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 そこからアストリアスさんの執務室へ移動。
 椅子に落ち着いて、さて、とゆったりとした表情でアストリアスさんは私を見た。
「本当に無事で良かった。正直に言って、絶望視もしていたんだ。二度と君に会うことはかなわないとね」
「ああ、そうでしょうね。私もよく生きていたと思います」
 私も殿下に話しながら振り返ってみて、改めてそう思った。奇跡的とさえ言える。それでなけりゃ、頭のネジが大量にぶっ飛んでたんだな。でも、まあ、人間やる気になれば、案外、何とかなったりするもんなんだなあ。
「今回の件については、あきらかにこちらの判断が甘かったことに原因がある。謝罪する」
「……私がいない間、こちらでは何があったのですか。騒ぎになったと聞きましたが」
 その質問に、アストリアスさんは、うん、とひとつ頷くと教えてくれた。

 私が行方不明になったと気付いたのは、拉致られた次の日の午前中だったそうだ。
 その日の乗馬の教官役だったランディさんが、私が姿を見せないことに、まず、おかしいな、と思った。
そして、私の書斎まで来たところで、アストリアスさんに頼まれて書類を届けに来たグレリオくんに行き合って、いなかった、と聞いた。
 ひょっとして病気で倒れているのではないか、とふたりは思い、鍵のかかっていた私の寝室の部屋の戸を合い鍵で開けてみたが、当然、もぬけの空だ。
 それからカリエスさんにも声をかけて、城内を探し回ったそうだ。
 神殿も覗いてアストラーダ殿下にも問合せてみたが、誰も昨日から私の姿を見ていないことに気付かされただけだった。
 その時点でアストリアスさんに報告がなされ、アストリアスさんは、騎士団長のルスチアーノさんに騎士による城内全域の捜索を指示。その過程で、昨日、ふたりの兵士が、私の書斎から不審な大きな箱を運び出している様子が、通りすがりの別の兵士に目撃されていたと知った。
 箱を運んでいたふたりの兵士が誰かは分からなかった。が、その箱は裏口から城外へ持ち出されたところまでは確認できた。そして、その他に不審人物は見付からず、おそらく、そのふたり組みの兵士によって私が拉致されたのだろうという結論に達した。
 ここまでで、大抵、騒ぎは大きくなっていたのだが、そこから、アストリアスさんはエスクラシオ殿下にその旨を報告。指示をあおいだ。
 既に私は城内より連れ出されているであろう、という話しから、殿下は全兵士を総動員してのアリバイの確認作業と共に広範囲な捜索を命じた。兎に角、なんとしてでも探し出せという事になったらしい。それで、怪しいふたり組みの兵士の足取りを追い、城門の検問から街の入り口の検問まで騒ぎは広がった。
 身分を問わず、都中の馬車という馬車が調べ尽くされたらしい。タチアナ姐さんが私の話しを聞いたのは、この時だろう。
 しかし、私は見付からなかった。生きているのか、死んでいるのかすら分からなかった。
 殿下は私が死んでいるなら、死んでいるという証拠が見付かるまで捜索を続けることを命じ、更に、国内の検問という検問にその旨を伝達。私が帰ってくるまでそれが続いていたそうだ。

