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 祭りも終って、城の中のそわそわした空気が別の落ち着かないものへと変わった。緊張感をはらんだ硬さが、皮膚を叩く。
 ……いよいよ、グスカとの戦が始まる。
 先んじて仕掛けた私の策は、今頃どうなっているか。上手くいっているのか、それとも、途中、断ち消えてしまったか。その様子はまだ伝え聞こえては来ない。
「おまえはカリエスらと共に本隊よりも先んじてグスカに入り、後方より調整を行え。連絡方法は、ランディに指示する」
 と、エスクラシオ殿下からのご命令。隠密行動ってやつだ。アストリアスさんは難色を示していたが、結局、そうするしかなかったようだ。そうだろうな、と思う。
「出発はいつになりますか」
「三日後だ」
「御意」
 というわけで、御挨拶に東の聖堂へ。この美味しいおやつとも……いや、アストラーダ殿下ともお別れだ。暫く、というより、生きて帰れる保証はどこにもない。実感はまだないけれど、戦争とはそういうものだろうという事は分かる。
「充分、気をつけるんだよ。出来るだけ危険な所には近付かないように」
 アストラーダ殿下は心配そうな表情を浮かべ、私にそう言った。
「戦争しに行くんだから、危険じゃない場所なんてないですよ」
「そうだろうけれど、自ら進んで危険に飛び込まないようにって意味だよ。ああ、ディオはなんで君にそんな危険な真似までさせるんだろう。兵ではないのだから、城に残しても良いだろうに」
「まあ、私にしか分からない事もありますから。それに、まだ後方支援ですから、安全な方ですよ」
 努めて明るい口調で答える。
 本音を言えば、私だって嫌だけれど、自分のした仕事は最後まで責任を取らなきゃな。どんな結果であれ、見届けなきゃいけない。
「人間、何処にいたって、死ぬときは死ぬんでしょう」
「でも、君には無事に帰って来て欲しいと願うよ。でなければ、私はまたひとりで退屈なお茶の時間を過さなければならなくなる」
 そんな言い方をしていても、本当に案じてくれているのだろう。
「有難う御座います。では、早く戻って来れるように美味しいお菓子、用意して待っていて下さい」
「うん、そうしよう。そうだな、帰ってきたらタルトやケーキを山ほど食べさせて、君を今より一回りふくよかにしてみせようか。それまでに新しい菓子の研究もさせておこう」
「やめてくださいよう。そんなんされたら身体が重くて、階段の上り下りができなくなります」
「その時は、この隣に部屋を用意してあげるよ。そうしたら、いつでもお茶の飲み放題、お菓子の食べ放題だ」
「また、不健康な。余計、長生きできないです。それに付き合う殿下も、すぐにブクブクですよ」
「ああ、それも困るねえ」
 アストラーダ殿下は笑ってみせてくれたけれど、それは口元だけで、伏せた瞳は寂しそうだった。

 次の日はランディさんにお願いして、タチアナ姐さん達に会いに行った。
「キャス!」
「姐さん、リトさん」私はふたりに駆け寄った。「お祭りの時、凄く賑やかでしたね」
「なんだ、来たんだったら、声を掛けてくれりゃあ良かったのに」
 リトさんが答える。
「人が多過ぎて近付けなかったんですよ。時間もあまりなかったし」
「ああ、確かにびっくりするほどの人だったね。あたしも初めての事だったから驚いたよ。いつもは街の外で聞こえてくる音を聞いていただけだったから」
 深紅のドレスに身を包んだタチアナ姐さんは言った。
「あ、そっか。姐さんたちも初めてだったんだ。そのドレスで踊ったんですか」
 そのドレスは、私の記憶にある深いスリットのラテンダンス系とはデザインが全く違っている。以前、レティと一緒に会いに来た時に、三人で相談したデザインに近いものだ。フラメンコの衣装に似た、たっぷりと布を使った前面が短く、後ろに長いデザイン。
「ああ、これ? いや、思った以上に時間がかかって、間に合わなくてさ。さっき、出来てきたところなんだよ。着てみたんだけれど、やっぱり都の仕立て屋は違うね。着心地がほかに比べて随分と良いよ」
「その分、値段も良いけれどな」
 すかさず横から口を挟むリト兄さんを、姐さんは小突いた。
「いてっ!」
「ったく、あんたはそういうところが無粋なんだから!」
 ふたりとも相変わらずだ。安心する。
「でも、素敵ですよ。とっても良く似合ってます」
「有難う、良かった。キャスがそういうなら間違いないね」
 新しい衣装でにっこりと笑う姐さんは、真っ赤な薔薇というよりも、数段ゴージャスな牡丹の花だな、裾のひらひら具合といい。
「それで踊ってみせて貰えますか」
「勿論さ、今日は時間あるんだろ」
「ええ、そうなんですけれど、その前に今日は話しがあって。すこし良いですか」
「なんだい、改まって」
「……外ではちょっと。馬車の中でいいですか」
 真顔の私に、ふたりは頷いた。

