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 その広間は、丁度、ドーム型屋根の真下にあった。
 上を見上げれば、頂上近くに開けられた窓から光が斜めに射す中、弧を描くその側面には、モザイクタイルで空から下界の様子を見下すタイロン神なのだろう宗教画が描かれていた。本当に、まるっきり聖堂のようだ。人工の灯がない自然光の中で、一種、厳かな雰囲気を湛える。
 射し込む光は柔らかく、曇り空の下のようにすべての色が薄いグレーを被せたかのような室内は、フェルメールの絵画の中に入ったかのような錯覚を起こさせる。
 しかし、ここにきて緊張感が一気に増して、心臓の音が大きくなった。
 広間の一番奥、一段高く設えた玉座に、一際、鮮やかな赤色が目に入る。ランデルバイア国、アウグスナータ王の姿があった。
 年齢は三十六才とアストリアスさんと同い年の筈なのだが、年齢よりも幾分、若く見えた。それは、肩より長い、炎のような色の髪のせいもあるのだろうか。離れていても熱が伝わってくるような、意志の強さと覇気が発散されているような印象を受けた。
 その身に着けているものは、エスクラシオ殿下とは対照的な赤と金を基調とした、ゴージャス以外の表現のしようのないお召し物で、それが、とても似合っている。額当てタイプの金の王冠とのバランスがとても良い。ハンパなところがあれば下品にもなりそうなものを、華美になり過ぎる事なく上品に着こなしているところは流石だ。
 容姿は……ぶっちゃけ言わなくても、好いオトコだ。美形。
 流石、兄弟。弟がアレだから、兄もそれなりには、と思っていたが、五人もお妾さんがいるってのも頷ける。
 ほかの誰が許さなくても、私が許すっ! 貞節なんぞ守っていたら、勿体ない!
 まあ、それはエスクラシオ殿下にも言えることなのだけれど。あれ、そういや殿下ってお妃様いるのか? ……多分、身分的にいるんだろう。まあ、いいや。兎に角、どっちにしろ、美女との間に美形のこどもガンガンこさえて、ばら撒いて欲しいもんである。人々の目の保養の為に。少なくとも、審美眼は鍛えられるだろう。
 それはさておき。
 王様も、人の好みもあるだろうが、私個人の趣味から言えば、『たいへんよくできました』の太鼓判を思いっきり振り回した揚げ句に、どん、と捺したくなるようなルックスだ。弟がストイックな男前ならば、兄は品がありながら、程よい柔軟さを兼ね備えた華のある美形だ。兄弟らしく、口元から顎のライン辺りが似ているな。いやあ、ふたり並べば、ランデルバイアのレベルの高さ、ここに極まれりって感じ。これだったら、ブッ細工なデバラ禿げオヤジに『死ね』と言われるよりかは、幾分、心情的にマシに受け取れるかもしれないと思う。
 とは言え、性格まではまだ分からない。案外、頭の堅い人物であってもおかしくはない。王様に相応しい性格なぞ、私には知るよしもない。それに、或いはこの王も表向きの飾りであって、本当は誰かの傀儡である可能性も捨てきれない。
「ファーデルシアよりの使者をお連れしました」
 前を歩いていたエスクラシオ殿下が立ち止まり、頭を下げた。
 数歩うしろを歩いていた私も立ち止まり、そして、身体を低くした。というより、座った。
 お姫さまのように礼をするには身体が痛いから、頭を低くするには、他にどうしようもないのである。だから、正座して、床に三つ指ついた。いや、この姿勢でさえも、結構、痛い。
 頭をさげていたら、「面をあげよ」、と聞きなれた深い声が降ってきた。直接、話す事は許されないので、エスクラシオ殿下を通じて会話や指示が与えられるのだと聞いていた。
「陛下は、直接、お話になることを許された。自らの声で名乗るが良い」
 うおう! いきなりか!
 私は、幾分、顔をあげて、昨日、練習した通りに声を出した。
「カスミ・タカハラと申します。この度はランデルバイア国王、アウグスナータ・ジュリアス・ヴスターフ・ディ・ランデルバイア陛下にお目通りを許されたこと、心より感謝申し上げます。本日は、ファーデルシア国王、グリシア・エウロス・クリストフ・デ・ファーデルシアよりの使者として参上仕りました」
「役目御苦労。顔をよく見せよ」
 エスクラシオ殿下よりは僅かに高い、柔らかい声が言った。王様というよりお殿様みたいだ。若殿?
 言われたからには、その通りに。私は顔を上げ、国王を見上げた。
 ふむ、と私を推し量るように、瞳が細められた。だが、それは決して温かみのあるものではなく、人を見るものではなかった。置物かなにかを見ているような視線だ。
 尊大な雰囲気が、私を圧する。
 緊張の度合いも最高潮。手に汗はかくは、心臓の音はバクバクだわ。でも、ここが踏ん張りどころ。短い間と我慢するしかない。
「ファーデルシア国王よりの書状を預かっていると聞いているが」
「はい、こちらに」
 私は脇によけて置いた箱から筒状に丸めた羊皮紙を取り出して、近付いてきたエスクラシオ殿下に手渡した。渡した時に見た殿下の顔は、やはり……不機嫌そうだった。正座がいかんのか?
