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 簡単に食べるだけ食べて、私は寝た。明かりを消して眠るまでの間、硬いベッドの中で考えた。
 たまに、壁を通して部屋の傍を通っていく人の足音や声が聞こえた。その度、身を強ばらせて息を潜めてしまうが、立ち止まる者は誰もいなかった。
 そして、私はいつの間にか眠っていた。
 それからどれくらい経ったのだろう。小さな物音に目が覚めた。窓がないので、何時頃かは分からない。ただ、鍵を回す音に、もう、朝が来て誰かが起こしに来たのだろうと思った。眠いと思いながら起き上がり、靴を履いた。
 でも、なんだか妙な、違和感みたいなものを感じた。
 なにを言っているかはっきり聞こえなかったが、複数の人の声がした。笑い声もまざっていた。彼等とは違う人たちだと感じた。
 なんだろう。誰だろう?
 鍵が開いて、扉が開かれる軋む音がした。
「ほんとにいるのかよ、こんなとこに」
「間違いねぇよ。見たんだ。ファーデルシアからの人質らしいぜ。細っこいガキでさ」
「シッ! 静かにしろ、気付かれるぞ」
「子ネズミ一匹おくってきてどうしようってんだよなぁ」
「ファーデルシアのやつ馬鹿にしやがって。思い知らせてやる」
 ひやり、と背筋が寒くなった。これから起きることがはっきりと想像できて、身が竦んだ。
「おい、真っ暗だぜ」
 逃げなきゃ……でも、どうやって? 足が動かない。立ち上がれない。怖い……
 扉が開かれ、人が入ってきた。ランプの灯が掲げられ、五人の男が私を見下した。
 一瞬、空気が硬直した。
 本能的に、悲鳴を上げていた。でも、声は誰の耳にも届かなかったろう。それより先に殴られていたから。痛い、というより先に身体が横に吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
 頭がぐらついた。その頭を後ろから鷲掴みにされ、髪を引っ張られた。
 酒臭い息が、顔にかかった。
「っち! ほんと、ただのガキだぜ、こいつ!」
 忌忌しそうな声だった。怒りを感じた。憎しみが声に溢れていた。
 また殴られた。口の中に血の味が滲んだ。床に横倒しになったところを、今度はお腹を蹴られた。一瞬、息が出来なくなった。背中も蹴られた。手を踏まれ、胴体も腕も脚も。そして、頭を力一杯、踏みつけられた。踏躙られた。頬が固い石の床に押し付けられて、ごりごりと音がした。
「ざまあねぇなぁ、ファーデルシアさんよお」
「弱えぇくせに。え、なんか言ってみろよ」
 顔を蹴られて、鼻が痛い。折れたかもしれない。鼻血が流れ出る感触があった。
 また頭を掴まれて、上に引っぱり上げられた。身体が重しになって、髪が引き千切られそうだった。
 意識を失いそうなところ、痛みがそうさせてくれなかった。身体中が痛い。手足が動かない……
「おねんねには、まだ早いぜ」
 手を放すと同時に顔を張られて、床に蹲ったところを上から勢い良く水をかけられた。
「おい、命乞いしてみろよ。お助けぇってよう。グスカが攻めて来るんです、お助け下さいって這い蹲ってお願いしてみろよ」
 下卑た笑い声が広がった。
 命乞い?
「俺の親友はなぁ、おまえらを助ける為に死んだんだ。女房もまだ小さいガキもいるってのに、俺の隣で敵の槍にブッ刺されて死んだよ。なのに、おまえらときたら謝るどころか、のうのうとしやがって!」
 脇腹を蹴られて、また床に仰向けに転がった。
「おい、みろよ。こいつ女だぜ」
 ひとりが言った。
 ヒュウ、と、口笛が答えた。
「久し振りのオンナか」
「ひょーっ、脱がせようぜ」
「誰からいく? 順番、決めねぇとな」
 酷い、あんまりだ。近々、殺される身にしたって、こんな事をされるなんてあんまりだ。
 薄れる意識の中で、そんな事を思った。
 ああ、嫌だな、こんなクッサイ男にされるの。変な病気とか持ってそう。妊娠したらどうすんだよ。ゴムなんて持ってないし……
 背中に押し当てられる冷たい床の感触。背骨が音をたてている。
 ああ、でも、仕方ないのかなぁ……抵抗したって、かなわないし、するだけ無駄なのかもなぁ……ああ、そうか。そういう事か。
 身体に伸し掛かる重みを感じた。為す術もなく、脚が抱えあげられ、服が脱がされかけている。

 歪んだ薄青い空を思い出した。息苦しさにもがく中、オレンジ色に変わった光景が広がって見えた。

「貴様たち、なにをやっているッ!」

 玩具みたいに吹き飛んでいった乗用車。一斉に割れたビルの窓ガラス。一瞬で炭になって消えた人影。

「やべぇっ!」
「どうやって入った! 待てッ!」

 あの日、何もかもが消し飛んだ。燃えてなくなった。

 身体が急に軽くなった。
「ああ、これは酷い……なんて真似を」

 でも、それを見ていた私は寒くて、凍えそうだった。

 布で身体が包まれる感触があった。
「キャス、キャス! しっかりして! 私を見て!」
「……アストリアスさん……」
 お髭のその人の顔が目の前にあった。ミシェリアさんの優しくて、哀しそうな瞳を思い出した。

 ――貴方がこうして生き永らえ、私達の国に来た事には必ず意味がある筈です……

「可哀想に。怖かったでしょう」
「アストリアス、キャスは。無事か」
 カリエスさんだ。
「ショックを受けているみたいです。無理もないですが。酷く殴られてもいますし」
「あいつら……厳罰に処してやる!」
「早く手当てをしないと。ああ、こんなに腫れて。骨が折れているかもしれない」
「それより直ぐに部屋を移動させよう。ディオ様に知らせて、あちらの部屋を使わせてもらおう」
「ランディは」
「グレリオと一緒に逃げたふたりを追いかけていった。面は割れているから、すぐに捕まる」
「キャス、今から部屋を移動します。立てますか?」
「わたし……」
「大丈夫ですよ。もう、大丈夫。貴方を傷つけようという者は追い払いましたから、大丈夫ですよ」

 ……意味なんてない。だって、わたしは、

 ゆっくりと抱き締められた。あやすように背中をさすられた。なのに、こんなに寒い。冷たい。指先だって、凍えている。
 あの時、本当は、私は死んでいたから……とうに、死んでいるから。だから、こんなに寒いんだ。
 魂を吹き飛ばされてここに、この世界に来ただけだ。
 ちょっとした間違い。神様の手違い。
 きっと、この痛みはあの時に受ける筈だったものの一部なんだ。苦しみは受けるべき筈だった分の残り。


 あの日、私は死に損なっただけなんだ……だから、死ぬ為にこの世界に来た……




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