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 どんな時でも、必ず終りは来るものだ。心地よければ、尚更、その訪れが早く感じる。
「では、キャス。明日は見送りには出れないが、充分に気をつけて。次に会う時は戦場になるが、無事な姿を見せて欲しい。カリエス、ランディ、彼女の事を頼む。そして、君達も必ず無事でいてくれ」
 アストリアスさんは、そう言って、私の指先に軽く別れのキスを落とした。
「アストリアスさんも、どうぞお気を付けて。そして、御武運をお祈りします。グレリオくんも、決して焦らないで。まず、無事に生きて帰る事を考えて下さい」
「キャス、貴方も無茶はしないで下さい。貴方に何かあれば、レティが哀しみます。私も他の皆も。それを覚えていて下さい」
「有難う」
 ご機嫌よう、と出来るだけ奇麗に礼をする。
 では、と短く挨拶を受けるその横で、名を呼ばれた。
「キャス、おまえは残れ。少し話がある」
 振り返れば、そこそこな酒量であった筈なのに顔色ひとつ変わらない殿下がこちらを見ていた。
 はい、と返事をし、ランディさんとカリエスさんに向き直る。
「では、明日から宜しくお願いします」
「こちらこそ」
「部屋へ迎えに行くよ」
「はい。では、おやすみなさい」
「おやすみ」
 去っていく皆の背中を見送る。初めて陛下に謁見をした日の時もこんな風だった、と思い出す。そうして、その後、この人に連れられ陛下と謁見し、その後に忠誠を誓う事となった。
 この人――エスクラシオ殿下を見る。
「お話とは」
「まだ、もう少しは飲めるだろう。付き合え」
「はあ」
 最初の部屋へ移動し、ブランデーグラスを手渡された。手の中から立ち昇る甘い匂いを嗅ぐ。
 なんだろう、なんだか不思議な感じがした。いつもと違う雰囲気に思える。
 長椅子に腰掛ける殿下の斜向かいにあるひとり掛け用の椅子に座った。そうして、その人の端正な横顔を見る。
 蝋燭の灯ばかりで照らされる部屋の中で、影をゆらめかせながらいつになく姿勢を崩した殿下からは、他を圧するような覇気はなりを潜め、どこか物憂げな雰囲気が漂っていた。
「どうかしましたか」
 訊ねれば、青い瞳だけが流れて私を見た。
「女王陛下に会ったそうだな」
「ああ、はい」
 肯定する返事に、まったく、と口の中で呆れたような呟きがあった。
「お陰で、私はずっと責められ通しだ。何故、おまえを戦場にやるのか、と。王妃だけでなく、陛下や兄上にまで、ここ二日間は、まるで極悪人であるかのような言われようだ」
「はあ」
「何も言わないまでも、アストリアスでさえ非難の視線を送って寄越す。ランディに至っては、おまえの護衛に付くと自ら志願してくる始末だ」
「ああ、そうだったんですか……」
「まったく、次から次へと。一体、なんなんだ、おまえは。そういうところも、まるっきりチャリオットそっくりだ。知らぬ内にちょろちょろ出歩いては味方を増やし、計ったように楯にする」
「滅相も。そんなつもりは毛頭ないですけれど」
「当り前だ。つもりがあってしていたならば、それこそ魔女の所業だろう」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟ではない。自分の事なのに知らないのか。おまえは一部兵士からはそう呼ばれているんだ。『白髪の魔女』とな。人心を操り、炎を呼び出し、蛇をも食らう魔女と噂されているぞ」
「うわ、酷い言われよう」
「なにが酷いものか。事実だろうが」
「いや、でも、それはないですよ。私だって好きでやったわけじゃないんですから」
「だから、始末に負えないと言っているんだ。今となっては、揉み消すことすらかなわん」
「それは困りましたねえ」
「ああ、困ったものだ」
 そこまで言って、殿下は私から視線を逸らすと、黙って手の中のブランデーを舐めた。
