- 20 -


 兎に角だ。
 アストリアスさんとの個人面談を終えて、私は自分の書斎に戻った。
 貰ったばかりの新しい軍服に着替えたら、以前にくらべて格段にフィット感が違った。……まだ少し大きめだが、我慢できないほどじゃない。さよなら、土管ズボン。それだけで、気分が良い。
 『仮』付きながら企画採用となったのも、めでたい。
 詳しくは話せないまでも、アストラーダ殿下に報告に行こう。
 そう思いながら部屋を出て、そして、書斎から外に出ようとノブに手をかけて、

 ……私の記憶はそこで終っている。

 で、現在。
 真っ暗だ。真っ暗な中に横たわっている。
 あちこち触ってみた結果、長方形の箱の中だ。ええと、棺桶よりは余裕がある。真直ぐ座れるまではいかなくとも、首を曲げてなら大丈夫なくらいに上部に余裕がある。布で内張されている。上はちょっとフカフカなところみると、クッションが入っているらしい。ううん、と。半円柱型の蓋が付いた木箱の中っぽい。所謂、宝箱みたいな……あー、頭いてぇ。クラクラする。殴られたわけじゃなさそうだから、薬でも使われたか?

 はっきり。
 間違いなく。
 私は拉致られてしまったらしい。

「あー、どうしよう……」
 あれから、どれだけの時間が経っているのか。
 この箱は今、どういう環境に置かれているのか。少なくとも、運ばれている最中ではない。
 そして、一番の問題は、どうやってこの箱の中から脱出するか、だ。
 ていうかさ、なんだろうね。『用心しなさい』と言われた先からのこの状況は。……早速、馬鹿な真似をする人がいましたよ、アストリアスさん。
 でも、その馬鹿が誰なのかとかこんな事をした理由については、この際、置いておく。考えても無駄だ。まずは、出ることの方が先決だ。酸素がいつまでもつか分からない。まあ、でも、そうしている余裕もなかったのか、縛られていないのが不幸中の幸いだろう。
 ああ、そういや、私、痴漢用防犯ベル持ってきていなかったか? 鞄の中に入れっぱなしで忘れていたけれど。というか、こういう事にならないように、用心の為に持ち歩くもんじゃないのか。駄目じゃん。でも、一度も使ったことないし。宝の持ち腐れ。結構、高かったのにな。
 と、すんでしまった事を今更、ブツブツ言ったところで仕方がない。
 んーっ!
 まずは首を曲げて座って、上に両腕を突っ張って押し上げてみようとした。……駄目だ、動かない。
 でいっ!
 次に寝転がって、脚をあげて上に向けて蹴りをいれてみた。……ああ、駄目だ。威力が足りない。
 どん!
 力一杯、拳で側面を叩いてみる。……あー、痛いだけだ。かなり頑丈な木で出来ているな。

