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 あっはっはっははははは………!

 他人に話をして、これだけウケを取ったのは生まれて初めてかもしれない。
 神殿控室。お茶を啜る私の前で、アストラーダ殿下は腹を抱えんばかりの大爆笑だ。
 剣の訓練場での喧嘩を含めた事のいきさつと顛末を、話せるところだけ茶飲み話のひとつとして提供したのだが、喜んでいただけたようで幸いだ。日頃のお返しぐらいにはなっただろう。
 一頻り笑ったアストラーダ殿下は、目尻に涙まで浮かべて私に問うた。
「それで、君の勇敢なる騎士くんはどうなったんだい」
「三日間の謹慎処分をうけました。相手の方と共に」

 その後、私は騒ぎの事情説明に呼出しを受けたグレリオくんに同行して、騎士団長室を訪れた。
 騎士団長であるルスチアーノさんは、目付きの鋭い、染めたかのような赤い色の短い髪を後ろに撫で付けた四十代半ばぐらいのナイスミドルな感じの男性だった。醸し出す品の良さもあって、ちょっと素敵だ。
「では、事の原因は流言に惑わされた騎士が引き起こしたものだと言うのだね」
 そう言って、執務机の前に整列する喧嘩の当事者のふたりを睨み上げた。
「意図せず流してしまったものではありますが、騒ぎを引き起こした原因は自分にもあるかと思います。謝罪申し上げます」
 私はルスチアーノさんに頭を下げた。
 とん、と指先がひとつ机を叩いて答えた。
「いや、騎士たるもの、たかが流言ひとつに惑わされるなどという軽挙さはあってはならぬ事。そんな事では、戦場においての働きにも支障があろう、なあ、ヤンデルセン」
「はっ、面目次第も御座いません!」
 グレリオくんの喧嘩相手の騎士さんは、頭を上げた直立不動のまま答える。
「グレリオ、信頼すべき仲間に対し、暴力に訴えるより前に言葉で誤解を解く必要を感じなかったのかね」
「申し訳ありません!」
 グレリオくんも、直立不動のまま答える。
 ふたりとも、いっさい口答えなし。偉いもんだ。
 そして、髪の色と同じオレンジ色に見える瞳が私にも向けられた。
「キャスと言ったか。君の身分保障ほか責任の所在については、ディオクレシアス殿下が一切を引き受けておられる事ではあるが、今後、このような騒ぎを起こさぬよう軽佻なる発言は控えて貰いたい」
「申し訳ありませんでした」
 私はもう一度、ルスチアーノさんに頭を下げた。
「ふたりとも、三日間、自室での謹慎処分を言い渡す。その間、己の取った行動をよく反省すること」
「はっ!」
 息もぴったりに、ふたりの返事が重なった。
「……あのう」
 丸っきり体育会系の空気の中、私は恐る恐る口を挟んだ。
 ルスチアーノさんの緩みない視線が突き刺さる。わあ!
「これを機会にひとつお願いがあるんですが」
「なんだね」
 そして、私はそれを口にし、受入れられた。

 それで、とアストラーダ殿下は興味深そうに私を見て訊ねた。
「結果はどうだったんだい」
 ああ、と私の視線は自然と宙を彷徨った。
「思っていた以上に反響があったので驚きました。話の内容の変質度合いも予想以上でした」

 私はルスチアーノさんに頼んで、今、城内にいる騎士さんで手の空いている人を一堂に集めて貰った。たった二日間でアイリーンの事をどれだけの人間が知っているか、そして、どのような内容で耳にしているか、聞き取り調査を行うためだ。
 ルスチアーノさんも今後の為に、この誤解を解くための良い機会と思い、承諾してくれた。
 場所は、地下一階の騎士専用談話室。集まってきた騎士たちで広い室内は満杯状態だ。真っ黒、くろ!部屋が黒一色に染まっている。椅子に座れず、立っている人も半分以上。
 凄い数だな。これでも全体のほんの一割にも満たないというのだから、大した数だ。
 一方の壁際に立った私は、ルスチアーノさんが大声を張り上げるのを横で聞いていた。
「……という事で、今回、諸君に集まって貰った。これよりのキャス・タカハラの質問に正直に答えるように」
 どうぞ、と促され、私は一歩、前に出た。
 好奇と怯えと、なんだか良く分からない雰囲気の視線が私に集まった。当り前に男ばかりの中、マジ、びびる。
「端の方、声は届いていますか!」
 両手をメガホンにして、精一杯、声を張り上げて質問すれば、ひとり手が上った。大丈夫らしい。
「では、これからする質問に挙手で返答をお願いしますっ!」

