと集まってきては、エスクラシオ殿下を取り囲んだ。
「ディオクレシアス様!」
「お帰りなさい!」
「お帰りをお待ちしておりました!」
「お帰りなさい、殿下!」
「御無事で!」
 なんだか、男ばっかりが集まってきては大声を張り上げている。
 うわ、きっついなあ……
 半目になってしまうぐらい、すんごく暑苦しい光景だ。匂い立ちそうなくらい。テンション高ぇな、おい。
 ああ、そうか。ここ、多分、要塞なんだ。国境を守る。ここにいる兵隊さんたちは、みんなエスクラシオ殿下の部下というわけか。大将の無事なお戻りに熱烈歓迎ってわけだな。
 へえ、部下には、ディオクレシアス様って呼ばれてるんだな。随分と慕われてるっぽい。ああ、だから、『ディオさま』、か。
 結局、殿下を取り囲む部下の人たちのお陰で、先へは進めなくなってしまった。
 エスクラシオ殿下は馬を降りたらしく、人込みの中、どこへ行ったか見失ってしまった。
 馬から降りたグレリオくんはおっちゃんたちに背中を叩かれたりして労わられ、カリエスさんも馬から降りて、仲間らしき人と立ち話をしている。
 御者台のランディさんや、アストリアスさんはどうしたか、とのぞき窓から覗いてみたら、既に姿はない。いつの間に降りたんだ。一体、どうしたらいいんだ、私は……
 暫く、馬車に乗ったままぼうっとしていたが、誰もなにも言ってこないところをみると、存在を忘れ去られているらしい。
 取り敢えず、このままこうしていても仕方がないので、馬車から降りて、誰かにどうしたらいいか訊きに行こうと思う。ええと、カリエスさんがいいかな。あそこにいるし。
 扉を開けて外に出る。あー、なんか、オトコ祭って感じだ。私の職場も似たようなもんだったが、まだ、もう少しマシな感じだった。やはり、人種が違えば、殺伐さが違う。
 たむろっている人――みな、ヌリカベのような図体のでっかい人ばっかりだ、の間を抜けて、カリエスさんのところへ行く。
 談笑中のところを悪いが、声をかけてみた。
「あの、私はどうしたらいいんでしょうか」
 そうしたら、カリエスさんと話していた髭モジャのバイキングのような人が私を見て言った。
「なんだ、このハツカネズミみたいな坊主は」
 失礼なっ!




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