 ……ええと。

 内張りの布を触ってみると、つるり、と薄い感触だ。
 何処か破れそうなところはないかな?
 ごそごそと動いて、箱の縁の方に取っ掛かりを見付けたので、指先で引っ張ってみた。
 ちーっ、と高い音をさせて、細く裂けた。そこから更に指を突っ込んで、大きく破いた。
 うわっ! 柔らかい塊が落ちてきて、一瞬、吃驚した。なんだこりゃ、綿か?……元は、割れ物用だったか、衣装でも入れてあったか。綿を下に落して、直に、蓋となっている木肌に触れてみた。
 う、一枚板だ。しかも、かなり硬い材質だ。これはどう頑張っても、私の力では割り破れないだろう。
 しかし、形状からして、下の箱部分との繋ぎめの部分ならば、まだ望みはあるかもしれない。蝶番によっては、壊せる可能性はある。
 ビリビリと布を裂いて破り、片側、側面を板を露にした。触って確かめると、一ミリぐらいの細い隙間がある。溝に沿って指先を滑らせても、端の方までなんの引っ掛かりもなかった。て事は、こっちが箱の正面にあたるのか? いや、外側に金具が取り付けられている場合、どちらでも有り得る。
 しかし、これだけの隙間があっても湿り気がないところを見ると、水に沈められているわけではないらしい。少なくとも、溺死は免れたようだ。
 かと言って、安心するのはまだ早い。土に埋められた可能性もある。これも悲惨だ。土の重みで箱が開かない可能性が高い。そして、窒息死だ。よほどの事がない限り、死体は永久に見付からないだろう。
 ……ああ、もう、やんなっちゃうなぁ。苦しんで死ぬのは嫌だよ。そんな死に方するほど、前世でよっぽど何か悪いことしたのかなぁ、私。……あー、涙出てきた。
 でも、今は泣くより先に、もう一方の側面も見てみよう。
 同じ作業を繰返した。
 すると、こちら側もそう変わらない様子だ。でも、ぺたぺたと周囲を触っている内に、端の方の上下に突起部分を見付けた。もう、一方の端にも同じような突起があった。どうやら、こっちが裏面らしい。
 さて。注意深く突起部分を触ってみる。ひやり、とした硬い感触は鉄製だ。箱の外側に金具をつけて、内側で留めてあるらしい。一枚の四角い板の上に小さな半円の感触が四つあった。それが、上下ふたつずつ。指先でそれぞれをこすってみたが、歪みもなにもない。完璧なまでの頑丈さだ。隙間にひっかけた指の爪の先が痛い……ううっ!
 下の金具部分に狙いを定めて何度か蹴ってみたけれど、小さく木が軋んだ音をたてたぐらいだ。
 なんだよ、これ。万事休すじゃないか!
 そして、私はコイン一枚すら持ちあわせていない。あるのは、この身体と、服と靴と、裂けた布と綿だけ。
 それでどうしろというのか? 無理だ。何もできやしない。
 身体中から力が脱けた。空腹と、あと、やはり、酸素が足りなくなってきている。少し、息苦しくなってきた。
 そのまま綿の積もる床に、横に転がった。
 そして、考える。
 私がいなくなった事に気付く可能性は?
 それは、ある。私の姿がない事に誰かかしらは気付くだろう。そして、それをアストリアスさん達が知った時、拉致された可能性を考えるだろう。ただ、それがいつになるか、が疑問だ。
 グレリオくんが書類を届けに来た時、運が良ければ気付いて貰えるだろう。しかし、たまたま外出中と思われるかもしれない。
 アストラーダ大公殿下は、私が訪れない事に多少は変に思うかもしれないが、また、仕事が忙しくて来れないのだろう、と思うだけかもしれない。
 ああ、訓練に行かないと、そこで気付いて貰えるかな? でも、ランディさんだったら、急用で来れなくなったと思うかもしれないな。
 カリエスさんの方が気付いて貰える可能性が高い。でも、カリエスさんに教えて貰う日って、三日後の予定なんだよな。
 誰か探しに来る可能性は?
 ないとは言い切れないが、薄いだろう。探したところで、見付かる可能性はすくない。
 ええと、誘拐で二十四時間以内に見付からないと、生存率は五十パーセントまで下がるんだっけ。実際、この状況でどれだけ生きていられるか分からないな。
 酸欠か、餓死か。
 人間、一週間、水を飲まないと死んじゃうんだっけ。内臓の機能不全とかで。その死に方も嫌だなぁ……ん? 何か音がする。
 耳を床板に当てる。たん、たん、と微かに叩く音が聞こえた。しかし、それは底から聞こえるものではない。転がって、側面の方に耳を当ててみた。すると、僅かに音は高くなって微妙に不規則な拍子をとっている事が分かった。これは……水の音? 小さな波が叩いている?
 とすれば、ここは波打ち際だ。海辺か、川辺か。おそらく、川辺。
 何故、こんなところに?
 川に放り込んで溺死を狙ったが、流れに乗って運良く打ち上げられた? では、ここは外か!
 でも、暗いという事は、今は夜って事か。
 だったら……まだ、可能性はある。通りすがりの誰かに見付けてもらえるか……いや、待て。確か、持っていなかっただろうか?  私はズボンのポケットを探った。そして、底の方に細長い感触を見付けた。
 ライターだ。ランプの灯を点けたりするのに便利だから、いつも持ち歩くのが癖になっている。煙草はなくなってしまったけれど、燃料はまだ残っていた。
 布と綿。火を焚く材料としては充分。そして、箱は木製。
 でも、上手くいくのか? 箱が燃えるより先に一酸化炭素中毒で死んだりしないか? 火傷を負って、死んだりしないか? 酸素ばかりを消費して死期を早めるか……いや、でも、どの道、このままでも死ぬ可能性の方が高い。

 だったら、やってみるまで。

 私は、足下の方の狭い側面に布と綿の塊の山を作った。そして、ライターで火を点けた。真っ暗だった箱の中が明るくなり、綿屑の山がめらめらと勢いよく燃え始めた。
 もう一方の側面に出来るだけ身体を寄せ、身を低く縮みこませた私のところまで、熱気が届く。
 思った以上に煙が凄い。できるだけ吸い込まないように口を手で押さえ、目は細めて、炎が広がっていく様を眺める。
 オレンジ色の炎が箱側面に沿って伸び上り、あっという間に蓋の天井まで届く高さになった。じわじわと木箱の表面を焼き焦がし、燃え移っていった。だが、思っていたよりも炭化が遅い。
 ああ、炎が天井を舐めながら、こちらまで伝ってくる。でも、あともう少し。ぎりぎりまで焼き焦がす。
 息が苦しい……熱い……目が痛い。開けていられない。
 でも、あと、もうちょっとだけ。限界まで燃やす。
 ……ああ、もう駄目だ。これがギリギリ限界!
 私は炎に向けて、思いきって、脚を蹴りだした。熱っ!
 でも、我慢して、もう一回!
 ばりっ、と音がして、脚が外に突き出た。やった!
 流れ込んできた空気の勢いに、一瞬、火勢が増し、私を焼こうと舌を伸ばす。だが、そのまま何度も繰り返し、板を蹴り続けた。
 薄暗い外が見えた。予想通り、すぐ傍を川が流れているのも分かる。燃やす物をなくして小さくなった炎の間を、急いで四つん這いになって出た。

 ぷわっ!

 出た途端、思いっきり肺に外気を吸い込んで、噎返った。咽喉いてぇっ! 苦しいっ!
 げほげほげほげほげほ、うぇっほん、げほげほげほ……うぇっほっ!
 酸欠になるかというぐらいに咳き込んでえづきながら、涙目になって水際まで這った。そして、そのまま突っ伏して倒れた。
 繰り返す咳は、次第に収まってくる。
 涙やら、鼻水やら、涎やらで顔中べたべただ……でも、まだ、生きている。死なずにすんだ……
 ぱちぱちと木の爆ぜる音と、川辺に寄せる波のちゃぷちゃぷとした音が聞こえる。
 仰向けになって寝転べば、降り落ちてきそうなほどの満天の星空が見えた。
 ああ、脚、痛ぇ。ひりひりする。少し、火傷を負ってしまったようだ。でも、制服がウールだからまだ良かったんだよな。
「冷やさなきゃ」
 顔も洗わなきゃ。水も飲もう。
 私はのろのろと身を起こし、それらを始めた。




 << back  index  next >>





inserted by FC2 system