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 だが、事はそれだけでは終らなかった。
 次の日の朝、目が覚めてから支度も終え、朝食に行くにもランディさんたちが一向に迎えに来ないので、さては、昨夜、飲みすぎたせいか、と私の方から部屋へ迎えに行く事にした。
 部屋の扉をノックしようとしたところで、中から複数の人の話し声が聞こえた。誰かが来ているらしい。
 どうしようか、と少し迷ったが、ノックをして扉を開けずに、「兄さん」、と呼びかけてみた。すると、中から扉が開けられて……吃驚した。
 昨日のグスカの三人組みが揃ってそこにいた。なんだか異様な雰囲気で。
「おはよう、キャスリーン、今朝は一段とうつくし、」
「中佐、駄目ですってば!」
 中佐はギャスパーくんに関節技をきめられながらも、こっちに手を伸ばし、引き摺ってでも近付こうとしている。『殿中でござる、浅野内匠頭』、って感じで朝っぱらから元気そうだ。
「おはようございます」
 サバーバンドさんはそんな上司を横にして、涼しい笑顔を浮かべながら私に挨拶をした。
「おはよう、キャス」
 ベッドに腰掛けながらランディさんも言う。が、その表情はかなりシリアスだ。眉間に皴が寄っている。
「おはようございます、お嬢さん」
 扉を開けてくれたウェンゼルさんも眉をひそめ、溜息を吐かんばかりの表情をしていた。
「おはようございます。皆さん揃ってなにかあったんですか」
 素知らぬ顔で問いかければ、
「お兄さまに御相談申し上げていたところなんですよ」
 と、サバーバンドさんが答えた。
「お兄さまを、是非、我が軍にお迎えしたいと。中佐の下で働いて頂けないか、お願いしていたところです」
 なんと!
「ウェンゼル、キャスを連れて、先に食事に行っててくれないか」
「畏まりました」
「待て、私も一緒に!」
「あんたが行ってどうすんだよっ!?」
 あ、殴った。潰れた。上官に対して、ほんと容赦ねぇな。いいのか、君?
 そして、私はウェンゼルさんに背を軽く押されるようにして、部屋を出た。
「……兵として勧誘されたんですか」
「はい。今朝、急に来て。流石に驚きましたよ。お断りしたんですが、なかなかしつこくて」
 あー、じゃあ、昨日のアレで、ランディさんと似たような事をサバーバンドさんも思ったんだな。まあ、それなりに駆け引きをしたんだろうし。当然と言えば、当然か。ランディさんも、エスクラシオ殿下の信頼厚い部下のひとりだもんなぁ。
「こちらも人材不足って感じですね」
「ええ。何処でも使える人材を得るには苦労しているみたいです。先の戦で多く失われた事もありますし」
「そうでしょうねえ」
 その辺、うちの殿下も苦労しているみたいだしな。腹心とまではいかないにしても、意図が通じる相手ってだけでも難しいみたいだ。権力闘争や派閥争いみたいなもんがあるから余計に。そう思うと、面倒臭い話だなあ。ストレスも溜るわなぁ……
 私は、少しだけ、殿下と中佐に同情した。意外とふたり、気が合うんじゃないか?

