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 たった一日だけの道行きでお互いの距離感も掴めない状態ではあるが、それでも、多少の交流はある。少しだけれど、他の人達とも少し言葉を交わすことも出来た。
 夕方、きょうのキャンプ地だという高台の草原で、私は一度、馬車を下りた。
「ほらよ。食べな」
 緑色のバンダナに似た布を頭に巻いた兄さんから、パンとシチューの入った皿を受け取った。
「ありがとう」
 兄さんは近くにあった岩の上に腰掛けて食べ始めた。そして、暫くののち、ぼそり、と言った。
「あんた、ちっとも巫女らしくねぇな」
「……巫女と違いますから」
「そうなのか」
「はい」
 好奇の混じった、様子を窺う視線だけは感じた。
「でも、目の色が黒いじゃねぇか。城が探しているってのもそのせいじゃねぇのか」
「黒いのは目だけですから。言うなれば、ハンパ者です。だから、城の方も扱いに困っているってのが本当のところで」
 正直に答えると、兄さんの周囲の空気が和らいだ。
「タチアナが、あんたは俺達と同じ匂いがするって言ってた」
 見れば、兄さんは苦笑を浮かべていた。
「ふうん、ああ、でも、そうかもしれませんねぇ。私も帰る国があるわけでもないですから」
「ランデルバイアの民ってわけじゃないのか」
「違いますよ。ずっと遠い国です。もう帰ることもできないほど遠い」
 そう口にしてから、まるで人の同情を求めて自分を哀れんでいるような気がして、言ったことを後悔した。
「そのお陰で、周りも吃驚するほどしぶとくなりすぎて。だから、巫女って柄じゃないんです」
 軽口で補えば、はは、と笑い声が立った。
「たしかにその恰好は大事にされてるって感じでもねぇな」
 んだ。
 改めて自分の恰好を見てみれば、酷いもんだ。二日間森を彷徨っただけあって泥だらけだし、焼け焦げも残っている。木の枝に引掛けて破れもしている。畜生。おニューだったってのに、見る影もない。それに、五日間も風呂どころか湯浴みさえしていないから、かなり臭いんじゃないのか? そこらの浮浪児とそう変わらない有り様かもしれない。
 と、そこへタチアナさんがやってきて、いきなり兄さんを小突いた。
「こおら、リト! お客人を口説いてんじゃないよ!」
「ばっ、そんな事するかよ!」
「ごめんねぇ、変なこと言わなかったかい、こいつ」
「変なこと言ってんのはてめえだろうが! なに勘違いしてんだ! 大体、てめ、それが座長に対する態度かよ!」
「だって、あんた女の子とみりゃあ、口説くか、からかって苛めたりしてるじゃないか」
 あ、女って分かったんだ。こんな恰好してんのに。
「タチアナさん、なんで女って分かりました?」
 唐突な私の質問に、じゃれていた姐さんと兄さんは不思議そうにこっちを見た。
「なんでって……そんなの見れば分かるじゃないか。ねぇ」
 同意を求めるタチアナさんにリトさんも、うん、と頷く。
「それとも、ひょっとして、チンチンついてんのかい」
「いや、ついてませんけれど」
 時々、あった方が良かったんじゃないかとは思うけれど。
「結構、間違う人が多いから、なんでかなって」
「さあ、間違う方が不思議だとあたしは思うけれど」
 ふうん……アストラーダ殿下もすぐに分かったみたいだし、なんだろうな、この差は。ま、いいや。
「あの、タチアナさん。お願いがあるんですけれど」
「なんだい」
「図々しいお願いかもしれませんけれど……後で、もう一度、踊って見せてくれませんか」
「そのくらい、いいけど。なんで、そんな改まって」
 いや、ちょっと照れるんだけれど。
「今日、初めて見せてもらったんですけれど、凄くよかったから、もう一度、観たいなって。久し振りに感激したんです。これまで、たくさんの踊りを観た事があるってわけじゃないけれど、それでも、これまで観た中でいちばん良いって感じたから。今度、いつ見れる機会があるかも分からないし、今のうちに、もう一度、見ておきたいなって思って」
 素直に思ったままを言った。二度と会えないかもしれない人達だ。変に遠慮して、機会を失いたくなかった。
 呆気にとられたような顔が、こっちを見ていた。
「……ちょっとぉ、リト、今の聞いたぁ」姐さんは兄さんを、また小突いた。「なによ、この子。滅茶苦茶嬉しいこと言ってくれるじゃないの! そんな事、言われたら、あたしの方が感激しちゃうわよ!」
 そう言うと、私に抱きついてきた。
「あんなんで良ければ、幾らでも踊ってみせてあげるわよう! 百回でも、千回でも、倒れるまで踊ってみせちゃう!」
「いや、そこまでは結構なんで」
 ぎゅうぎゅう両腕と胸に圧迫されて、苦しいぐらいに抱き締められた。……うわあ、乳でっか! EとかFとか? ううん、パフパフ。
「遠慮しなくてもいいわよう! 幾らでも観てって!」

 ふいに、ああ、そうか、と思った。答えが落ちてきたような気がした。

 アーティスト魂は、この世界にも生きているんだなぁって思った。
 お金とか、肩書きとかよりも大事なものを持っている人達。
 この魂にいちど触れてしまうと言い様もなく心地良くて、離れがたくなってしまう。私が弱小の広告代理店なんかでぴいぴい言いながら髪の毛逆立てて働いていたのも、稀にそういうものに出会ってしまうから。だから、やめられなかった。無名の、業界の片隅にひっそりと生きているようなその人の奥に、息づく密やかな魂。気概とも矜持とも言えるそれは、世の中になんら影響を与えなくても、私にはかけがえのないものを与えてくれた。

 ……ああ、報われた。

 その時、生き残れたことに、やっと、そう思う事が出来た。
 その夜が更けるまで、誰もいない野原の片隅で小さな祭りが開かれていた。私はたったひとりの観客として、心ゆくまでそれを愉しんだ。
 タチアナ姐さんの踊りは、やっぱり最高で素敵だった。
 私はこの夜の事をずっと忘れないだろう。多分、死ぬまで。……そう感じた。

「ところで、名前をまだ聞いてなかったね。なんていうの?」
 ああ、警戒して名乗りもしていなかったか。タチアナ姐さんに言われて気付いた。
「カスミ・タカハラっていいます」
「カス?」
 頼むから、それは呼んでくれるな。
「カス、カスミン、キャスミン……?」
 いや、それもジャスミンみたいで可愛いけれど、なんか可愛すぎるし。
「……キャスって呼んで下さい」

 どうして、たった三文字がみんな発音できないんだ!?




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