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 こんなに動揺したのは、生まれて初めてかもしれない。というか、動揺するな、と言う方がムリ!
 自分がこれから無実の罪で嵌めようとしているターゲットその人に、のっけから出会ってしまったのだから。……なんちゅう、酷い偶然だ。心臓に悪すぎる。きっと、何かに呪われているに違いない。いや、本当にアイリーンが取り憑いたか!?
「私はランディ・クリスタ。実家は牧場を営んでいましたが、両親が亡くなったので今は畳んで、妹を連れて街に移り住もうというところです。妹のキャスリーン。そして、下男のウェンゼルです」
 ランディさんも気付いてはいるのだろうが、落ち着いた態度で自己紹介をした。顔色にも変わるところはない。凄いな。肝の太さが違うというのか、実は、詐欺師の素質があるのか。なんにせよ、それを前にして私も少しだけ落ち着くことが出来た。密かに深呼吸だ。落ち着け、落ち着け……
「初めまして。よろしく。同席してもよろしいか」
 ……居座る気かよ。何か目的でもあるのか? 殿下たちが評価するだけの事はある人だ。きっと、頭も切れるに違いない。注意深く接する必要があるだろう。
「それは構いませんが、お連れの方々が」
「ああ、どうか気にせずに。四六時中、顔を突き合わせている者同士です。それよりも、愛らしい女性を眺めていた方が、ずっと良い」

 ……は?

 中佐は空いていた椅子を引き寄せると、私とウェンゼルさんの間に座った。そして、おもむろに私の手を取った。
「キャスリーンとおっしゃる。可憐な姿にぴったりの軽やかな響きだ。そして美しい。ああ、なんと繊細な手だ。強く握れば溶けて消えてしまいそうなほどに儚げ。いや、あなたの存在すべてがまるで夢のようだ」

 ……は?

「あの、ロウジエ中佐」
「どうぞ、スレイヴとお呼び下さい」
 甘ったるい声音に、右手はがっしりと両手でホールドされている。これは……ひょっとしなくても、口説かれているのか? 一体、なんの冗談だよ。
 ランディさんを見れば、口を半開きにして呆気に取られている。ウェンゼルさんも、以下同文。いや、助けろよ、君ら。その為にいるんだろうが。
「……スレイヴさん、御冗談はおやめになって。どうぞ手をお放しになってください」
 兎に角、この至近距離。目の色がバレた時が大変だ。顔を精一杯そむける。
「つれない事をおっしゃいますな。なにが冗談でありましょうか。ああ、しかし、岩間に流れる澄んだ湧水のような心地よい声に名を呼ばれると、このまま溺れてしまいそうだ」
 ああ、面白い事を言うじゃないか。溺れろ。勝手に溺れて、土左衛門になって、海まで流されていってしまうが良いわ!
「そのようにおっしゃられても、こまります」
 呆れて棒読み状態でしか言葉が出てこない。
 手の甲が、さっきから、すりすりと撫でられている。その内、頬擦りされそうだ。マジすか?
 いや、本当に困るぞ。こんなのは想定外だ。こういうのを断るのってどうすりゃいいんだ? 殴ればいいのか? 水をかけた方がいいのか? こんな経験は今までないから、分からん!
「恥じらうその姿も、また可憐な。ますます困らせたくなってしまう」
 なんて性質の悪い。さては、貴様、びょーきか? 病気なんだなっ!
 そこで漸く、待ったが入った。
 私の手を握る中佐の腕を、我に返ったらしいランディさんが掴んだ。遅いよう、兄さん。
「中佐、大変、申し訳ないが、妹が貴方のお眼鏡にかなうとは思えません。どうぞ、お手をお放しになって下さい」
「そんな事はない。妹さんは素晴らしい女性ですよ、お兄さん」
 既に、兄呼ばわりかよ、おい。幾らなんでも、気が早すぎやしないか。
「ひと目みた瞬間に分かったのです。可憐な美しさ、そして、たおやかさ。キャスリーンこそ私が求めていた運命の、」
「はいはい、そこまでにしておいて下さい、中佐。女の子を見ると、そうやって直ぐに口説こうとする癖、なんとかした方がいいですよ」
 唐突に、横やりが入った。
 ……やっぱり、病気だったか。
 見れば、中佐の連れのひとりのやんちゃそうな人が中佐を後ろから羽交い締めにして、椅子に座ったままの状態でずるずると後ろに引っ張っていた。
「貴様っ! ギャスパー、放せっ! それが、上官に対する態度かっ!」
 あ、手が離れた。中佐の手首の関節が、捻り上げられている。結構、痛そう。
「上官なら、人様に迷惑をかけて軍の恥になるような真似は控えて下さいよ。はい、お部屋に戻りましょうね。酒なら俺が付き合いますから」
「やめろ、戻らんぞ! 私は、キャスリーンと共にゆっくりと語りあい、キャスリーン!」
 あ、椅子からずり落ちた。床に仰向けになったところを、素早く態勢を立て直し、這いながらもこちらに来ようとしている。その背を容赦なく、ギャスパーという人は踏みつけて潰した。そして、後ろ手に捉えると、ぎゃあぎゃあ喚く中佐を食堂から引き摺り出した。
 神業的早業。すげぇ! 随分と手慣れた感じだ。きっと、これまでも似たような事が何度もあったのだろう。

 キャスリィィィーン……

 と、私の仮の名を呼ぶ声が、閉じた扉の向こうからも小さくこだまして聞こえた。
 微妙に哀れな感じがした。と言っても、あの調子のまま続けられても困るんだけれどさ。
「うちの大将が御迷惑をおかけしてすみません」
 ひとり残った銀髪五分刈りの人が近付いてきて、私たちに謝った。
「ああ見えても軍人としては優秀で悪い人じゃないんですが、妙齢の女性を前にするとあの様な癖というのか、がありまして。大丈夫ですか」
 苦笑混じりながら、物腰も柔らかく問われる。悪い人ではなさそうだ。が、なんとなく油断ならないものも感じる。
「はい。少し驚いただけですから」
 胸元に手を置いて、お嬢さんっぽく答えてみた。
 ほんと、吃驚した。でも、正直、面白かったよ。あんな口説かれ方をしたのは初めてだったから。
「そうですか。でも、出来れば悪く思わないでやって下さい。ああ、申し遅れました。私は副官を務めるラル・イルバ・サバーバンドと申します。宜しければ、お詫びも兼ねて、お近づきの印に一杯、驕らせて頂きたいのですが」
「ああ、有難うございます」
 それには、ランディさんが答えた。
「でも、キャス、おまえはもう部屋で休んだ方がいい。今日は疲れたろう。これ以上は身体に障る」
「はい。では、申し訳ありませんけれど、失礼させて頂きます。お休みなさい、兄さん。サバーバンドさん」
 私は席を立ち上がって、ドレスを軽くつまんで二人に挨拶をした。実際、彼等とこれ以上の深入りは危険だ。
「ウェンゼル、部屋まで連れていってやってくれないか。私はもう暫くの間、サバーバンドさんにお付合いさせて頂くから」
「畏まりました」
 ウェンゼルさんも立ち上がり、私達はランディさんを置いて、食堂を出た。




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