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 久し振りに完徹した。
 癇癪おこしながら考えて、のたうちまわって、結局、眠れなかった。思いきり、気持ちは荒みまくっていた。
 明るい太陽も、青い空も大っ嫌いだ! みんながみんな、爽やかな天気を喜ぶと思うなよ! なんで、こんな時こそ、景気良く土砂降りにならないんだ!?
 ウェンゼルさんが朝食に呼びに来た時、半死人状態の私を見て、ぎょっ、とした表情を浮かべた。
 噛みついて、ゾンビ菌、移すぞ。
「ランディさんは」
「先に行っています。あの、」
「なんですか」
「昨日の話なんですが」
「ああ、はい。私の方からもおふたりに話があります。確認したいと言うのか」
「そうですか」
 ウェンゼルさんの瞳が伏せられた。

 予想に違わず、朝食は重苦しい雰囲気のものだった。
 半死人状態の私に比べて、ランディさんはいつもと変わらずこざっぱりとした身形をしていたが、やはり、良く眠れなかったのだろう雰囲気を感じた。
「もう一泊していきませんか」
 私は言った。
「その方が良さそうだね」
 ランディさんも答えた。

 朝食の後、私はグルニエラの様子をみてから、ランディさん達の部屋へ行った。
 グルニエラも私の様子がおかしい事に気付いたのだろう。『どうしたんだ』と言わんばかりに、何度も鼻先をこすりつけてきた。……馬にまで心配されるってのも、なんだか。でも、お陰で気分は落ち着いた。アニマルヒーリングだな。
 そして、部屋の椅子に座った私は、ベッドに腰掛けるランディさんとウェンゼルさんを前に息を吐いた。
「まずは、昨日は取り乱してすみませんでした。謝ります」
 頭を下げる私に、ランディさんは、いや、と答えた。
「仕方ないと思うよ。元より君には関係のない話だし」
「そうですね。でも、もう関係ない話じゃないです」
 そうだね、と頷きながら白金の髪が掻き上げられた。
「今更、こんな事を言うのもなんだけれど、何故、エスクラシオ殿下が君を巻込んだのか、疑問に思うよ。本当は、君はこんな事を知るべきではなかったと思うし、こんな血腥い事に関るべきではなかった。もっと、君に相応しい優しい場所で静かに、穏やかに暮すべき人なんだと、そう思う」
「……でも、現実、私はここにいて、あなた方の戦の片棒をすでに担いだ状態にいます」
「そうだね」
 寂しそうな頷きが返された。
「だから、もう一度、仕切り直して、しっかりと担ぎ直そうかと思います。このままだと前に進めそうにないので、その為に教えて欲しいんです」
「なにを」
 そう問い返すランディさんをウェンゼルさんは気遣わしそうに見ていた。
「おふたりは、グスカの人達を許す事ができますか」
 答えはなかった。
「ウェンゼルさん」
「……難しい質問だな」
 溜息が答えた。
「そうですか。では、質問を変えます。おふたりは国に忠誠を誓ってらっしゃるんですよね。陛下や殿下に」
「そうだな」
「例えば、エスクラシオ殿下が、殺すな、と命じれば、大事な友人を殺した敵兵を前にしても、殺さずにいられますか。憎む気持ちを押さえられますか」
「ウサギちゃん」ランディさんが鋭く口を挟んだ。「何が訊きたい?」
 問われて、私もすぐに答えられない。でも、それは色々な考えが止めどなく湧いて出てきて、纏まりがつかないでいるからだ。
 私は息を深く吸って、吐いた。そして、考えながら話し始めた。
「私は戦争を経験した事がないので、分からないんです。大事な人を殺された経験もありません。でも、多分、ランディさん達やレティ、タチアナさん達が殺されたりしたら、多分、その相手を憎むと思います。同じ痛みを与えてやりたいと思うと思います。そう考えると、ランディさんがロウジエ中佐を斬りたくなった気持ちも分かります。でも、実際に手にかけたのは、ロウジエ中佐かどうかは分からないです。そして、サバーバンドさんと話した後、ランディさんは私に言いました。『潰してしまうには惜しい』、と。半分、酔っていたせいだとも思うんですが、おそらく、あれが本音だったのではないのですか。憎むべき相手と分かっていても、実際に話してみると憎みきれなかった。少しでも分かりあえた部分があったのではないですか」
 それはそれで辛かったと思う。死んでいった友人や父親を裏切ったような気分がして。それでより憎しみが増したりしたかもしれない……私の勝手な想像だけれど。
「実は、出発する前日、エスクラシオ殿下は私にだけ言いました。『この戦に大義はない』って。『味方であろうと敵であろうと、本来、こんな理由で人は死ぬべきではない』、と。だから、私を使おうと思ったそうです。少しでも犠牲を減らせるならば、と」
 はっ、と目の前のふたりの顔があげられた。
「それと、これは、私がランデルバイアに連れて来られる時の話なんですが、殿下は死について、戦場では恐ろしいとは思わないけれど、一度、戦場を離れると恐ろしく感じる、とそのようなことも口にされていました」
「殿下がそのような事を……」
 呆然とウェンゼルさんが言った。
「私の勝手な解釈ですけれど、多分、戦の最中よりも、終ってからの方が色んな事を考えたり、思い出して、恐ろしく思ったり辛く感じたりするんだと思うんです。現に私のいた世界でも、戦争から帰ってから精神を病む人が多くいました。だから、殿下の意志には、今回の戦いについては、部下の人達に出来るだけ人を殺さないですむようにしてやりたい、って意味もあると思うんです。憎まないようにしたい、憎まれないようにしたい。そういう事だと思うんです。私はそう信じます。だから、それに従いたいと思います。ですから」
 私はふたりに言った。
「憎むなとは言いません。恨みもあるでしょう。辛いと思います。でも、その気持ちを諦めてもらえませんか。先に進むために、死者の無念よりも良い思い出の方を尊重して貰えませんか。当事者ではない私が言うと勝手な言い分にしか聞こえないかもしれませんが、でも、もう終りにしませんか」
 私は同じような立場に立った時、諦めきれるだろうか。分からない。だから、知った事じゃない。知るか、そんなもん! いちいち受け止めてなぞいられん。そんなもんは、ばっさり切り捨ててやる!
 とは言っても、不条理にボコられた経験からしても、納得しない人間は多くいるだろうな。統合した後もグスカの人間を差別し、迫害する人もいるだろう。でも、この時点で、今、私の目の前にいるこのふたりだけには、分からないまでも理解して欲しいと思う。
 ……本当に勝手なもんだ、人間てのは。私だけじゃなく、他のみんなも勝手だ。あぁーぁ、嫌になっちゃうぜ、マジに。でも、まあ、やりたいようにやらせて貰うさ。
 長い時間を置いてランディさんが言った。
「それが殿下の御意志であるならば、従おう」
 静かな声だった。
 ウェンゼルさんも眉間に皴を寄せた顔で、「私も従います」、と言葉も短く頷いた。
 良かった、と口から出そうになって、私は慌てて言葉を呑み込んだ。そう言えるものではない筈なのだから。人間、そう簡単に気持ちを切り替えられる筈がない。長年蓄積されたものであれば、尚更。でなければ、こんな寂しそうな表情にはならない。
「では、そのように。これからも宜しくお願いします」
 私はふたりに頭を下げた。



