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 よほど私は不機嫌な顔をしていたのだろう。会うなりアストラーダ殿下は、眉をひそめた。
「なにかあったのかい、まるで尻尾を逆立てる子猫そのものだよ」
「少々。つきましては、きょうは殿下にそのお話を伺えたらと思って来ました」
 それだけで、殿下は何事か察したようだ。小さく吐息を吐いて、
「まずは席について、暖いお茶を一杯、飲んで。すこし落ち着いてから話をしよう」
「はい」
 取り敢えずは話して貰えるようだ。私は、いつもの決まった位置の小さなテーブルの前の椅子に腰掛けた。

 まずは、お茶をひとくち。
 今日はハーブティっぽい。私が怒っているせいで、わざわざそうしたのか?
 それでも暖い液体が咽喉を通っていくと、気持ちが少し落ち着いた。メモリひとつ分ぐらいだけど。
「まったくね」、と憂うつそうにアストラーダ殿下は口を開いた。
「嫌になるよ。諍いの種だけは尽きないのだからね。飽きず、こうして関係のない者まで巻込むのだから、困ったものだ」
「エスクラシオ殿下とは仲が悪いのですか」
「そう見えるかい」
 私は首を横に振った。
 以前、廊下でお茶を飲んでいた時は、そんなに悪いとは感じなかった。逆に、兄弟仲の良さを感じた。
 アストラーダ殿下は微かに微笑んで、「君にも分かる事が何故、彼等には分からないのだろうね」、と言った。
「時には、仲違いをさせたがっている様に感じる時もある」
「自分たちが利益を得るためでしょうか」
「利益? いや、そんなものはないだろうね。多分、自分たちの意見が正しいと形をもって示したいだけなのだろう。結果として、力を得ることになるのかもしれないが」
「意見とは、どういう意見なんですか」
「簡単に言えば、戦を良しとするか、しないか、だね」
「は? なんですか、そのこどものような論題は」
 口をあけて呆れる私の前で、アストラーダ殿下は苦笑した。
「本当に。けれど、そのこどものような議論でいい年の大人が諍いを起こす場所なんだよ、ここは」
 アホじゃねぇか。
「暇なんですね」
 言って捨てると、殿下は咽喉の奥で鳩が鳴くような笑い声をたてた。
「ああ、本当にね。君と話していると、胸がすく心持ちだ。そうだね、彼等は暇なんだろう。暇だからこそ、くだらない権力争いに躍起になる」
「それで。具体的にはどんな話なんですか」
「そうだな。少し話は遡るけれど、私達の父、前の国王が亡くなった頃から話そうか」

 話を要約するとこうだ。
 前国王が体調を崩した頃から、当然のことのように世継ぎ問題は起きた。三人の兄弟の内、誰を次期国王とするかで家臣の間で派閥争いのようなものがあったそうだ。それがいよいよ、前国王の先がないと見えた時点で本格的に表面化した。それで、一時期、国政も混乱しかかった。
 ランデルバイアでは、前年から凶作が続き飢饉にもなりかけた上に、食物物資の輸入ルートであるファーデルシアへのグスカの侵攻が重なっていた事もあった。
 それで、諍いを収拾するために、アストラーダ殿下は既婚であったのだが、子を為していなかった事もあって神殿の司祭となる事を決意し、子孫を残さない方向で一抜けを示した。
 エスクラシオ殿下は同じく継承辞退の意志を示すとして、その時にはさる有力貴族のご令嬢と婚約して婚姻も間近と言われていたそうなのだがそれを破棄し、軍務以外での貴族たちとの政治的繋がりのいっさいを断ち切ったそうだ。その上で、前王が亡くなると同時に、公の場で兄であるアウグスナータ現国王に永遠の忠誠を誓った。
 でも、そこで収まらなかったのは、ふたりを支持していた貴族達だ。事が決着しようが、一度、入ってしまった亀裂は簡単に修復されるものではない。逆に、水面下で未だ対立を深め続けているそうだ。
 神殿司祭となったアストラーダ殿下は穏健派、所謂、鳩派代表として。軍の指揮を行っているエスクラシオ殿下は強硬派、つまりは鷹派の代表として事あるごとに対立を余儀なくされている、というわけだ。