 別れ際、姐さんは私を、ぎゅっ、と抱き締めた。
「絶対、無事に帰ってくるんだよ。死んだら承知しないからね」
「はい。姐さんたちも気をつけて。大丈夫だとは思いますけれど、万が一、戦火が広がるようだったら逃げて下さい」
「俺達は大丈夫だよ。逃げ足だけは自信がある。通行証もあるしな」
 リトさんは軽口めいてそう答えるが、表情はいつもよりも、ほんの少し硬い。
「あんまり無茶すんな。いつかみたいに、騎士相手に喧嘩売るような真似するなよ」
「大丈夫です。今度はちゃんと逃げますよ」
「世話になったな」
 差し出されたリト兄さんの手を握る。
「こちらこそ有難う」
 姐さんは、傍にいたランディさんを振り返り、
「キャスのこと頼むよ。絶対、無事に帰して。じゃないと、あたしが許さないよ」
「必ず」
 ランディさんは、しかと頷いた。
「戦が終ったら、必ずまた会おうね。その頃にはあたし達も都に戻って来るから、無事な姿、見せにくるんだよ」
「はい。姐さんたちもお元気で。その時にはまた、踊って見せて下さい」
 なかなか口に出来ない、さようなら、の言葉をやっと言った。名残惜しい人達に手を振って、私は背を向けた。泣きはしなかった。

 それでも、しんみりしながら部屋に帰った途端、ゲルダさんに取っ捕まった。
 なんすか、と訊ねるより前に外出用変装をひん剥かれて、問答無用で風呂の中に叩き込まれた。夕食にはまだ早く、寝るのにももっと早い。それでも、メイドさんのわっしわっし洗う手つきも、いつにも増してリキが入っている。張り切っている。
 なんだあ?
 訊ねたら、エスクラシオ殿下より会食のお誘いがあったとの事。あー……なんだよ、今更。別れの挨拶もへったくれもないだろうによ。それとも、食事しながら、戦場での心得でもレクチャーするつもりか?
 でも、パターンから言って、ゲルダさんたちの考えている事は丸分かりだ。
「着替えは軍服をお願いします」
 そう言ったら、殺意を感じた。おい、怖すぎるぞ、ロッテンマイヤーさんとその仲間達。
「差し出がましい事と存じますが、大公殿下との御会食には不向きかと思われます。ドレスの着用が適当かと」
「いや、でも、主に仕事について話しながらになると思うので、軍服で問題ないかと思いますよ」
「それは存じませんが、お仕事での服装をそのままで、目上の方と私的なお時間を過されるのは失礼とされております。お着替え下さいますよう」
 ……アフターファイブはいちいち着替えなきゃならんってか?
 嘘か本当か分からないが、確証ないのに押し問答していても無駄だろう。人間関係保持の為に、ここは引くのが良策なんだろう。納得はできんが。
「そうですか。では、お任せします」
 ゲルダさんは頷くと、ほかのメイドさん達にきびきびと指図を出し始めた。
 化粧する白粉の勢いに思わず、噎せる。いや、そんな、はたかなくても、げほっ!
 でもなあ。君らのそういう余計な気遣いが、私の寿命を縮めている事に気付かんのか? これがまた、誰かの耳に入って誤解を生まない事を祈ろう。……マジ、うぜぇ。て、また違うドレスが出てるし。
 私の知らない内に、またドレスが増えていた。こんどは、若草色というのか、パステルグリーンのやけに乙女チックなものだ。鎖骨丸だしの浅く長い襟元につく胸まで垂れる大きなレースの衿。柔らかい布地の裾の広がったデザインと大きなパフスリーヴ。背中側の腰で結ばれたリボンも可愛らしく、春らしい印象のドレスだ。
 ううんと、ちょっと違うが、ロココ風になるのか? この世界の流行はどうなっているんだ? よく分からん。
「これは」
「王妃さまよりの下されものです。先日のお礼にと申されて、先ほど」
「ああ……」
 そうすか。つか、あれから、まだ数日しか経ってないだろうよ。速攻で作らせたって事か? 姐さんのドレスは時間かかったってのに、お針子さんに無理させたんだろうなあ。そんだけ金もかかってんだろうな。次に着る機会があるかも分からんのに、よくもまあ、こんな無駄遣いを。なんだよ、その頭からはみ出そうなぐらいのでっかいリボンは。頭に貼り付ける気か? うわあ……もう、知らん。好きにしろ。

 一体、幾つだ、私、何者だ?

 いつ誰が用意したのか、パールのアクセサリーも身に着け、出来上がった鏡の中の自分に問う。みっともなくはないが、己の年齢を顧みずセーラー服を着るのと同レベルって言うか、絶賛、若作り中。ああ、そういや、あと二ヶ月ほどで二十八だわ。戦場で誕生日を迎えるかよ。すげぇな。こんな恰好していて明日から戦争って、本当に日本人かよ。

 ……アイデンティティ崩壊の危機だ。




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