「王城内で、しかも兵士たちが大勢いる区域でそんな事が起きたという事自体、大問題だよ」
 アストリアスさんは声も渋く言った。
 そうだろうな、と思う。今回の被害者は私だったわけだが、同じような手口で不審人物の侵入を許し、王族が害される可能性まであるという事実が発覚したのだから。
 それもあって、関係のない貴族たちにまでこの噂は広まってしまったそうだ。
「今回の件によって、国王も事の重大さを認識され、改めて警備体制の見直しが計られることになった。今後、より厳重な警備が敷かれることになるだろう」
 ああ、そりゃあ大事だな。でも、結果としては、良かったんだろうな。
「私を攫った兵士のその後の消息の見当ぐらいはついたのですか」
「それが残念ながら、まだなんだ。まったく、情けない話しだ。本物の兵士であったのか、ただ装っていただけなのかも分からないのだからね」
「けれど、それにしたって実行犯で、誰が命じたかまでは分からないんですよね、きっと」
「そうだね。その可能性は高い」
「でも、先ほどのお話では、フィディリアス公爵って方の可能性が出てきたって事ですよね。何者なんですか、そのフィディリアス公爵って」
 めっちゃ身分が高い人だろうとしか分からない。ところが。
「そうだな。君には聞く権利があるな」、とアストリアスさんは顎髭を触りながら、深刻そうな表情を浮かべ言った。
「フィディリアス公爵家はランデルバイアでも名門の大貴族でね。現在、政治上、重要な位置におられる方だよ」
 はあ、なんだか、私とは関係なさそうな人だな。
「じゃあ、万が一を考えて、私の死体だかが見付かった時には罪をなすりつけようと、犯人が画策したとも考えられますよね」
「……そうだね。その可能性も含めて、捜査は続けられるだろう。しかし、万が一、公爵であったにしろ、公爵の政敵が首謀者であったにしろ、相応の身分の方だろう予想がされる事からも、手が届くかどうかは、正直、分からない」
 政治的判断で打ち切る可能性もあるって事か。
「そうですか」
 でもな……アストリアスさん、そのお顔はまだ何か隠してませんか?
「そんな理由で君には申し訳ない事にはなるかもしれないが、殿下がおっしゃられる通り、今後この件についてはすべて私達に任せて欲しい」
「……私になにが出来るわけでもないですから。全部、お任せします」
 容疑者が見付かったとしても、科学捜査もないこの世界では証拠を掴むことさえ難しいだろう。
 私が頷くのを見て、アストリアスさんは、ほっ、としたように顔を綻ばせた。
「ところで、今の部屋は気に入ったかい。何か不都合はないかい」
 は?
「ああ、はい。過分なほどによくしてもらっています」
 メイドさん達に過保護にされてます。
「そう。それは良かった。今後、あそこが君の仕事部屋兼生活の場となるから、そのつもりで。今頃、君の荷物はすべては運ばれている筈だ」
 えーっ?
「私なんかに良いんですか。あんな奇麗な部屋をあてがってしまって」
 あんな上階の。身分的にマズイんじゃなかろうか。
「君の安全により目を行き届かせるにも必要だと殿下がご判断された。あそこの警備の責任者はランディだから、何があったとしてもすぐに彼が駆け付けるから君も安心だろう」
「ああ、そうなんですか。ああ、でも、えーっ?」
「元々、殿下のお部屋の一部で使われていない部屋だったから、気にする必要はない」
 ええっ!?
「殿下のお部屋って……」
「うん、あの階、東側の並び全部が殿下の私室になっているから、普段、廊下などで殿下とお会いするだろうし、あと、他の王族の方々がお通りになる事もあるから、礼儀だけは心得てくれ」
 おおい……あー、なんか、前も同じパターンがあったような。酷い目にあう度に、居住環境がグレードアップするってどうよ?
「現実問題、今回の騒ぎで君の存在が広範囲に知れ渡ってしまった。その為、より警備を厳しくする必要が出てきた。それを含めて、今後、君の行動の制限もさせて貰う旨、了解してほしい」
「という事は、これまでよりも自由に歩き回れなくなるって事ですか」
 その質問には、アストリアスさんは眉尻を落して微笑んだ。
「多少はね。でも、代わりに、ランディやグレリオが付き添う条件でなら、少しの外出は認めよう」
「外って、お城の外に出ていいんですか」
 ほんと?
「場所は一箇所に限られるけれどね。君の連れてきた旅芸人の一座、なかなかの評判のようだ。あの、タチアナと言ったか、踊り子が特に見事だと大勢の者が見に訪れているそうだ。ひと月ほど滞在する予定だそうだが、君も会いたいだろう」
 わお! 姐さん、よかったぁあ! ぜってー、イケるって思ってたもん!
「有難う御座います!」
「……ようやく笑ったね」
 アストリアスさんが、やけにしみじみと言った。
「君がここに暮すようになってから、笑うことをしなくなったからね。その癖、私達に何かして欲しいとなにひとつ我儘を言おうともしない。それが君なのだとしても、少々、気掛かりでもあった。或程度、君の自由を確保する為に良かれと思い、これまであのような環境に置いていたが、結果、危険な目にもあわせてしまった」
「ああ、すみません。御心配おかけして」
 我儘言って可愛い年じゃないし、立場的に我慢もしょうがないと思ってたから。
「でも、そのお陰で出来た事もありますし、タチアナさんたちとも出会えたわけですし、アストリアスさんたちにはとても感謝しています」
「君はいつもそんな言い方をする。でも、これからは、もう少し我儘を言って欲しいね、仕事以外の事で。それで出来るだけ笑っていて欲しい。せめて、私達が君を束縛している後ろめたさを感じずにすむ程度には」
 と、笑顔のない吐息が答えた。
 笑えってか。難しいこと言うなぁ……でも、まあ、言わんとする事は分かる。
「善処します」
 そう答えたら、アストリアスさんは、うん、と静かに頷いた。

 要は、言いたいことがあるんだったら、取り敢えず言っておけ、って事だ。
 人同士の距離の取り方は、どの世界であっても難しいらしい。
 それで、ひとつ許可されるか訊ねてみたら、オッケーが出た。
 そんな訳で、私はアストリアスさんの執務室を出て、久し振りに東の神殿へ向かった。




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