 殿下より書状を受け取った国王は、書状を縦に開くと一通り目を通して言った。
「ファーデルシア側としては、我が国と対することは避けたいとしながらも、黒髪黒い瞳の巫女を渡すことも拒否している。代わりに、巫女に連なるそなたを差し出すとのこと。しかし、王族でもなく、臣下ですらなく、黒髪でもないそなたに如何ほどの価値があるものか計りかねる。吾には、随分と虫が良い話しに聞こえるのだが、その真意は如何なるものか」
「ファーデルシア国としましては、これまで長きにわたって良き関係を築き上げてきた、また、かけがえのない盟友であると信じるに足るランデルバイア国との戦を避ける為ならば、如何なる犠牲も払う所存でございます。が、タイロンの神の御使いであろう巫女のご意志に逆らう事は、戦以上の如何なる災いを被るか知れず、失礼を重々承知しておりますが、巫女と共にこの地に参りました私を、名代として使いに寄越した次第にございます」
 私は事前に頭に入れていた草稿の内容を諳んじた。
「なるほど。では、巫女自身にファーデルシアを離れる意志なく、ファーデルシア側としても苦慮している、という事か。しかし、解せぬな。タイロンの巫女とあろうものが、多くの民の命を危険に曝しても己が意志を貫こうとするは、それこそ慈愛の神の御意志に逆らう行為ではないのか」
「ファーデルシア国王と言えど人の身である者に、巫女並びに神のご意志を計れよう筈もなく、また、ファーデルシアの民におきましても、巫女の御意志に逆らう事を善しとしないであろう事も含めて熟考を重ねた結果、真に遺憾ながら、斯様な対応をさせて頂くことと相成りました。ファーデルシアとしましては、ランデルバイア国王に出兵を取りやめて頂けるよう再考をお願いすると共に、もし、翻意して頂ける為の、巫女の身柄を引き渡す以外の条件がありましたら、成る可くお心に副えるよう検討と努力をさせて頂く所存にございます」
「吾が、否、と申したら如何する。この場にてそなたの首を刎ね、ファーデルシアに送り届けた場合、ファーデルシアとしても黙ってはおれまい」
 そんな事までは草稿には書かれていなかった。でも、大体の考えなんか分かっているから、適当にそれらしく答えられる。
「御承知の通り、ファーデルシアに一時、身を置きました者に御座いますが、臣に下りし者ではなき故、この場にて命を奪われようとも、ファーデルシアがランデルバイアに刃を向ける道理にはなりません。重ねて、戦を回避する為の対話を希望するもので御座います」
「では、吾の胸先三寸でそなたを如何様に扱おうがかまわぬ、と申すか。しかし、そなた自身としてはよくはあるまい。故国とするでもなく、臣として仕えるでもないそなたには、そうまでしてファーデルシアに義理立てする謂れもないであろうに。如何なる積もりあって使者となった。申してみよ」
 私個人としてはどうか、と?
「ファーデルシアには一度、命を救われた恩義がございます。また、その恩を返すに値する者たちが彼の地におりますれば、戦を避けんが為の使者となる事も吝かでなく」
 ルーディ、ミシェリアさん、ちびっ子たち。こんな事を喜ぶ筈もない人たち。
「ほう、如何なる者たちだ、そなたが恩を返すに値とする者とは」
「……ランデルバイア国王、またファーデルシア国王におかれましても、生涯、名を知ることもなき民の者に御座います」
「巫女でなく、国王の為でもなく、その者たちの為ならば、命を捨てても構わぬと申すか」
 なんだ、この問答は。どう答えろというのか。
 草稿の内容はすでに消化している。ファーデルシアとしては、後はなにを訊かれようが同じ内容を言葉を変えて伝えるか、知らぬ存ぜぬを繰返せという事なのだろう。
 だが、こんな風に個人的意見を求められるという事など想定されておらず、しかも、際どい内容だ。
 ……なにを考えている、アウグスナータ王。
 だが、その心の内は表情からは読めず。
「ひとたび戦にもなれば、彼の者たちの命の保証の限りではございません。既に先のグスカとの戦にて、親兄弟を亡くした幼き者たちも御座いますれば、これ以上の痛みや犠牲を与えるにはむごくも御座いましょう」
「それと引き換えにならば、そなた自身を犠牲にすると申すか」
「それで戦を止められるのであれば、やむなしと存じます」
「死してもか」
「お望みならば、致し方なき事かと」
 なんだ、こんな事を言わせてどうする。焦れる。『やるんだったら、さっさとやれよ!』、って気にもなる
 だが、尚も会話は続く。
「しかし、それで一時の平穏を得たとしても、彼の者たちは喜ぶまい。また、ここでそなたが命を捧げたとしても、その価値なしと吾がみなせば、そなたの死は無為ともなろう」
 ……その通りだ。この王、ただの奇麗なお飾りじゃない。それとも、これらの会話も予め想定されたものであるのか。というか、なんだ、この会話は。何か私に言わせたいことでもあるのか?
「ランデルバイア国王の御見地におかれましては、深く広きものと存知ますが、然れど、我が身におきましてもタイロンの神の御意志に関るものであれば、浅慮なる仕打ちを与えられるものでは御座いますまい」
 ええい、言い訳するにも苦しい。
「ふむ。それも一理ある。黒髪でなくとも、それなりに神の御意志に通じる者なれば、我が国にも如何なる災いが降りかかるやもしれぬか」
 そこまで言うと、アウグスナータ王は玉座の上で身体を斜めにし、頬杖をついた。




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