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 日本で仕事をしている時は、名刺が活用された。
「企画を担当する高原と申します。よろしくお願い致します」
 そう頭を下げて依頼主の担当さんらと名刺を交換し、初めましての御挨拶終了。あとは、本題に入る。
 しかし、身分制度が確立されているこの世界では、そんなもんでは済まなかった。

「こうして足を引いて、そう。背筋は真直ぐのまま、腰を落として、」
 途端、腰から背骨にかけて電流が流されたような痛みが走った。脇腹、吊るっ! 吊った!
「いだだだだだ、でででででで!」
 本調子であったならばまだしも、ボコられた後遺症でお辞儀ひとつするにも苦労だった。あえなく撃沈。あー、痛かった。
「困りましたわねぇ」レティも、これは予想外だったらしい。「陛下の前で恥をかかせるわけにはいきませんし。でも、身体がついていかないのは仕方ありませんし」
「まあ、基本的に顔をあまり上げないという事だけ守って、自己流でなんとかします」
「でも、それですと、後でなに言われるか」
 後? あとか……
「まあ、聞こえないところで陰口を叩かれても、痛くはないですから」
 死んだ後でなに言われようと知らん。生きていたとしても、同じことだ。そんなもん、いちいち構っていられるか。そんなもん気にしていたら、命が幾つあっても足りねぇわ。
「それに、お辞儀して悲鳴をあげる方が失礼でしょう」
「それは、そうですが」
 時として見せる臆病さは女としては可愛いかもしれないが、仕事となれば通用しない。豪胆なまでの図太さを見せつける必要がある時もある。悪口を言われる覚悟で。それの遣い所ということなのだろう。
 そんなわけで、流れと基本ルールだけ教えて貰って、こちら流の礼儀作法はパスする事になった。
「あとは、ドレスですが」
 ああ、そんなのもありましたね。
 服装の乱れは心の乱れ、ではないが、ジーンズでお目通りというわけにはいかないらしい。
「一応、着るように渡されたものはあるけれど」
 ケツ顎王子からの荷物の中に入っていた筈だ。馬車に積みっぱなしで、一度も中を見ていないけれど。
「では、確認してみましょう」
 そして、レティとふたり、荷物の御開帳と相成った。
「うわっ、凄いなこりゃ」
 叫ぶまでいかないにしても、声はあげた。
「ああ、巫女が正式な儀礼で着用するものみたいですね。これでしたら、国王へのお目通りでも失礼はないです」
「でも、多分、私には似合いませんよ。ってか、これ、どうやって着るんですか」
 真っ白、白の踵まであるドレスに、どうやら上衣みたいなもんがついているらしい。パリコレだかのショーに出品されてそうなデザインだ。非日常的という点で。
 いや、良いものには違いないが、自分が着るとなると別。ちょい奇抜すぎるって感じ。スタイル抜群のスーパーモデルなら似合うだろうが、一般人が着たところで滑稽なだけじゃないのか? しかも、胴長短足の日本人体形には……美香ちゃんもこれ着るのかよ。って、似合わねーっ! あの娘、私より背が低いし。
「丈の確認もありますし、今のうちに、一度、着てみましょうか」
「ああ、まあ、そうですね」
 嫌だけれど……畜生、死ぬ間際まで恥かかなならんのかよ!
 恥をかくなら、早い内。
 ぱぱっ、と下着姿になって、頭からドレスを被った。
 着てみた印象としては、ワンサイズ大きめか……ああ、ビラビラずるずるだな、こりゃあ。思いっきり、裾を踏みそう。
「袖と丈が長いみたいですね。詰めましょうか」
「いや、それも手間でしょう。上衣で隠れますし、腰の辺りでたくし上げたりは出来ませんかね。袖は二の腕のところで」
「ああ、やってみましょうか」
 ドレス自体は、言うなれば、てるてる坊主にビラビラの袖をつけた状態。ちょっと胸元から背中までの開き加減が深い感じはするが、ドレープで身体のラインもなにも隠れるスッテンテンのデザインだ。ああ、この余剰分は、多分、身体の厚みの違いも影響しているな。
 レティが目立たないように、白いリボンと組み紐をどこからか持ってきた。
 両袖をそれぞれパフスリーヴにするようにたくし上げて、二の腕でリボンで縛って留める。
 腰は、おはしょりを作るようにして組み紐で縛ってみた……ちょっと、裾が短くなりすぎか?
「良いんじゃないでしょうか。可愛いですよ」
「かわいい……ねぇ」
 趣味じゃないんだが。シャープなデザインの方が個人的には好みだ。
「下手に動くと結わえた紐が解けて、落ちそうですね」
「でしたら、リボンは糸で軽く縫い付けて固定しましょう。腰紐は通し穴を縫い付けて、あげる部分も部分、部分で仮縫いしておけば、大丈夫ですよ」
「ああ、ありがとう。でも、手間じゃない?」
「このくらい大した事ないです。それに、楽しいです。人をこうして着飾るのって」
 お人形遊びの延長か。それが昇華すると、ハウスマヌカンから服飾デザイナー、スタイリストまで職種は広がる。
「あとは上衣ですね」
「へぇ」
 ドレスとは対照的にかっちりとした、スタンドカラーの五分袖デザインの上衣。丈は兎も角、体形のせいかぶかぶかしていて、きっちり着込むと変な感じだった。だから、少々、衿を外側に折って抜いて、胸元を開けたショール風に着崩すことにした。その上から同色の太めのサッシュを腰で結んで、位置を固定する。それで、ちょっとローブデコルテっぽい感じになった。
 それからも色々とああでもない、こうでもないと騒いだ揚げ句、レティの健闘あって、なんとかそれらしい形を作る事が出来た。しかし、終ったころには、ぐったりとしていた。
 旅に出てから、一番、疲れたかもしれない。

