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 次の日、朝食を食べて後、私達は城を出発した。同行するのは、ランディさんとカリエスさん、そして選ばれたという人たち六名。見送る者もなく、ひっそりとした旅立ちだった。
 グスカへのルートは幾つかあるそうなのだが、山脈を迂回する 北側の海沿いの街道を西へ進む道が選ばれた。グスカ国境まではおよそ一週間。越えたところで二手に別れ、それぞれの任務を果たす事になる。休憩以外は、馬に乗りっぱなしの強行軍だ。
 正直、きつい。お尻痛い。痔になりそうだ……でも、そんな弱音は吐いていられない。痔はいやだけれどな。
 乗馬に関しては超初心者の私には、これだけの長時間の移動は、当然、初めての事だ。それでも何とかなっているのは、乗る馬がよく出来た馬だからだろう。白地に全身ドット柄の葦毛で、グルニエラという花の名前を持つ五才の牝馬《ひんば》だ。
 グルニエラは牝馬らしく性質は大人しい方なのだそうだが、気紛れなところもある。かく言う私も、馴れるまでに随分とかかった。動かないと思えば、途端に走り出すし。落馬はしなかったが、それなりに暴れもした。乗り始めた当初は、ぎゃあぎゃあ喚きっぱなしだった。
 それでもなんとか乗れるようになったのは、グルニエラがとても賢い馬だったからだろう。いや、多分、賢すぎるんだと思う。いつまで経ってもなんとも仕様のない乗り手に業を煮やしたか、いつからか、勝手に上手く調整して乗せてくれるようになった。
 彼女の気持ちを人間の言葉に表せば、『もう、仕方ないわね』、と言ったところか。上手く乗れなかった時は、『ほら、ちゃんとしなさい!』、と言わんばかりに鼻を鳴らし、頭で私の背中を小突き、尻尾を振り立てた。ちゃんと気持ち良く乗れた日には、『良く出来ました』と顔に鼻面を寄せてくるなど、スキンシップで気持ちを伝えてくるようになった。
「随分とよく馴れましたね」、と特訓を重ねる中でグレリオくんは私達の様子を見て言った。
「グルニエラもキャスを主と認めたみたいですね」
「いや、違うと思いますよ。多分、主人はグルニエラの方です。私は彼女にとっては下僕で、『乗せてやっている』感覚なんだと思いますよ」
 そう答えたら、複雑な表情が返された。
 でも、まあ、どういう理由であれ、グルニエラのお陰で私もすっかり馬に慣れて、安心して乗れるようになったし、そこそこ位までは上達できたというわけだ。
「大丈夫かい」
 横に並んだランディさんから声がかかった。
「大丈夫です」
「急ぎの旅ではあるけれど、まだまだ先は長いからね。無理はしないように。辛くなったら言うんだよ」
「はい」
 とは言え、おそらく、皆、私にペースを合わせてくれているんだろう。でも、これは半分、私の都合で行われる行動だ。これ以上、足を引っ張るわけにもいくまい。それに、早く着いた方が勝率が上る。
 ごめんよ、グルニエラ。頑張ってね。

 それでも、やっぱり、休憩時間は嬉しい。
 野原で馬を休ませながら、私達も軽い食事をしながら小休止。ああ、疲れた。乗馬は思っていた以上に体力を必要とする事を実感。動かない地面に座り、樹の幹に凭れながら、半分、放心状態。
 他の人達もめいめいに休みを取っている……あれ? なんかあっちで盛り上がっている。
 車座になったカリエスさんと他四名の間から、わっ、と歓声が上った。
「ウサギちゃん」
「ランディさん」
 近付いてきたその人に訊いてみる。
「あっちでなにやってんですか。賑やかですけれど」
 すると、仕方ないね、と言わんばかりの苦笑が浮かんだ。
「君が教えたんだろ。彼等は潜入組だよ。練習と称しているけれど、本当のところどうなのかな」
「ああ、『ちんちろりん』ですか」
 サイコロ三つと適当な器があれば、どこでもオッケー。ルールも簡単。戦場でやるには持ってこいの賭事だ。日本では古典的なこのゲームも、こちらの世界では目新しい。
 彼等はこれからグスカ国内に侵入し、軍の内部にどうやってか流行らせる為の工作員。事前にルールを伝えておいたカリエスさんに習って、遣り方を完璧に把握して貰わなきゃいけないんだが。
「実際、我が軍で流行らないようにしないとね。その内にやる者は出てくるだろうけれど」
