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 肌に突き刺すような空気、と言うが、今のグスカは正にその印象。
 密やかに、細波の如く噂は着実に目指す浜に打ち寄せ、僅かずつ陸地を削り、変化をもたらしているのを感じる。
「想像していた以上に混乱しているようですね。こうして実際、目の当たりにすると、不思議な気もします。しかも、その原因を作った人物が自分の前にいて、のんびりパイを突いているんですから」
 と、ウェンゼルさんが言えば、
「まったくだ。どこにそんな魔物の尻尾と羽根を隠し持っているのか。時々、恐ろしくも感じる」
 と、からかうような笑みを私に向けて、ランディさんも答える。
「そんなもんありませんよ。でも、このミートパイ、本当に美味しいです」
 三人揃っての食卓。当初、密かにいちばん不安に感じていた食生活は、意外なほどに豊かだ。
 いや、私も料理が出来ないわけではないのだが、こちらの料理とはまた違うものだし、微妙に味覚の違いがあるみたいだ。薄味っていうか、味がしないって言われた。君らの舌が鈍感なんだろう!
 そう言うあとのふたりもお貴族さまだから――ウェンゼルさんは男爵家の跡取りと判明――腕前は推して知るべし。でも、その代わり、彼等は別の手段で食べ物を獲得している。
「確かに。パイに関してのマリーの腕は城の料理人にもひけを取らないね」
「兄さん、ちゃんとお礼言っておいてくださいね。クッキー用意しておきましたから、籠を返す時にそれも渡してあげて下さい」
 私は、『兄さん』と呼ぶのも慣れたランディさんに言った。
 マリーさんは、三軒隣に住む家の奥さん。旦那さんに三人の子持ち。私も一度、庭先で会ったが、なんだか丸分かりの人だった。
「あら、あら、可愛らしい妹さんだこと。宜しくね」
 恥ずかしがって兄の陰に隠れる妹を演じた私に、満面の笑みのねばつく猫撫で声で言ったもんだ。それは、マリーさんに限らず。他にも、リンダさんやモリーさん、ジャニスさんに、エリザさん、あと誰だ?
 そう。彼等は、今や御近所の奥様やお姉さま方のアイドルと化している。お陰でこうして、毎日、どこかしらから差し入れがなされて、何をせずとも食うに困らない状態だ。有り難いというのか、なんというのか……
 品の良さは当然のことながら、ルックスも良いからな。しかも、身体の弱い妹の面倒をみているという点で同情票も獲得しているみたいだ。
 ウェンゼルさんは下働き、という役割にしてもどこか慣れない様子が母性本能をくすぐるのか、日々、市場のおばちゃん達にかまわれているみたいだ。おまけと称するサービス品をいつも貰って帰ってくる。
 でも、時々、彼等がそれで複雑な表情を浮かべるのを私は知っている。
 敵を人として認識してしまった相手と、それでも、ひとたび戦場にて相対せば戦わなくてはいけない。そこに悩みがないわけがない。
 実は、それは私にも言える事で。それあって、ここに来て作戦にすこし修正を加えた。
「で、感触としてはどうですか。噂は少しずつでも広まって王都にまで届くでしょうか」
 ウェンゼルさんに訊ねる。
「それは分からないな。なにせ急に出したものだから。でも、話した相手の男の顔も、相当、引き攣っていたから上手くいけば効果があるんじゃないかな」
「そうですか。上手くいけばいいんですが」
 私は嘆息する。
 私がここに来て、新たに流すように指示した作り話がある。それは、ガーネリアに関するもので、滅ぼされた王国の兵士の亡霊が、日々、彷徨い出て歩いているというものだ。

 北部の戦場近くの草原で野営していた商人が、真夜中、ふ、と人の話し声に目を覚ましたところ、近くの草叢に兵士達が集まって、なにやら話していた。
 こんな場所に何故、兵士がいるのか、と不審に思い様子を窺っていると、『ガーネリア』と聞こえた。
 今度こそ、ガーネリアの土地を取り戻さなければならない、と。その為には、王を早く見付けてランデルバイア軍と合流しなければならない、と兵士達は話していた。そして、よくよく見れば、その身体は透けて見える。
 商人はそこで初めて、彼等がガーネリアの兵士の亡霊である事に気付いた。
 恐ろしさに震えながら、商人は動くことも出来ずにいたところ、不意に話し声は途絶えた。やれやれ、行ったか、とほっと息を撫下ろした商人の首を、ひやり、と触れる者がいた。はっ、と振り返ると、そこに先ほどの兵士が立っていた。
 叫び声をあげる商人に、兵士は訊ねた。ガーネリア国王は何処にいるか、と。
 商人は震える声で答えた。マジュラスではないか、と。そこで処刑されたから、と。
 途端、兵士は唸り声をあげて、叫んだ。
 呪われろ、グスカ王! そして、グスカの王族すべてと、それに与する者共! ガーネリアのこの恨み、その血を根絶やしにするまで、未来永劫続くと思い知れ!
 そのあまりの鬼気迫る表情と恐ろしさに、ついに、商人は気を失ってしまった。
 そして、次に気が付けば、朝になっていた。兵士の姿はどこにもおらず、何も変わった様子はない。
 ああ、あれは一夜の恐ろしい夢だったか、と息を吐いたのも束の間、商人は周囲に夥しい数の足跡が残って事に気が付いた。そして、運んでいた商人の荷物には、幾つもの血の手形がついていた。
 再び、背筋が凍りつく思いをした商人は、慌ててその場を逃げ出した。

 ……と、まあ、ジャパニーズホラーの定番とも言える内容をアレンジして創作し、今、実行部隊の皆さんに噂を流して貰っている最中だ。目的は、直接的な原因にはならないにしろ、切っ掛け一つで兵士の逃走を促す事と、グスカ王と王族に対しての忌避を植え付ける為。
 仕掛ける方としては馬鹿馬鹿しくもあるし、本気にするかしないかもあるが、アイリーンの暴走を経験した事から、伝わればそれなりに効果があると思われる。戦う人間さえいなければ戦にもならんだろう、という理屈だ。仕込む期間の短さがあって『ちんちろりん』が流行るかどうか疑わしい、というところで上手く補えられれば良いか、と思う。
 そう言えば、とウェンゼルさんが言った。
「僅かにですが、ロウジエ中佐を更迭しようという声があがってきているようです」
「……そうですか」
 彼等はどうするのか。
 それも私にとって気掛かりなひとつだ。ちょっととんでもないだけで、悪い人じゃない事は分かっている。そう思うだけで、胸の奥が疼くのを感じる……このままで良いんだろうか?
「明日、殿下が出発されるな」
 話を断ち切るようにランディさんが言った。




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