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 夕暮れの空が濃くなってきて、帰宅の時間。
 祭りは夜も続いているが、身の安全の為に早く帰りましょう、だ。お腹も空いたし。
「ひとつ訊いてもいいですか」
 ゆっくりと坂道を上りながら、私は隣を歩くアストリアスさんを見上げた。
「なんだい」
「アストリアスさんは、ずっと私を女性として扱って下さっていますよね。私が殿下の下で働くことになっても変わらず。どうしてなのですか」
「君は女性だろう。そうする事になんの不思議があるんだい」
 当然のように返答がある。
「まあ、そうなんですけれど。でも、私は今後、女性として生きることはないですし。死んでもいい、と思ったら別なんでしょうけれど。なのに、アストリアスさんからはいつも、女性である事を忘れるな、と言われているような気がします。そうされる事の意味が良く分からないんです」
「女性扱いされるのは嫌かい」
「んー、嫌とかそんなのではないんですけれど、ただ、そうやって甘やかされていると、流されてしまいそうになります。気が緩んでしまうというのか。その内、誰かを好きになってしまうかもしれない、とか思ったりします。そうなった時、辛くなるのが分かっていますから……少し、困ります」
「君は……そうだな。座って話そうか。こちらへ」
 そう促されて道から外れ、高台にある小さな公園へと導かれた。広い暮れなずむ空と未だ賑わう街が見下せる。
 その一角にある小さなベンチへと誘われ、すかさず広げられたハンカチの上に腰を下ろした。
「有難うございます」
 アストリアスさんは私の隣に座ると言った。
「キャス、私にはしばしば君が無理をしているように感じる。こういう言い方は君には失礼かもしれないし、気を悪くされると困るのだが、いつも気持ちを押し殺し、君が本来持っている性質などを歪めてしまっている気がしてならないんだ」
 ああ、そういう風に見えるのか。
「私はそんなに無理はしていませんよ。アストリアスさんがそう感じるのは、多分、民族性の違いだと思います。元々、私の暮していたところでは、言いたい事をすべて言って良し、とするものではないので。狭い場所に大勢の人間が暮しているようなところでしたから、皆が少しずつ遠慮する事で喧嘩が回避できればそれに越したことはないって感じなんです。だから、アストリアスさん達には無理しているように見えるかもしれませんけれど、私にとっては普通なんです。性分というのか」
 加減が出来ずに破裂しちゃう人も多いけれど。
「それでもね」、とアストリアスさんは静かに言った。
「君は女性である事は間違いないわけだし、それを捨てさせるのは忍びないと私は思っているのだよ。これから先、誰も愛さないと決めつけるには君はまだ若いし、魅力的でもある。それに、なにより寂し過ぎる」
「寂しい……ですかねえ」
 その辺の事はよく分からない。魅力的かどうかは首を傾げるけれど。ただ、今のところ、ひとりでいるのが苦痛じゃない事は確かだ。
「価値観の相違というのか。ただ、女性として扱われなくとも、私自身はそんなに変わらないと思います。これまでもそうでしたから」
 コランティーヌ妃みたいに、ひとりの人に執着する方がずっと怖いと思う。ストーカー一歩手前って感じで。
「それに、私が妊娠しちゃった時の方が困るでしょう。それこそ、この国が戦場になります。私は自分ひとりの我儘でそんな事にはしたくないです。とは言え、そうなってしまった時、死ねるかどうかも怪しいもんですし、改めて処刑されたりするのは怖いから嫌です。だから、生きている限りはこうした立ち位置を保っている事が一番に思えます」
「君の言う事はいちいち尤もだ」アストリアスさんは、溜息交じりに言う。「でも、そういう物分かりの良さが、逆に辛いと感じてしまうのだよ。人には、どうしても割り切れない感情というものが存在するからね。すべての者が満足いくようにする事は出来ない。だが、そうしようと考えることも必要だろう」
 アストリアスさんは微笑み、私を見た。
「厄介な話だ。だが、子を持つ事は出来ないかもしれないが、女性の価値はそれだけで決められるものではないだろう。子を持たずとも伴侶を持ち、幸せに生きる女性は他にもいる。そういう女性の生き方を否定できるものではないよ」
「ああ、そうですね……」
 確かに、赤ちゃんが欲しくても出来ない人もいるだろう。でも、私は今のところ、健康体だ。性交渉があれば、妊娠する可能性がある。好きな人が出来てもプラトニックを貫くのは……色んな意味で自分も辛いし、相手も辛いだろう。結局は、どこかで我慢しなきゃいけないには違いない。だったら、自分ひとりの我慢ですむ内に、と思ってしまう。
「覚えていて欲しいのは、私も含めて君の周りにいる者たちは、どういう形であれ、君に少しでも幸せでいて欲しいと願っているよ。ディオ殿下に対するのと同じように」
「殿下?」
 なぜ、そこに殿下が出てくるんだ?
 すると、アストリアスさんは苦笑を浮かべた。
「私には、時々、君とディオ殿下がよく似ていると感じる時がある」
「そうですか?」
 似てるかなあ、あの愛想なしの男と……全然、そうは思わないけれど。
「でも、まあ、私の事はあまり心配しないで下さい。なんとかやっていますんで」
 子供が生める期間も、あと十数年程度だろう。それを過ぎてしまえば、放免されることもあるかもしれない。ま、それまで生きていられたら、の話だけれど。
「心配するよ」、と即、答えが返ってきた。
「それこそ、私の性分だからね」
「それも、厄介ですね」
「そうだね」
 私達は、揃って笑った。

 残りの帰り道、アストリアスさんに、今の公園は祭りの間だけでもバーを開くと良いとか、お城の周りに松明を灯して明るく見せたらどうだ、とか、そんな他愛のない会話をしながら歩いた。そうやって歩きながら、グレースさんはこんな素敵な旦那さまがいて幸せなんだろうな、と思ったりした。
 アストリアスさんに部屋の前まで送って貰った時、廊下で部屋の持ち主と行き合った。
「……出掛けていたのか」
 エスクラシオ殿下は、礼を取る私を見て言った。
「はい。気晴らしも必要かと思い、祭りでもありましたので」
 王妃様と会った事は内緒。アストリアスさんの答えに殿下は、そうか、と頷いただけだった。
 でも、なんだ、この重苦しい雰囲気は! うーん、なんだか観察されているような気がするぞ。しかも、あんまり良い感じではない。
「似合わんな」
 おもむろに、殿下からの一言。
 ……きっついなぁ。でも、やっぱりか。そうじゃないかと思ったんだよ。こんなビラビラした恰好。
「誰が選んだ」
「陛下より、と伺いました」
 私が答えると、鼻がひとつ鳴らされた。
「らしい趣味だな。しかし、色が良くない。もう少し濃い色を選ぶべきだった」
 あれ、そういう意味でしたか。意外に細けぇな。
「では、殿下からも一着、お選び頂いたら宜しいかと。いずれは必要にもなりましょうし」
 アストリアスさんが言った。
 えー、そんなん言っていいんですか?
 アストリアスさんは、妙に、にこにことしている。
 殿下は、いつも通りの憮然とした表情で私を見ると、そうだな、と一言あった。
 なんだか、私には分からん会話があったようだ。

   いや、それよりもお城の中でも大丈夫な、パンツスタイルの普段着の方が有り難いんですけれど?




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