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 ランディさんとの話を終えた私には、次に必要な情報を求めて移動した。階段を上り、執務室が集まる城中央の棟へと向かう。
 いや、城内を移動するだけでどれだけ歩いているのか。万歩計が欲しいところだ。少なくとも、足腰が丈夫になる事は間違いない。あー、でも、疲れるわ。エスカレーターやエレベーターが恋しい。
 地下一階から三階まで上って、広い廊下を西に向かって歩く。と、運良く、目指す人が向こうから歩いてくるのに出くわした。
「ガルバイシア侯爵閣下」
 私は軽く礼を取ってから、声をかけた。
「おや、キャス。どうしたんだね、こんな所で」
 お髭もダンディなアストリアスさんは微笑むと、足を止めてくれた。
「はい、実はお願いというか、お話がありまして。少しお時間を頂けないでしょうか」
「急ぐのかい」
「出来れば」
 アストリアスさんは、ふむ、と頷くと、言った。
「これから、大した用ではないのだが、少々、人と会わなくてはならなくてね。その後であれば、多少の時間ならば取れるが」
「それで構いません」
「では、私の執務室の方で待っていてくれるかな。直ぐに戻れると思うから」
「はい。有難う御座います」
 私は再び礼をして、従騎士を従えて去っていくアストリアスさんの背中を見送った。
 アストリアスさんのフルネームは、アストリアス・クリストフ・イル・ガルバイシア侯爵。エスクラシオ殿下の右腕として軍の管理やら色々と仕事も多く、お忙しい身らしい。
 そんな人がよくもファーデルシアまで使者の一員として出向けたもんだと思うが、それだけ黒髪の巫女を手に入れることは重要だった、って事だろう。ランデルバイアとしては残念ながら目的を達することができず、それで私はここにいるわけだが、それでも、旅の途中、私を死なせたくない、と唯一、心の内を語ってくれた人だった。殿下に従って生きる事になった私にアストリアスさんは静かに微笑んで喜んでくれた。そして、今もなにかと気を遣ってくれる優しい人だ。
 アストリアスさんの執務室では秘書さんらしき人にここで待つように言われた事を伝え、待たせて貰うことにした。
 当然、私の書斎と比べようもなく広くて明るい部屋なのだが、調度品は最低限のものしか置いていない。その調度品にしても、木製の良いものではあるのだが、至ってシンプルなもので豪華さはない。
 城に暮すようになって分かった事だが、ランデルバイア国騎士の身上をひとことで言えば、どうやら『質実剛健』というもののようだ。極力、無駄なものを省き、質素倹約を常としている様子があちこちに見られる。対外的な事もあるので飾るところは飾っているみたいだが、イメージカラーが黒であるところからも、そう派手な印象はない。日本の武士のイメージに近いストイックさを感じる。
 それは、もともと植生に乏しい北の大地に暮す影響もあるのだろうが、多分、全軍を指揮している者の影響の方が強いのではないかと思う。
 王様との謁見の最中、「どうしてそうも堅いのだろうねぇ」、とエスラクシオ殿下に向けての一言があったが、そういう事か、と納得もする。
 でも、悪い印象はない。下々から見れば、きっちり仕事の成果がありながら驕らない姿勢は、好意的に映るに違いない。それで、多少ならば、王族や貴族が贅沢したところで見逃す部分もあるだろう。その辺りのバランスが上手く出来ていると思う。
 まあ、メディアが存在しない分、情報統制も楽だろうしなぁ……まずは、第一印象だけを押さえればいいわけだから。でも、そこで私はどうやったもんか?
