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 会ったばかりの頃のエスクラシオ殿下の私に対する態度というのは、もう少しマシなものだったと記憶している。剣呑な雰囲気はあったがそれも含めて私も男前な美貌に見蕩れもしたし、少しトキめいちゃったりもした事もある。だが、それが豹変したのは、私が忠誠を誓う言葉を口にしてからだ。
 上司と部下。
 この上下関係が成り立ってからというもの、当然のように口調は命令調になった。視線は見下したものになり、口元には冷笑が浮かぶ事も多い。態度は横柄になり、今にも足蹴にせんばかりのものになった。
 実際、それを目の当たりにした私は、誓約をしたことを大いに後悔した。詐欺の被害にあってカモられた気分を味わった。
 ……それが、地だったかよ。なんつう偉そうなんだ。
 いや、上下関係であれば、多少、そういう事も必要だろう。しかも、身分制度がきっちりと存在するこの封建社会においては、仕方がないのかもしれない。だが、しかあしっ!
 私への態度が、ほかのひとたちに比べても悪すぎやしませんか?
 まだ、すこししか観察する機会は得ていないが、貴族で侯爵と身分の高いアストリアスさんを始めとする騎士さんたちには、普段、話している分には口調も柔らかく敬意を払っているのが分かる。一般兵や召使いに対しては、滅多に口をきく事はないみたいだが、素っ気無い命令口調でありながら、どこか労りのようなものを感じた。ところが、私に対しては、それらと比べても居丈高もいいところだ。
 さては、貴様、ツンデレかっ!
 ……なあんて、冗談。
 そんな色気なんぞこれっぽっちも、針の先ほどもない。私も日本人であるから、人の顔色を読む能力くらいは有している。それに、それなりに経験はしているから、微かなものでも人の好意を感じ取る能力ぐらいはある。殿下の私に対する態度にそんなものは微塵も感じられない。
 それに、私は、今生、女である事を捨てた。捨てさせられた、と言うべきか。
 私が子供を産んだ場合、この世界に伝わる伝説の、大陸の覇者となる黒髪で黒い瞳の男子となる可能性が高いからだ。勿論、相手方の遺伝子によってはそうならない可能性もある。だが、そうならなかった場合が問題だ。
 大陸の覇者――その存在は既に神話の域にまで達し、この世界の人々に広く受入れられている。大神タイロンのお告げ通り、黒髪、黒い瞳の巫女が産んだ者。数々の奇跡を起こし、大陸全土を治め、長く平和と豊かさを維持したとされる。そして、以降、その外貌をした者はこの世界には存在していない。
 それは、何故か。私は考えてみた。
 神の御技による奇跡?
 悪いが、異世界に飛ばされてきた身としても、私はいまも神秘主義者にはなれない。もっと現実的に考える。
 例えば、確率が低いまでも、黒髪黒い瞳の女子、もしくは男子が産まれた場合、その場で時の権力者たちが葬ってきたとすれば理屈に合う。
 巫女にしろ、その子にしろ、既に神聖侵さざる存在として、民衆には絶大な憧れと希望の象徴とされている。それは、平和の証。日々ごとの糧を得て暮らして生きる者たちにとっては、これほど有り難いものはないだろう。パラダイスの具現化だ。
 だが、その過程が問題だ。
 君臨する者がいれば、排斥される者がいるのは当然の成り行き。排斥されるのは、それまで権力を握ってきた各国の王族たち。
 執政する者となれば、伝説を丸ごと信じるわけでもないが、信じていないわけでもない。そして、その判断はシビアなものとなる。
 もし、黒髪黒い瞳の男子が自分たちの血を受け継ぐものであれば、なんの問題もない。だが、それが他国に現れた時、自分たちは自動的に排斥される立場となる。
 現実にはそうならないとしても、その子自身にそれだけの力がないとしても、背後に国を越えた民衆という強大な力の支持を受けることになる。これは、国を治める者にとっては、脅威だ。下手すれば、革命が起きる。
 逆に、上手く取りこめられれば、その子を抱える国は人々の支持を集め、力を得る事となるだろう。それまで大して不満なく暮していた民も、一旦、集団心理の中に呑み込まれてしまえば、容易く流される。一時的な祭りの熱狂にも似た感覚で、自分たちがなにをしているのかも分からず、伝説の存在を崇め奉り上げるに違いない。所謂、洗脳状態。
