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 事の起こりは、ひとつの噂だ。
 私が蛇を叩き殺して食った、というもの。まあ……些細な内容だ。
 私はそれをランディさんから聞いた。最初、それを聞いた時、私は事の重大さに気付くことなく、そのまま放置するところだった。だが、それから二日ほど経って仕事をしている最中、ふ、とその事に気が付いた。
 急いでランディさんに確認すれば、騎士仲間のひとりから聞いたと言った。
 私は焦った。
 私が蛇を食べたのは事実だ。拉致られて殺されかけたところをなんとか生き延びて、城から遠く離れた場所から自力で帰る途中、ほかに食べるものもなく、やむなくやった事だ。
 それがどうした! ナマコを初めて食った人間より、インパクトはなかろうよ! 悪いが、私はそこまでチャレンジャーじゃねぇぞ。
 しかし、問題はそんな事じゃない。
 どこからそれが洩れたか、だ。
 私は、それを上司であるエスクラシオ殿下に事の次第を報告する際に、一度だけ話した。同席したのは、アストリアスさんとカリエスさんだ。
 最初、私は、申し訳ないが、カリエスさんを疑った。
 それより以前、アイリーンという女の幽霊が私に取り憑いている、という噂が出た時にも、話した初っぱなのその場にカリエスさんはいたからだ。
「カリエスさん、お話があります」
 私はランディさんからその話を聞いて、本人に問い質すことにした。
「キャス、どうした。目が吊り上がっているぞ」
「当り前です。事と次第によってはただじゃ済みませんから」
 そうして、話を洩らしたか、誰に洩らしたのを訊いた。
「そんな真似はしない」
 カリエスさんは、きっぱりと言い切った。
「面白がるにしろ、悪戯に君の存在を広めては警備が難しくなるだけだ。そんな真似はしない」
「絶対ですね。絶対、誰にも話していませんね。家の人や、友人や、馬丁や下の兵士にもちらっとも話していませんね」
「タイロンの神かけて誓う。嘘ならば、魔王エクロスに舌をくれてやってもいい」
 神妙な顔つきで言うカリエスさんを一睨みし、私は強張りを解いた。
「じゃあ、誰が話したっていうんですか。まさか、アストリアスさんか、殿下が洩らしたとでも言うんですか」
 それにはカリエスさんは暫く考える様子をみせてから、いや、と言った。
「もうひとりいる」
 そうして、私を伴って、エスクラシオ殿下の執務室へと向かった。
「失礼します」
 予告なく部屋に入ってきた私達に私の上司は驚いた様子もなく、執務机の向こうから無表情に見やった。
「何事だ」
 短く問う声も深く、落ち着いたもの。
「はっ、突然で失礼とは思いましたが、急ぎ殿下の秘書官であるザグラル男爵に確認したき件あって、伺わせていただきました。宜しければ、この場にて本人に質問することを御許可頂きたく」
「……フィリット、こちらへ」
 殿下に呼ばれて、部屋の隅のデスクについていた男性が不思議そうな表情をして出てくる。
 そうだ、この人がいた。話には加わらないが、常に殿下の傍で補佐をしている。
 殿下はフィリットと呼び、カリエスさんがザグラル男爵と呼んだその人は、中肉中背の金髪に灰色の瞳の持ち主で、容姿としても普通。特別、目立ったところがない。騎士団の制服とは違う水色の上衣と膝丈のパンツと、かつらこそ被っていないが、中世貴族のような服装をしていた。上衣の袖口から、下に着ている白シャツのひらひらとした袖が覗いているところが、なんとなく気取った感じがした。そう思ってみれば、顔もどことなくすまして見える。
「有難う御座います」、とカリエスさんは殿下に一礼したあと、殿下の秘書官に向き直った。
「先日、この部屋で行われた、ここにいるキャス・タカハラの誘拐事件に伴う自身による報告についてだが、君は、その一部内容を他者に洩らしたか」
 それには、殿下も眉をひそめる。
「いいえ、とんでもございません」
 僅かな乱れ髪を指先で撫で付けるような返答があった。
「如何なる内容であれ、ここで話された事を外に持ち出すような真似は致しません」
「その言葉に嘘偽りはないか」
「はい」
「では、現在城中にて、キャス・タカハラが『蛇を叩き殺して食べた』という噂が流れている件についても、まったく心当たりがないというわけだな」
「はい。まったく」
「そうか。有難う、ザグラル男爵」
「いえ」
 あれえ、じゃあ、誰よ。まさか、アストリアスさん……って、そんなわけ、いや、まさかなぁ……
 と、見れば、珍しくもエスクラシオ殿下が難しい顔をして考え込んでいた。
 カリエスさんは、殿下に向き直ると問い掛けた。
「殿下には、お心当たりございますか」
 いや、と短く首を振り、そして、答えた。
「この件については、私が預かる」
 なんだとう。
「お心当たりがあるのですか」
 ムッ、とする私からの再度の問いの前に殿下は表情を消し、黙秘した。
「もし、これで例の工作に関する事項も洩れてたならば、どうなりますか」
 事の重大さはそこにある。軍内部の方針、作戦、すべての事細かな内容がこの部屋で語られる。私が立案する作戦も。それが、敵国に洩れでもしたら由々しき問題だ。
 昨日だって、頭掻きむしって徹夜して、目の下に隈こさえて考えているこの努力も、パーだ。おじゃんだ。元の木阿弥だ。
「まだ、そうと決まったわけではない」
 私の上司は冷ややかに答えると、「引き続き、己の務めに従事しろ」と私に命じた。

「あれはどう言うことですか」
 執務室を下がったのち、自分の書斎へと送ってもらいがてら、途中、私はカリエスさんに訊ねた。
「誰が洩らしたか心当たりがあるという風に取れたのですが」
 すると、うん、とやはり、言葉を濁すような頷きがあった。
 恐ろしく厭な感じの、苛立ちを呼ぶような答え方だ。もやもやとした感覚ばかりを残す。
「殿下がああおっしゃられたからには、このままにしておく事はあるまい。キャスは心配せずに自分の仕事をすればいい」
 御親切にも、そのまま蚊帳の外へ放りだされてしまった。
「……はい」
 ごねたいところを堪えて首肯する。
 これまでも何度かあった事だが、こういう時、彼等はきまって私をなにも知らないこども扱いする。まるで何かを見せまいと、明後日の方を向かせようとする。どう訊ねようと、ごねようと、その理由を絶対に教えてくれない。そうして、何度か繰返すうち、私にも分かる事だってある。
 多分、彼等にとっても厄介な相手がその裏にいる可能性があるのだろう。そして、それは意図的な行為であったりもするのだ。そして、権力闘争というものがその影にあるのだろう。
 だとすれば、私の出る幕はない。元より関係のない話であるし、私ひとりが喚いたところで、指先でぷちっと潰されておしまいだ。だから、大人しくする。
 実に、つまらん。馬鹿馬鹿しい。
 大きく鼻を鳴らす私の肩を、カリエスさんはひとつ軽く叩いた。




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