 噂を広めるにしたって、口伝えのみになるわけだから伝達速度は格段に遅い。どかん、と一大イベントをぶちかますにしたって、告知するにはビラを撒くのがせいぜい。とは言っても、どうやら、庶民の識字率は低く、紙は高価なもの。印刷技術は、凸版印刷って言っても手作業で行われる版画に毛が生えた程度のものでしかない。広められる範囲は知れている。
 ここに暮していると、インターネットで全世界が繋がっていた事が夢のようだ。メディアらしきものがなにひとつないそんな中で、私はどうやって広告のノウハウを駆使すべきなのか。しかも、戦争の中で。
 はっきり言って、無理だ。どうしようもない。でも、そこをなんとかするってのが、プロとしての矜持なわけで……って、馬鹿じゃねぇか、私。
 考えれば、考えるほど無駄なことをしようとしているとしか思えない。被害を少なくするのならば、新しい兵器の開発をしていた方がマシなんじゃないか、とまで思う。でも、そんな事をすれば、恨みつらみが長く残るのだろうなぁ。そして、その武器によって、より大勢の人が苦しむようになるんだろう。ああ、そう言えば、そういう小説もあったよね、伝説のアーサー王の時代に行ってしまった現代アメリカ人の話。
 幸いと言ってはなんだが、中国がないだけに、火薬も発明されていないらしい。だから、銃も大砲も手榴弾もない。遠距離攻撃は、せいぜい弓と投石機程度。戦うと言っても、剣と槍が主流の白兵戦が主だそうだ。あと、ローマ帝国の頃みたいな馬が引く戦車。いずれはこの世界でも近代的な兵器は生まれるのかもしれないが、遅らせるに越した事はない。
 でも、本当に、どうしたらいいんだ?
 途方に暮れながら考えていたら、アストリアスさんが戻ってきた。

「待たせてすまなかったね」
 お髭もダンディなアストリアスさんは、言葉も柔らかく私に言う。
「いえ、こちらこそお忙しい中、無理を言って申し訳ありません」
「それで、急ぎの話とは」
「はい」
 進められるままに、執務机の前に置かれた椅子に、私は腰掛けて言った。
「傭兵と言われる人に会って話しを聞きたいのですが。あと、街にも下りたいので、許可を頂けないかと」
 私の申し出に、執務席についたアストリアスさんは眉をひそめた。
「また、難しい話だね、それは」
 ……やっぱりか。
「君の身の安全は殿下が保証されたものではあるが、我々の目の届かぬ場所に於ては、その保証にも限りがある。君に万が一のことがあれば、我々としても君に関する全てを白紙に戻さざるを得なくなる」
 万が一。それは、殺される事ではない。女として害される事を指すのだろう。私が何者か知っているにしろ知らないにしろ、その行為自体に問題がある。
 だから、私は今、軟禁状態と言える。城の中の許可された区域ならば自由に歩き回ることを許されているが、外に出ることは固く禁じられている。
「それは分かっています。ですが、殿下の御依頼に応えるには、まだ知るべき事が幾つかあります。その為のお願いです」
「知るべき事とはなんだね」
「傭兵については、おそらく独自にあるであろうその情報網と戦場に於ての立場や或いは、他の兵士や他の傭兵との関係の持ち方ほか、色々です。街では、例えば噂の広がり方、方法、或いは、民衆の嗜好や基本的な知識レベルその他です」
 兎に角、知ることが出来るすべてだ。
「どうしても必要な事なのかい」
「はい」
 そこでアストリアスさんは小声で唸ると、顎髭を指先で撫でながら考える表情を浮かべた。
 暫くして、そうだな、と声がある。
「傭兵に話を聞くという件については、現在、城中にいるかどうか確認の上、手配しよう。あと、城下へ下りる件については殿下の御許可も得ねばなるまいし、少し考えさせてくれ。或いは、城下に下りずとも、話さえ聞ければ良いのだろう」
「まあ、最悪は」
 でも、用意されて会ったその人が、『平均的な普通の人』とは限らない。本来ならば、出来るだけ大勢の人と話して、自分の中で平均的なレベルを測るべきだ。
「ですが、明日までに実現をお願いします」
「それは……急だね」
 少し驚いた表情をみせるアストリアスさんに、私は白々としながら答えた。
「文句はエスクラシオ殿下に言って下さい」




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