 その後、ウェンゼルさんが馬たちの面倒を見に部屋を出ていって、私も部屋へ戻ろうとしたところをランディさんに引き留められた。
「ウサギちゃん」
「はい」
「ウサギちゃんにひとつ頼みがあるんだけれど、聞いて貰えるかな」
 そんな哀しそうな顔で言われたら、嫌とは言えないだろう。無理もないけれど。
「なんでしょうか」
 おいで、おいで、と手招きされて近付いた。
 ベッドに腰掛けたままのランディさんは立つ私を見上げて手を伸ばすと、黙って抱き締めた。
 吃驚した。でも、ウエストに回された腕は強くもなく、良い感じだった。だから、そのままじっとしていた。
 でも、やっぱ、少しドキドキする。男とこういう事するの久し振りだから。手に触れる程度じゃ分からない身体的な違いを意識する。
 当り前に大きい。腕や首筋なんかも太くて強い。触れる背の筋肉の張りもなにもかも全く違う。
 でも、私の胸元に顔を埋めるランディさんは、不思議と頼りなく感じた。だから、こどもみたいに髪を撫でてみた。以前から、一度、触ってもみたかったし。白金の髪は、思っていたよりも細くて柔らかな感触だった。
「細いね」
 不意に、ランディさんが言った。
「それに、思っていたより柔らかい。もっと、硬くて骨っぽいかと思った」
「失礼ですよ、それ。確かにこちらの女性に比べて起伏には乏しいでしょうが」
 すると、くくっ、と笑い声がたった。
「本当にね。君には初めて会った時から、意外な事ばかりだよ」
「男と間違えていましたもんね」
「そうだね。でも、本当に男だったら良かったのに」
「そうですね、私もそう思います」
 だったら、状況も少しは違っていただろうにな。きっと、目の色を隠さずに、堂々ともしていられただろう。もっと、簡単に事は済んでいたかもしれない。
「……ごめんね」
 唐突な謝罪。
「なにがですか」
「何の関係もないのに、辛い思いをさせて」
「ランディさんが謝る事ではないでしょう」
「そうだけれど……ごめんね」
 どうして、男って時々、こどもみたいに思えるんだろう。でも、考えてみれば、彼もまだ二十六歳なんだよなあ。日本の同い年の男に比べたら、ずっとガタイも良いし大人な気はするけれど、感受性とかはそうも変わらないと思えばしょうがないよね。
 ……なんだか、自分がすんごくお姉さんになった気分だ。
 それから暫くの間、いい子、いい子、とランディさんの頭を私は撫で続けた。




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