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 急に、私の胸の内から込み上げてくるものがあった。少し我慢をしてみたが、無理だった。そして、つい、吹き出してしまった。
「どうした」
 訝しげな問いにも、咽喉が震えて声にできず、やっと息継ぎをして答えた。
「いえ、どっちにしろ、魔女と呼ばれてしまうんだろうな、と思うとおかしくて」
 魔女がいた、と私の記録も何処か片隅に残ったりするのだろうか。そう想像すると、笑えて仕方がない。
「それがどうした。私なぞ死神と呼ばれて久しい」
「はあ、考えてみれば、それも凄いですね。死神に仕える魔女ですか」
 極悪コンビだ。で、こうして差し向いで酒を飲んでいる、と。
 エスクラシオ殿下の咽喉も鳴った。
「そう口にしてみると、有り得ない取り合わせだな」
 そして、そのまま笑い始めた。
「どう言ったところで、悪巧みしているとしか聞こえませんよねえ」
 つられて私も、また笑いだす。
「ラシエマンシィは魔物の住み処か。では、陛下は魔王エクロスの化身というところか」
「うわあ、見栄えが良いだけに、それ、いいかも。改宗者が大勢いそうな。女ばかりでしょうけれど」
「女好きの陛下とすれば、本望だろうな。すると、兄上が魔王の司祭長となるな」
「いいですねぇ。あの顔とソフトヴォイスで悪を語っちゃいますか。呪われなさい、とか言っちゃうんですね」
「ああ、その位なら平気で言うだろう。あれも口が悪い」
「そうなんですか」
「ああ、兄弟の中では一番、口が悪いのではないか。意地が悪いというのか」
「いやあ、素敵過ぎます。アストラーダ殿下が口にする悪口、聞いてみたあい」
「止めておいた方がいい。遠回しに凄まじいばかりの嫌みを言ってくるぞ。そのせいか、鈍い者は、言われている事にも気付かないみたいだがな」
「ああ、分かります。ありそう!」
 ふたり揃って声に出して笑った。殿下がこんな風に笑うところは初めて見た。でも、そんな事を思う事もなく、ただ、おかしくて笑った。
「本当に妙な女だな、おまえは」
 一頻り笑った後、やけにしみじみとそんな事を言われた。
「妙ですか」
 口の中に笑い声の余韻を残しながら問い返すと、うん、と頷き返される。
「その上、理解しづらいところがある」
「あー、それ、前の上司とかにもよく言われました。『おまえは扱い辛い』、って」
「そうだろうな。いや、少し違うな」
 ふいに向けられた瞳に、一瞬、どきっ、とした。
「うん、だが、悪くはない」
 ひとり納得するような頷きに、これまでになく優しい色をした瞳は伏せられ、隠された。
「さて、もう夜も更けた。部屋まで送ろう」
 言われて、手の中のグラスの中の液体を飲み干した。口の中が甘い香りで満たされながら、強い辛さに咽喉を焼いた。
 私は空になったグラスをテーブルに置いた。
「お気遣いなく。そんなに酔ってはいませんし、廊下を真直ぐに戻るだけですし」
 そう答えれば、添える手が差し出される。その手に自分の手を重ねて立ち上がった。
「酒の入った身をひとり戻したとあっては、おまえのところのメイド達に後から何を言われるか分からん」
 ああ、確かに言いそうではあるな。なんだかんだ言いつつ、彼女達は私を甘やかそうとする。
「……では、お願いします」
 手は握られたまま、ゆっくりと部屋の扉まで導かれる。
 不思議だ。この人にこんな風にエスコートされる事があるなんて、思いもしなかった。
 廊下に出て自然とその腕に手を添えると、見た目では分からなかった腕の筋肉の太さを実感した。ハイヒールを履いているから少しだけ高くなった背でも、まだ見上げるほどに高い身長と、まったく違う体格に改めて驚きもする。
 前にアストリアスさんと歩いた時はそんな事を思わなかったのは、酔っているせいだろうか。ふわふわとした足下も。
 本当に、不思議な感覚だ。
 部屋の前に着いて、私は手を放す。
「有難うございました」
 見上げれば、色さえ判別できない薄暗い中で目があった。
「明日から忙しくなる。今夜だけはゆっくり休め」
「はい」
「忘れるな。必ず、生きて戻れ」
「はい。おやすみなさい……行ってきます」
 頷いて踵を返すその後ろ姿を、半分開けた扉の前で見送る。
 髪の色さえ紛れる闇の中では、すぐに輪郭をなくし、影に溶けた。でも、足音だけがその人の存在の力強さを表していた。それを聞きながら、私は扉を閉めた。

 その夜、ベッドの中に入って、私は美香ちゃんの事を考えた。
 彼女は今頃、どうしているのだろう。伝説の巫女としての生活を享受しきっているのか、それとも、多少なりとも何かを思い、彼女なりにこの状況を感じ取って何とかしようとしているのか。
 後者であって欲しい、と思う。

 ……まだ、可能性は残されているのだから。




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