 暫く様子を見ていたが、文句がましい言葉を吐いたわりには淡々として、怒っている様子にも見えない。愚痴りたかったという雰囲気にも感じられなかった。
「ええと、その、それで、私にどうしろと」
「何があっても生きてこの城へ戻れ」
 ああ。
「……はい、出来るだけそうします」
「馬鹿者。必ずだ。でなければ、私は先々までいらぬ謗りを受け続ける事になる」
「はい」
「それに、おまえに何かあれば、私は優秀な部下を失う事にもなる。ランディもカリエスもおまえを命懸けで守ろうとするだろうからな」
「……はい」
 エスクラシオ殿下の声は、夜の中がとても似合う。深さが似ているせいだろうか。闇に共振するかのようだ。
 ふ、と私に視線を戻した殿下は言った。
「恐ろしいか」
 私は黙って頷いた。
 和やかな時間の底にたゆたう緊張感には、嫌でも気付く。皆、それを知りながら微笑み、向けそうになる目を逸らして素知らぬ振りをし続けていた。
 そうか、と殿下も頷く。
「……前に殿下はおっしゃいましたよね。戦い自体は恐ろしくないが、敗けて失うものの事を思うと恐ろしく感じると」
 この国に来る以前、峠にあった古い神殿での言葉。
「ああ」
「そして、戦場を離れた時の方が恐ろしい、とも言いました」
「そうだな」
「殿下も、今、恐ろしく感じているのですか」
 直ぐに答えはなかった。暫くしてまた、そうだな、と静かな返答があった。
「なんだか妙な気がします」
 私は、ずっと感じていた事を口にした。
「私は、ずっと、戦争とは、ほんの少数の誰かが何かを得たいという欲望が為に、関係のない多くの人を巻込み犠牲を払わせてでも起こすものだと思っていました。でも、これは、世界を変えない為に行う戦争です。変えないが為に、多くの人の命を危険に曝し、人生を変えてしまうかもしれない行為をしようとしている。そこに矛盾を感じて仕方ありません。そして、それに自分が関っている事が不思議で、そして、恐ろしいと思います」
 攻める事で抗おうとしている。変わってしまうかもしれない世界の流れを留めようとしている。そして、私はそれを為す為に手を貸している。多くの血が流される事を承知で。
 そうだ、と気負うでもない声が答えた。
「この戦に大義はない。だから、おまえを使おうと考えた」
「……犠牲を減らす為に?」
「斯様な理由で命を落とすなど、本来、あってはならない。我が国の者であっても、たとえ、他国の者であろうと。だが、これを見過ごせば、更に多くの犠牲が出る。それを防ぐ為の戦だ」
 ああ。
 そうなのか、と初めてはっきりと聞く事ができた意図に、私は安堵の息をついていた。
 どうしても、そこに迷いを感じていた。ランデルバイアの国益をより多く得んが為に、こんな事をしても良いのか、と。身勝手さが思考を止めさせ、私の手の動きを鈍くさせていた。
 でも、なんとなくそれも違うのではないか、と途中、感じ始めてもいた。勿論、国益を得ることは重要だろう。でも、そればかりではないと知った今、私はひどく安心した。
 底辺に流れる思想に僅かなりとも共鳴を感じる時とそうでない時とでは、まったく取り組む者としての心構えが違ってくる。同じ結果を導くものでも、まだ救われた気持ちになる。
 私は答えた。
「……そうですね。でも、多分、私達がこれからしようとしている事は、表から見れば侵略行為ですし、裏を返して見ても、天へ仇なす行為とみなされるのでしょうね」
「そうだな。真実を知れば、我々を恨む者は数多くいる事だろう」
 そうだろうな。
「同じように感謝する者もいるかもしれない」
「だと良いんですが」
「だが、実際はそれを知る者はごく少数だ。殆どはどちらにも値するまい。戦に対しての感情はあってもな」
 そっか、ふうん……記録として残る数多の戦の中でも、こうして書かれなかった思いはたくさんあったのだろうなあ。
 そこに自分がいる事に不思議を感じる。




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