 私は口の中に放り込んだタルトを咀嚼し呑み込んだ後、アストラーダ殿下にその結果を話した。
「現段階で大体、城内の騎士の方の半数がアイリーンの話を知っていました。知っている人の約三分の一は同じ騎士仲間から。残り三分の二は騎士見習い、兵士、馬丁、人の会話を耳の端で聞いて、と様々でした。中には、兵士から、『呪い殺されるかもしれない』、とかなり真剣な相談を受けた人もいたみたいです」
「大した数だね、それは。兵士も含めれば、かなりの数の人間に広まっている事になる」
 殿下も、それには少し驚いたようだ。
「はい。アイリーンという珍しくない名前も良かったんでしょう。名前に心当たりがないにしても似た名前の女性と付合った事のある方や、名乗らず女性と通りすがりの関係を持たれた経験のある方には、心臓に悪い話でもあったみたいです」
「ああ、そういう事もあるかもしれないね。あまり褒められた話ではないけれど」
 ほんとだ。男の浮気や性的欲望は、如何ともしがたい面がある事がよっく分かった。きちんと別れたつもりでも、本当は恨まれているのではないか、という深層心理にある恐怖心を引き起こしたところもあったらしい。
 それにしても、この広まり方は異常だ。よっぽど、話題がなくて暇なんかなぁ? まあ、娯楽に不足している感はあるが。
「でも、実際のところ、そういった経験のない方にしても、話自体が人伝えの内に変わってしまっていて、私に『触れただけで呪われる』とか、『口をきけば、夜中にアイリーンが確かめにやってくる』とか内容が変わっていました。あと、当り前に関った男性全員が死亡となっていましたし、より具体的に名前がついていたりもしました。ほか、男性のみならず一族全員が亡くなっていたり、村人全員とか、随分と大袈裟になっていた話もありました」
 アストラーダ殿下は、また愉快そうに声をたてて笑った。
「たった二日間でなんとも凄まじいね」
「はい。私も驚きました」
 多少、尾ひれはつくとは思っていたが、人のイマジネーションというのは侮れないものらしい。
「だが、そうすると気になるのは、噂の元になった傭兵だけれど、彼はどうしているの」
「ああ、はい。ルスチアーノさんがそのレキさんって方なんですが傭兵さんを呼んで下さって、誤解は解きました」
「その彼は、本当のことを知って怒ったんじゃないかい」
 私は頷いた。

「……なんだと」
 再び戻った騎士団長室で、ルスチアーノさん立ち合いのもと私は再びレキさんと対峙した。
 一通り説明したところでレキさんは呆然とし、そして、次に私をもの凄い目つきで睨みつけた。
「お陰でとても良いサンプルデータが収拾できました。感謝します」
 私は目を合わせないようにして、出来るだけ素知らぬ顔を装い答えた。
「じゃあ、なにか。おまえは俺を利用したってのか」
 唸るような声で言うその眉間がひくついているのが分かった。
「意図したものではありませんでしたが、結果、そういう事になりましたね。これも全て、あなたが話を広めて下さったお陰です」
 私は営業スマイルを作ってみせた。
「アイリーンは」
「そんな人は最初からいません」
「呪いで死んだってやつは」
「そんな人もいません」
「じゃあ、俺は大嘘吐きの上に道化扱いされたってのか!」
 いいえ、と私は笑顔を消して言った。
「これは、軍内部の機密にも関ることです。貴方のお名前も重要な協力者として私の上司に伝えさせて頂きます。それに、貴方が話の出元である事を知るのは、ここにいる私とルチアーノ団長ほか事情を知る数名のみです。その方たちが貴方を咎める事はありません。貴方は貴方が話した内容を打ち消す必要はありませんし、今まで通りにして下さっていて、なんの問題もありません。ただ、これ以上はこの話題に触れない方が宜しいでしょうが」
 ほう、とレキさんは低い声で答えた。
「じゃあ、今度は軍の機密に関る事だって言いふらせばいいってわけか」
「話すにしても、具体的な内容をご存じないでしょう。それに、そんな事を言えば、あなたが嘘吐きだって言いふらしているのと一緒ですよ。それに、自由に国を渡り歩く傭兵としては、一国の機密にも深く関ったと言うのは、後々、立場を悪くするのではないですか。それこそ、それが噂となって他国にも伝わった場合……」
 ランデルバイアから送り込まれた間諜と思われかねない。
「っ……この、魔女め!」
 憎々しげな舌打ちが答えた。

 ふうん、とアストラーダ殿下は相づちを打ち、そして、クスクスと笑った。
「では、私は聖なる場所に魔女を招き入れてしまったというわけか。司祭としては、有るまじき行為だね。随分と可愛らしい魔女ではあるけれど。でも、そうか。私は子猫に声をかけたつもりであったけれど、魔女が化けた猫だったのだね」
 ……あー、そう言われると困る。
「あのう、ひとつ宜しいでしょうか」
「なんだい」
 美麗な顔が無邪気なこどもを思わせる仕草で傾けられる。
「私、こう見えても、二十七なんですが。それで、もうすぐ、二十八になります。その『子猫』という表現にはいささか抵抗を感じてならないのですが」
 そう控えめに申し出てみた途端、アストラーダ殿下は瞠目し、口を片手で覆った。
「嘘だろう」
「いいえ」
「本当に?」
「はい」
「ディオと同い年……」
「はい」
 目の前で固まった表情を見ながら、私は深々と嘆息した。

 気まずい空気の中、アストラーダ殿下は私に謝罪すると、やはり、十四、五才だとばかり思っていたと告白した。今年いちばんのサプライズであったらしい。でも、やはり、そういったところも私は楽しいと言って、これからも遠慮することはないと立ち直りも早く笑顔を見せてくれた。流石、思考に柔軟性のある変人……いや、御方は違うらしい。
 やれやれ、だ。




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