 だから、そういった存在が現れるたび表沙汰になる前に、排斥組となる権力者たちはなんらかの別の理由つけては密かに、或いは、侵略戦争という手段を使ってその存在を葬ってきたのではないか、と考える。
 そして、今またその時を迎えている。
 私と共に日本から飛ばされてきた、千賀野 美香《ちがや みか》ちゃんという十七才の女の子が、今、ファーデルシアに囲われている。日本人らしい黒くまっすぐな長い髪と、黒い瞳を持った少女。
 勿論、私も元は黒髪であるのだが、ストレスからだろうか、今は髪の色が白くなってしまった。だから、黒い瞳はそのままでも、伝説の巫女足りえない。
 美香ちゃんは、今、ファーデルシアの王城に暮らし、巫女としての修業をしつつジェシュリア王子と恋愛関係にある。
 ファーデルシアとしては、美香ちゃんを王子の妃として、いずれは産まれてくるだろう子に期待をしている事だろう。小国であるファーデルシア王族の血を受け継ぐ者が、大陸を統べる存在として民衆の支持を力とし、君臨する事を願って。
 だが、現段階に於て、ファーデルシアにそこまで立ち上がる力はない。
 一年前まで続いた隣国グスカによる侵略戦争の傷がまだ癒えておらず、まずは国の基盤を立て直すことの方が急務だからだ。それに、何も知らない美香ちゃんを、伝説の巫女らしく仕立てあげる為の教育も必要となる。
 ファーデルシアとしては、最低限の条件が整うまでは、美香ちゃんの存在を隠しておきたかったに違いない。出来れば、子供が産まれて、そこそこの年齢に育つまでは。
 だが、現在、ランデルバイアがいち早く美香ちゃんの存在を知った。そして、動いた。
 結果、私はここにいる。
 殺されても仕方ない状態であったのだが、なんとかお目溢しに預かって生きている状態だ。だが、その代わり、女として生きる未来は捨てざるを得なかった。
 伝説の巫女足りうる者が既に存在する状態で、髪の白い私が産む子は伝説足りえない。伝説は、完璧に再現されてこそ意味を為す。おそらく、黒髪、黒い瞳を持つ男子を生んだとしても、民衆の支持の中には疑いも生じるだろう。ひとつの破綻が、余計な混乱を生じさせることはよくある話だ。
 それに加え、現ランデルバイア国王には既に王妃と五人の側室がいる。私との間に子供をなしたとしても、後継者争いを引き起こすだけだ。或いは、王子は既にふたり存在するが、上はまだ十才にも満たない。そんな子供相手に、二十七才も過ぎた私がなにするわけにもいかないだろう。不可能ではないのかもしれないが、あっちも嫌だろうし、こっちも嫌だ。そんな趣味はない。
 プラス、他国からの介入も捨てきれない。強き軍を持つ国であっても、条件が満たされない分には、国の平穏を維持する方を考えるのは当然のことだ。
 だから、マイナス面が多いこの状態では、子供は作らないに限る。
 もし、私が誰かを好きになって、出来てしまったら? ……多分、その時こそ殺されるのだろう。お腹の子ともども。
 私は、本来、邪魔な存在だ。今、生きていられるのが不思議なくらいに。それが分かるから、私も諦めている。
 実際、日本にいる間も仕事第一で、恋人がいたこともあったけれど、結局、うまくいかなかった。それがこの先も続くだけだ。殺されるか寿命を迎えるか、いずれにしろ死ぬ時まで……少なくとも、閉経するまでは、オトコは御法度というわけだ。結婚願望というものは元々あまりないから、絶望するほどの事でもない。
 だから、実際のところ、殿下が私に対して厳しい態度を取ることは正解なんだろうなあ、と思う。身分的に対外的な示しもあるだろうし、私を殺さなきゃならなくなった時のために、これ以上の情はかけないようにしているかもしれないし……わりとまともな感性の持ち主って事は、分かっているから。もし、優しくされたら、私も甘えてしまうだろうし。
 それに、私には他にやらなければならない事がある。
 ルーディたちを助けること。それに、力を尽くす。それが、いまの私の一番の生きる理由だ。今はそれに没頭すべき時だ。先のことなど考えずに。
 私は、ひとり部屋で溜息をこぼした。
 西日も消えて、既に真っ暗の状態。薄明かりを頼りにランプに灯をともす。黄色い炎が揺れて、私の影を壁に長く伸ばした。
 ランプを手に机に移動し、椅子に深く腰掛ける。
 さて。
 私は、私の為すべきことをしよう。
 考えることを。




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