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 その次に来たのは、またもやコランティーヌ妃からのお使いだった。
 世話になった礼だと言って、奇麗な細工のガラスペンを頂いた。
 いや、実に気が利いている。奇麗だ。勿体なくて使えないほどに。いや、実際に使うもんじゃないんだろうな。
 てか、これでエスクラシオ殿下の為に仕事しろって暗に言ってんだったら、筋違いもいいところだぞ。君のせいで、どれだけ仕事の遅れが出たのか、分かってんのか?
 私の中では、国一番の美姫も、既に疫病神になりつつある。

 げっそりしながら、それでも、今日の仕事の遅れを少しでも取り戻そうと書類を手にしたところで、メイドさんが大慌てで、
「陛下がおみえにっ!」
 うおおおおおおおおおい! ……もう、知らんわ。
 千客万来。ついには、最高権力者までお出ましだ。恭しくも扉が開けられて入ってくる姿を前に、額ずいてお迎えする。
「よい、気にするな」
 ひと月振りに見た御尊顔は御機嫌麗しく、美形度合いも変わりなく、三十六才という年齢を感じさせないものだった。
 でも、それを前にしても私は、ちぃーっとも嬉しくもなんともない。本当は有り難く思わなきゃいけないんだろうが、今はそんな気がぜんぜん起らない。
 けっ、である。気分は荒みきっている。
 ぞろぞろと六人も騎士がついてまあ……広いはずの部屋が狭苦しく感じる。うぜぇ。
「本日はコランティーヌが世話になったと聞いた。吾からも礼を言う」
 用意された椅子に腰掛けて、ランデルバイア国アウグスナータ王は頭を下げる私を前に言った。
「勿体なきお言葉、いたみいります」
「……というのは、表向きの理由だ。吾としても、そなたがどうしているか気になっていた」
 はあ。
「顔をあげて、楽にしていいぞ。私的な訪問だ。畏まらずに話したい」
 崩した言葉遣いから無礼講という事らしい。とは言っても、限度はあるが。
「では、失礼して」
 私は敷かれていた絨毯の上に正座した。
 それを見て、陛下は微笑んで言った。
「先日のそなたの一件、耳にしたが、大事なく良かった。遅くはなったが、吾からも詫びを言おう」
「いえ。陛下にお気遣い頂くほどの事ではありません。こうして無事でいますし」
「であったとしても、城内で起きた事は吾に無関係ではあるまい。弟の至らなさがあっての事だとも聞く。詫びをいれるに、充分、値するだろう」
 ええと、それを言いにわざわざ?
「それに、かねてより弟達が世話になっている。あれ等の相手をするのは大変だろう。元より難しい気性の者達だ。吾にしても手を焼く事がある」
「いえ、滅相も。私こそお世話になりっぱなしで、申し訳なく思っております」
 なんだ?
 首を傾げる私に、陛下は、にやり、とした笑みを浮かべた。
「不思議とクラシェウスもディオクレシアスもそなたについて話す時は、ついつい本音を洩らす。面白いものだ。それだけで、そなたについての選択に間違いはなかったと言える」
「はあ」
「今後も、特にディオクレシアスの方だが、色々と世話もかけようし面倒もかけると思うが、宜しく頼む」
「いえ、こちらこそ宜しくお願い致します」
 頭を下げる。なんか良く分からんが、取り敢えず下げておく。
「今後、弟たちの事でなにかあれば、吾も力添えしよう。なんなりと遠慮なく申し出るが良い」
「有難う御座います」
 だったら、てめえらのオンナの事で煩わすな……とは言えない。こういうところが私も日本人だ。
 と、陛下は椅子から立ち上がると私の直前にかがみ込み、おもむろに私の頤《おとがい》を指先でつまんで上下左右に振って眺め回した。
 ……なにしやがる。
「少し痩せたか。顔色も良くないようだ。どうもアレは女性の扱いがなっていないところがある。無理をさせているのだろう。軍属になったとはいえ、その軍服もどうかと思うな」
「お気遣い無用にございます。この服も動きやすく気に入っておりますので」
 汚れも目立たないし。
「だが、装うこともいずれは必要になろう。髪も伸ばした方が良かろうな」
「女である事は捨てた身です。不必要かと存じます」
「それはディオクレシアスが?」
「私自身もそう望みましてございます」
 命を長らえさせるための代償だ。
「そういう事もあるか。だが、勿体ない話ではあるな。せめて、その雪の如き色の髪は長くすべきであろう、せめて次の冬の季節までは」
「はあ」
 髪を伸ばしてどうなるってんだ。寒いから、防寒の為に伸ばせとでも言うのか?
「戦にその身を捧げるばかりでは、我が国の冬は長過ぎもしよう。多少の気晴らしも必要となる」首を捻る私に、陛下は、ふ、とした笑みを洩らすと立ち上がった。「装う愉しみまで捨てることはあるまい」
 ああ、そういう事か。やっと、分かった。しかし、別に髪を伸ばさなくても、カツラかぶっときゃいいだろうに。ショートカットは楽だよ。頭、軽いし。
「お気遣い有難うございます」
「次には、艶やかな姿を望みたいものだ」
 然様で。って、急に来るからだろうが。ああ、でも、ついでだから頼んでみよう。
「ですが、装うばかりが愉しみとは言えないでしょう」
「ほう。では、何を愉しみとする」
「お許しを頂けるならば、書庫へ自由に立入る事を願いたく存じますが」
 図書室は西側二階にあるが、私は立入禁止になっている。だから、資料を得る為には、いちいちアストリアスさんに頼まなくてはならない。それが、面倒だ。それに、他に知りたい事もある。
 それには、成程、と頷く言葉があった。
「稀少本もある故、すべてを閲覧する許可は出せないが、それ以外ならば許そう」
 やたっ!
「有難うございます。感謝します」
「しかし、書物にも魔は棲む。没頭しすぎては、容色を衰えさせぬよう気をつけるが良い」
 はあ?
「……はい、気をつけます」
 美形にそう言われてもなあ。まあ、いいや。どうせ、社交辞令みたいなもんだろう。
 アウグスナータ王は、もう一度、私に微笑みかけると、部屋を出ていった。
 相変わらず、よく分からん人だ。でも、図書室への入室許可が貰えた事は、唯一、良かったと言える事だろう。
 やれやれ、もう流石に誰も来るまい。あー、でも、あとひとりいるか……でも、まあ、仕事を邪魔するほどの事はないだろう。
 と立ち上がったところで、いつの間に来たやらゲルダさんが近付いてきた。
「直ぐに湯浴みと食事の支度を致しますので、そのままでお待ちを」
「え、あ、でも、仕事が」
「只今の陛下のお言葉をお聞きになられた筈。これ以上、御無理をなされれば、美容にも差し支えありましょう。そうなっては、私共がお叱りを受けることになります。本日はきちんとお食事をお摂りになられ、早めにベッドでお休み頂くようお願い申し上げます。勿論、髪のお手入れもきちんとさせて頂きます」
「でも、あれは社交辞令で、」
「陛下のお言葉は絶対です」
「……はい」
 暗くなくても、やっぱり、こえぇよ。やっぱり、ロッテンマイヤーさんだよ、ゲルダさん。そんなリキまなくたっていいじゃん……とか思っていたら、無表情に睨まれた。
 ああ、ハイジ。さぞかし辛かったろうなぁ。クララも窮屈だったろう。
 結局、今日はそういう日らしい。私は諦めるしかなかった。
「すみません、お酒も頂けますか」
「では、ワインをお持ちしましょう」
「瓶でお願いします」

 飲まずにやってられっかっての!




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