 ランディさんが合流したのは、私が朝食を終える頃。げっそりとした表情を浮かべていた。お疲れさま。
「参ったよ。幾ら断っても退いてくれなくて。手を変えて攻めてくる。戦そのまんまだ」
 ああ、そうか。ランディさんも一年前にそこにいたんだな。
 それから詳しく話しを聞こうと思ったけれど、また中佐がやってきそうだったので、先に逃げた。ま、宿を離れてから聞くさ。
 部屋へ戻って荷物を纏めてから、私は厩舎へ行ってグルニエラの準備をする事にした。
「グルニエラ、おはよう」
 挨拶をすると、ぶるぶると鼻を鳴らしての返事があった。御機嫌は良くも悪くもなし、といった感じだ。
 鼻面を撫でてやっていると、「良い馬だな」、と声がかかった。
 振り返れば、ギャスパーくんがいた。中佐もいるのか、と思わず見回すと、
「中佐は今、食事をしながら、あんたの兄さんと話しているから大丈夫だ」
 第二ラウンドか。ああ、ランディさん可哀想に。
 目の前に立つグスカの士官を改めて観察した。
 薄暗い厩舎の上に逆光で立つその人は、身長は他のふたりに比べて低いが、如何にも丈夫そうながっしりとした体形をしている。迷彩色に似た緑の軍服が、少し窮屈そうだ。襟元をはだけて着崩している。やんちゃそうな雰囲気に、溌剌とした雰囲気。でも、なにか気まずそうな表情をしていた。
「……なにか、私にご用ですか」
 努めてやんわりとした口調で水を向けると、うん、と躊躇う頷きがあった。
「ええと、俺がこういうのも変なんだけれど、スレイヴ、中佐のこと悪く思わないでやって欲しいんだ。確かに軽いとこあるけれど、いい加減に思っているわけでもなくて、それよりもラルのやつがあんたの兄さんを気に入って……珍しいンだ、ラルが人を気に入るって。ええと、だから、中佐はラルの手伝いっていうか説得するのに力貸しているっていうか、ええと」
 凄く一生懸命に、私に説明しようとしているのが分かった。でも、自分でも何を言いたいのか分からなくなってしまっているみたいだ。
 グルニエラが、笑うみたいに鼻を鳴らした。
 私も、悪いと思いつつ吹きだしてしまった。
「分かりました」
 笑いながら言うと、え、とした顔が私を見て、また気まずそうに頭を掻いた。
「別にそんな風に思ってはいませんよ。悪く思うもなにも、昨日、初めてお会いしたばかりでなにも知らない方ですし。ちょっと、吃驚はしましたけれど」
 営業用のお嬢さんモードをオンにして答えた。
「あ、そう、なんだ」、とギャスパーくんは意外そうに言った。
「俺、てっきり、中佐の事、きらっているんだと思ってたから」
「だから、兄さんの説得を邪魔すると?」
 それにははっきりと答えなかったが、肯定するような雰囲気があった。
「別にそんな事はしませんよ。決めるのは兄さんですから。出来れば、やめて欲しいとは思いますけれど」
「やっぱり、軍に入るのは反対なんだ」
「はい。私には、もう兄さんしかいませんから」
「そっか……」
「私、生まれつき身体が弱くて、こどもの頃から滅多に家の外に出られなかったんです。ですから、お友達もいなくて。兄さんはそんな私をいつも気に掛けてくれて、外の事とか勉強を教えてくれたり、寝込んだ時には寝ずの看病をしてくれたりして、優しい兄なんです。ですから、父と母がいなくなった今、兄までいなくなってしまうと、私どうしたら良いのか分からなくて……頼ってばかりではいけないって分かっているんですけれど」
 昔、観たことのある白黒映画だかもこんな話しじゃなかったかと思う。うん。
「それに、軍に入ってしまうと、戦争にも行かなければならないんでしょう? 兄さんになにかあったら、私、」
 顔を背けるようにして、グルニエラの鼻先を撫でた。おお、クサいぞ、自分!
「悪かったよ。俺達、そんなつもりなくて。ただ、ちょっと俺達も焦っててさ。出来るだけ多くの仲間が欲しくて、それで。ここにも、別部隊にいいヤツがいるって聞いて来たところでさ」
 気まずそうにギャスパーくんは謝った。ほう?
「……何故、軍に。家族の方は反対されなかったんですか」
 それには、ああ、と頷く声があった。
「俺達、孤児っていうか、そんなんだったから。ここには来ていないけれど、他にもふたりいて、みんな同じ養護院で兄弟みたいに育ったんだ」
「ごめんなさい。私、そんな事、知らなくて」
「気にしなくて良いって。中佐はまたちょっと違うんだけれど、似たような境遇でさ。だからさ、俺達みたいなのがまともに生きて行こうとするにはどうしても色々あって、いちばん手っ取り早いのは軍に入る事で、それで」
「そうだったんですか」
「でも、うまくいかないもんだよなあ。上の連中がいるからさあ。結局、身分だなんだって言うから」
「御苦労されてきたんですね」
 現実にこんな話を聞くなんて、思いもしなかった。
 逆光のなかでもはっきりと分かる、にっ、としたこどものような笑顔が向けられた。
「まあな。だけど、その分、俺達、強いんだぜ。そんじょそこらの軟弱な貴族とは比べ物にならないくらいに」
「そうですか」
 私も微笑む。
 そういうガッツは好きだ。汗臭いのは嫌いだけれど、芯の通った気概やプライドは、どういう形のものであれ好ましく感じる。
「だから、みなさん仲が良いんですね。少し、羨ましいです」
 ええと、と言い淀みながら、ギャスパーくんは言った。
「あのさ、あんたさえ良ければ、俺達、友達にならないか。その、中佐の事とか兄貴の事とか関係なくさ」
 ……好い子だな、君。
「有難う。嬉しいです」
 そう答えれば、手が差し出された。私はその手を握った。
「これで俺達は友達だ。ええと、俺は、ギャスパー・フラム・ロイド。ギャスパーって呼んでくれ」
「はい。私の事はキャスって呼んで下さい」
「俺達、普段はリーフエルグの砦にいるからさ。なにかあったら、訪ねて来いよ。困った事があったら、力になるからさ」
「有難う。私達はこれからチルバに行くんです。良いお医者さんもいるし、そこで暮そうって兄さんが」
「ああ、そうか。俺達もチルバには行く事もあるから、会えるかもしれないな」
「そうですね。その時には、また、ゆっくりとお話を聞かせて下さい」
「うん、中佐が一緒だと大変だろうけれど」
 そう言って破顔した。
 手がゆっくりと離された。
「じゃあ、またな。道中、気をつけて」
「はい、皆さんもお元気で」
 じゃあな、と最後まで爽やかな笑顔を残して、ギャスパーくんは厩舎を出ていった。
 そして、ひとり残った私は、深く溜息を吐いていた。
「お見事でした」
 入れ違いにウェンゼルさんが入ってきた。
「いつからそこに」
 訊ねれば、「あなたが中佐を嫌っているのではないか、とその辺りからです」、と首を竦めるように答えた。
「しかし、大したものです。白髪の魔女のふたつ名は伊達ではないと思い知りましたよ」
「よして下さいよ、そんな言い方」
 私は溜息交じりに答えた。
「自分でも、大概、腹黒いと思い始めているところなんですから」

 ああ、嫌だなあ。嫌だ、嫌だ。あんな純真な子を騙すなんて、いい大人のするこっちゃないよ。でも、どうしよう。
 ……彼等を嵌めたくない、そう思い始めてもいる。良くは知らない相手でも、大事な所は感じ取れる。
 無性に、エスクラシオ殿下に彼等の事を伝えたいと、そう思った。




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