「つまり、ランデルバイアとしても一枚岩ではない。今回のファーデルシア侵攻についても、未だ揉め続けているというのが本当のところだよ。陛下はそのバランスを取ろうと苦慮なされておられる。恥ずかしい話しだが」
「あー、なんと言ったらいいのか……」
 呆れる。戦争反対という信念からくるものではなく、派閥争いついでに言われても平和主義者とは言い難い。
「要はアレですか。天の邪鬼。相手の言うことは取り敢えず反対しておこう、みたいな」
「そればかりではないけれどね。正直言って、そういう面は強い」
「馬鹿馬鹿しい。それじゃあ、いくら正しい事を言っていたとしても、説得力ないですよ」
「でも、現実問題、政治にはその過程よりも結果が求められることも確かだ」
「それにしたって、無駄な議論の時間を費やしているように感じます。決定権は国王にあるのでしょうし」
「そうだね。でも、議論なしで通ってしまう怖さみたいなものもあるだろう」
「まあ、確かに」
 専制君主制の怖いところはそこにある。王ひとりの独断ですべて決まってしまうところだ。だが、王ひとりで出来ることは限られる。そして、まともな感覚を持っていればこそ、王自身もひとりだけ決定権を持つことに怖れもするのだろう。その辺で周囲との兼ね合いというものもあるんだろう。
「だから、私達も一概に彼等を非難する事はできない」
「選択の余地を残すために、ですか」
 頷きがあった。
 ううん、難しいなぁ……ああ、でも、そうか。
「だから、使えるものなら私を使おうと思ったわけか」
 呟いた言葉に、アストラーダ殿下は首を傾げた。
「前々から訊こうと思っていたのだけれど、君は一体、なにをしようとしているんだい。どう考えてもディオの下にいるのは場違いな気がするのだけれど」
 場違い……そうはっきりと言われるとなぁ。
「あー、ええと、私なりに事情がありまして。図らずも目的が一致したというのかなんと言うか」
「ここでは話せないこと?」
「まあ、機密事項にも該当することかと思いますので」
 周囲にはメイドさんたちがいる。噂が如何に広まりやすいかという事を身をもって知った今は、口にしてはならないだろう。
「でも、上手くいけば中道をいくというか、そういう結果を目指しているんだと思います」
「それを聞くだけで難しそうな話だ。ああ、でも、これ以上聞いて君を困らせるのはやめよう。それでなくとも、厭な思いをさせてしまっているようだから」
「その辺はお気遣いなく。理由を聞いてさっぱりしました」
 けっ、侯爵だかなんだか知らないが、尻の穴の小さいヤツめ。だったら、私は徹底的に馬鹿の振りをしてやるまでだ。あ、でも。
「もうひとつ、立ち入った事をお訊きしてもよろしいでしょうか」
「なんだい」
「ええと、奥方様はどうされてるんでしょうか。ご心配でしょう」
 精神的に苦労してそうな気がする。元は王子様のお妃様だったんだから。
 それには、ああ、と何処か言いにくそうな雰囲気があった。
「一般の女性には話しづらいことではあるけれど、周知の話だし、いつか知られる事だから今の内に話しておこうか。私の妻だった方は、今は陛下の庇護下におられる」
「は?」
「ついでに言うなら、ディオの婚約者だった女性も同じく」
「まさか、陛下の庇護下って……」
 皆まで言うな、と頷きがあった。
「一応、王族と関りを持った女性だし、理由はどうあれ私達の勝手もあっての事だ。名誉を傷つけるには忍びないと陛下がご恩情を賜り下さった」

 ……つまり五人の内のふたりって、てか、それで納得できるもんなのか? いや、身分的には上に引取られたわけだから納得できるだろうが、実の兄弟の間で? ……すげえな、王族。いや、身分制度。或意味、天晴れ。感心する。

「刺激が強すぎた?」
 いやあ。その手の話はフィクションの定番パターンで馴れてますから。リアルで聞いて吃驚しただけ。
「というか、よく気持ち的に割り切れたな、と」
 まあね、と寂しそうな表情が呟いた。
「私の場合は、共にいた時間の分だけの気持ちはあるにしろ、互いにそれほどまでの繋がりというものがなかった事もある。でも、ディオの場合は、幼い頃よりそうなると周囲の誰しもが思っていたものだからね」
 ああ、そうなんだ……そういう女性だったんだ。マジで昼メロ地でいってるよ。
「正直、今でもそこまでする必要があったのか、思う時があるよ。あの子は進んで棘の道を行っているように思えてならない時がある。その内、自らの手で破滅の道すら選ぶのではないかと心配にもなる」
 『あの子』と呼ぶ滲む想いが、声の響きとなって伝わる。
「ほんと、兄弟仲が良いんですね」
 男兄弟ってそういうもんなのかなぁ。
「君は? 君には兄弟はいるのかい」
 訊ねられて、いまとなっては薄い面影を私は探す。
「いましたよ。姉と義理の弟が」
「そう。仲は良かったの」
「さあ、どうでしょうか。姉とはあまり良くなかったと思います」
 姉は父のお気に入りだった。私はいつまでも二番目の子だった。実の母はそれなりに優しくしてくれたけれど、離婚する時には既に決まっていた再婚相手の男性に気がねしたのか、私達を置いていった。
「義弟は再婚した義母の連れ子で、関りが薄かったですから」
 ひとり暮らしを始めた大学生になってから出来た義弟とは、滅多に話す機会も持たなかった。軽い言合いをする余地もなかったほどに。
「そう」
 それ以上、訊ねられることはなかった。

 なんだか、不思議な感じだ。
 改めてこれまでの人生を振り返ってみれば、いつもひとりだったような気がする。周囲に人がいても、ひとり離れて立っていたようなそんな感じがした。
 ああ、だから、私はこんな状況にいてもわりと平気でいられるんだな、と思った。
 私、本当にあの人たちの事が好きだったのかなぁ……エスクラシオ殿下は、今でも婚約者だった女性のことが好きなんだろうか。そういや、陛下の側室方も美しい方ばかりだ、って言ってたもんなぁ。きっと、まだ、忘れられないんだろうな。
 そう思ったら、少し切なくも羨ましく感じた。




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