「まあ、しょうがないですよねぇ」
 好きなヤツは、好きだからな。というか、そういうのは、一種の病気なんだよな。依存症っちゅうか。身を滅ぼしてもやろうってんだから、規律を重んじる軍としては頭の痛いところだろう。しかし、白系西洋人が地べたに座ってちんちろりんをやっている姿ってのもなんか……いやあ、実にレアな光景だ。ジゴロとか、ヒフミとか、言葉の違いで言わないにしても、金が掛かれば、目の色が変わるのは同じ。
「現実、嵌まってもらわなきゃ困るところもありますし」
 勧める方も本気でないと、乗ってこないものだ。
「そうなんだろうけれどね」、とランディさんは、賭事に興じるカリエスさんたちを眺めた。
「で、こっちは、まずはチルバの街ですか」
 チルバはグスカの首都マジュラスの次に栄える商業の中心地とも言える都市だ。ここで噂を広めれば、国内中に広まるまでが早い。
「そうだね。人が多い分、身も隠しやすい」
「ですね」
「出来るだけ外に出ない方がいいのには変わりないけれどね」
 と、言いながら、ランディさんは私が被っている外套のフードの端を指先で抓んでは、ぐい、と深く押し下げた。うー。
 私の今の恰好は、正に魔女。と言っても、蛍光色のフリフリのミニスカというわけではない。そんな恰好させられた日には、即座に憤死する。そうではなくて、脹脛まで長さのある黒のフード付き外套。下は、以前、レティに貰った紺色のシンプルなドレス、と古典的な魔女姿だ。そして、瞳を半分、隠すような長い金髪のウィッグを着用。目の色を隠す為だけに、えらい大袈裟だが仕方がない。
「なにするんですか、兄さん」
 私が言うと、ランディさんは、ハハ、と声に出して笑った。
「その調子だ、妹よ」
 答えるランディさんの服装も、いつもの騎士の姿ではない。白いシャツにキャメルの乗馬ズボンとブーツ。その上に外套を身に着けている。一般的な庶民のそれと変わらない。
 畜生。本当は、そっちの方が年下のくせに。不本意だ。不本意だが、外見から考慮してそうなった。こちらの世界では、十四、五才にしか見えない私が姉というのは、不自然極まりないからだ。
 グスカでの私達の身の上は、生まれつき身体が弱く、まともに陽にも当れない私を医者に診せるために、兄のランディさんは私を連れて旅をしているというベタな設定。本当は、丈夫なんだがな。でも、体型的に説得力があるそうだ。
 病弱な娘が馬に乗れるってのも変な話だと思うのだが、実家が牧場を経営していたという設定だから問題ないという。ただ、ランディさんは貴族だけあって、牧場主の息子というには品が良すぎる。なので、優秀さ故に学問の道に進み、さる貴族の邸にも勤めていたから、という設定になった。最近、両親の急死に伴い牧場を畳み、可愛い妹と共に良い医者のいる街に暮す事にした、という流れ。
 そんなんで騙されるのか、と思うのだが、この世界では通用するものらしい。
 通り名は、キャスリーン・クリスタとランディ・クリスタ。
 実際、今は潰れてしまったが、クリスタの名を持つ牧場がどこかにあったらしい。それを借りたそうだ。通行証などもすべて偽造ではなく、本物。よくもまあ、揃えたものだ。よほど深く、工作員が潜入しているに違いない。おそらく、随分と以前から。
 あと、同行する内のふたりは馬丁さんというか、召使い役の人。カリエスさんとランディさんにとっては、実質的なアシスタントとして働いて貰う、信頼のおける忠実な騎士仲間なんだそうだ。
 私側についてくれるのは、ウェンゼルさん。茶色の髪に茶色の瞳で、ランデルバイアの男性としては小柄な方だと思う。性格はまだ良く分からないが、容姿としては目立ったところもなく、普通。でも、朗らかで優しそうな雰囲気の人だ。初めて紹介された時も、にこにことした笑顔を見せてくれた。
「ウェンゼル・バルケス・ダルバインです。よろしく。ウェンゼルとお呼び下さい、お嬢さん。バレないようにね」
 そう言って、茶目っ気たっぷりのウィンクを寄越した。……まあ、人懐こそうではある。
 そんな風に気が抜ける程にあまり緊張感もなく、私の旅は始まったってわけだ。




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