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 お酒は嫌いじゃない。強くも弱くもないと思う。適正な量さえ守って飲んでいれば、結構、気分が良い。
 向こうで暮している時も、夏の暑い日とか缶ビールを買ってきては、ひとりで飲んだりしていた。晴れた日曜日の昼間に呑む酒は、いつもより一割り増しで美味しく感じる。
 でも、接待でのお付合いは嫌だった。意外に上手にお酒を飲める男性は少ないから。無理して飲んで、無理してはしゃいでいる感じの人が多い。でなければ、嫌々、無理に飲まされている人とか。
 別にそうまでして飲む必要ないのに、と感じたりもする。場を盛り上げるためだとか、本音で語りあえるとか言うけれど、あれもどうだか。かえって人間関係悪くするんじゃないかって思う事もしばしば。実際、何回かは厭な思いもさせてもらった。
 付合っているオトコ達とは、まあ、なんとも言えない。その後の事に気が行っているとか、色々と心情的な事の方が、実は面倒臭かった。下戸のヤツもいたし。
 だから、一緒にお酒を飲むんだったら、女の子同士の方が断然、楽しい。そう思ってるんだけれど、どうなんだろうね。

「偶に見に来てみれば、この様か」
 漸く、真打ち御登場。
 食事も終えてだらだらと残ったワインを片付けている最中にやってきた上司は、私の様子を見て眉をひそめた。……いや、男前を見ながらの酒もオツなもんだ。
「来るの遅いですよう。様子を見に来るんだったら、もっと早くに来るべきでした」
 一度、部屋に戻って着替えてきたのだろう黒のシャツ姿に、私は答えた。
「酔っているのか」
「少しだけ。ほろ酔い状態です。今日は陛下のお言いつけで、もう仕事もさせて貰えないので。宜しければ、一杯だけでもお手伝い頂けますか。一本は、私には少し多いみたいなので」
 まったく、とエスクラシオ殿下は口の中で呟くと、私の向かいの椅子に腰を下ろした。そして、机の上の空瓶を取上げると、ラベルを読んだ。
「ダルバイヤ産か。だったら、この前年の方が出来がよい筈だ。この年も悪くはないが」
「へえ、そうなんですか。詳しいですね」
「別に大した事ではない。で、今日は一体、何があった。コランティーヌ妃の訪れがあった事までは聞いていたが、その後、陛下もみえたそうだな」
 メイドさんがテキパキと殿下の為のグラスを用意し、デキャンタからワインを注ぐ横で、眉間に皴を寄せた顔が言う。
「その前にアストラーダ殿下もお見えになりましたよう。それで、色々な事を教えて頂きました」
「色々とは」
「この部屋が昔、こども達の遊戯室だった事や、陣地取りゲームをして遊んだ事や、コランティーヌ姫がいる時に限って殿下が負けたって話や、窓際にチャリオットの定位置があった事とかです」
 すると、余計なことを、と目の前の不機嫌さの度合いが増した。
「おまえは兄上といつもそんな話をしているのか」
「そうですね。あと、なにも知らない私のために裏事情なんかも教えて下さいます。親切な方ですよね。兄弟思いでらっしゃいますし。殿下の事、御心配されていましたよ。『進んで棘の道を行っているようだ』って」
 苛立たしげに、口にするワインの色に比べて茶色味の強い髪が掻き上げられた。
 ああ、そうか。この人の持つ印象は赤ワインにも似ているんだな。苦味と渋味と鉄の味。
「それで、陛下は。何かおっしゃっていたか」
「はあ、表向きはコランティーヌ様のお礼という事でしたが、例の件でのお詫びの言葉を頂きました。あと、世話や面倒をかけると思うが、弟達の事をこれからも宜しく、と。もし、殿下の事でなにか困った事あれば、何でも言えとおっしゃって下さいました。あと、殿下は女性の扱いがなっていないともおっしゃっていました」
 そこまで聞いて、男前の顔が掌で隠されてしまった。
 それを見て、私もついに吹き出してしまう。ああ、楽しい!
「笑い事か」
 笑い声をたてる私に、腹立たしげな言葉が投げつけられた。
「おふたりとも殿下の事を気に掛けられての事です。殿下がまともに相手にされないから、私をだしにしてかまおうとされているんじゃないですか」
 と、尚も笑ってやる。
「知った風な口をきく」
「だって、どう見たってそうですもん。それが嫌ならとっとと身を固めて、『私は一人前です。幸せです』って顔すりゃいいんですよ。独り身でいつも不機嫌そうにしているから心配もされるし、やきもきされるんです」
 私は真顔に戻して言った。
「実際、笑い事じゃないです。お陰で、今日一日、無駄にしました」
 エスクラシオ殿下は嘆息すると、手にしたグラスを傾け、空にした。
 すかさず注がれたさきから、デキャンタの中身も空く。
「なくなったな」
「はい」
「それで、いつ出来る」
「遅れた分を明日に回しますので、邪魔さえ入らなければ、明後日には提出できるかと思います」
「明後日のいつごろになる」
「夕方までには」
「正午までだ。それから審議にかけ夕方までには結論を出す」
「御意」
 その位の時間差なら、なんとかなるだろう。あ、そうだ。
「明日一日、ここの扉に札をかけていいですか」
「札?」
「『仕事中につき、面会謝絶』って」
 それには、「馬鹿者」、と一言で片付けられた。
 けっこう本気で言ったんだけれどなあ……残念。

 ふたりともグラスが空いたところで、エスクラシオ殿下は席を立った。
 一応、扉までお見送りに出る。その時に、酔いの力も借りて言ってやった。
「事情はお察ししますけれど、勝手に誤解されて巻込まれるのはご免ですから、早い内に元婚約者の方とはちゃんと話し合うなり、ケジメつけるなりなんなりして差し上げて下さい。午前中には、戦勝祈願のために聖堂の方にいらっしゃるそうなので」
 向けられる広い背からはその答えはなく、「さっさと寝ろ」、とだけ言われた。
 まったく、男ってやつは! こういうところは、ルックスもなにも関係ないんだな。
 ……いや、でも、女もか。それからのゲルダさん達からは、どこか恨めしそうな、心配そうな、気の毒そうな、複雑な感情の入りまじった視線を感じた。

 みんな、私のことは放っておいてくれ!




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