 夜、リビングというには広すぎる部屋から続くバルコニーで、手すりに凭れてぼんやり庭を眺めていたら、ふたりで散歩するグレリオくんとレティの姿を見かけた。どうやら、ふたりの仲は、順調に進展しているみたいだ。……若い者同士えぇですのぉ。がんばれ、若造!
 私は、最後になるだろう一服を楽しむ。
 明日の午後、宮殿のある都に入り、そのまま国王との謁見となる予定だ。
 謁見後どうなるかは分からないが、煙草を吸う余裕などないに違いない。殺されるにしろ、生かされておくにしろ拘束はまぬがれないだろうし、その後もこの身に自由など与えられないだろう事が予想できる。
 自由に息が出来る夜も、多分、これが最後……そんな風に黄昏ていたら、
「夜風に当りすぎるのは、身体に毒だよ」
 ランディさんが近付いてきて言った。
「ああ、まあ、そうですね」
 鼻水ズルズルはみっともないよな。でも、もう少しの間だけ。
「将来の義弟ですかね」
 私は意地悪く笑って、針葉樹の植え込みも整えられた庭園の径を散歩するふたりを指さして言った。すると、ランディさんは、ああ、と苦笑した。
「ふたり次第だろうね」
「反対しないんですか」
「義弟と呼ぶには、少しばかり頼りなくはあるが、私も人の事は言えないから」
 なんだ、つまらん。多少は試練があった方が燃えるし、楽しいぞ。
「ランディさんは結婚しないんですか。ランディさんの年でしていても不思議ではないんでしょう」
 でなくても、モテそうな気がするし。そう訊ねると、首が竦められた。
「このような時世ではね。なかなか落ち着いている暇もないし、なにより女性を口説いている間もなく」
「ああ、それも難儀な話しですねぇ」
 戦争が続けば、タイミングというのも限られてくるのだろう。
「本当に。いつ命を落としてもおかしくない身だしね。なかなかその気になれない所もあるよ。だから、妹が家を継いでくれる事に反対する理由はない」
 伯爵家の三男坊であるグレリオくんが、家を継ぐことは殆どない。だから、家柄の問題さえなければ、婿養子に入るのになんの不都合はない、と説明があった。
「なるほどねぇ」
「ウサギちゃんは、お相手を持たなかったのかい」
 まあ、それは。
「なかった事はないですけれど、ウマが合わなかったというのか、私が向こうの望むようにはなれなかったというのか」
「それも勿体ない話だ」
 あまりにもしみじとした口調で言うので、私は笑ってしまった。
「仕方ないですよね。人との付合いはどの世界でも難しいってことでしょう」
「そうなのかもしれないけれどね。でも、寂しくはなかったのかい」
「さしては。まずは、仕事第一でしたから。それで、気が付いたら、このような事に。単に、縁がなかったという事なんでしょう」
 別にウサギは寂しくたって死にはしないぞ。死ぬのは、罠にかかって走れなくなった時だ。
「なんにしたって、世の中、上手くいかないもんですねぇ」
 ほかに言う言葉もなくそう言うと、そうだな、とランディさんにしては低い声の同意があった。




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