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 今日は外出の日。実際に街の様子を見て、肌で感じては状況を見る必要あっての事だ。そして、必要あれば、調整の為の指示を出す。
 ランディさんと一緒に商店街を歩く。軒を連ねる様々な店の間、人々が立ち話をしている様子を見ながら、時々、近寄って聞き耳を立てる。
 商人の街だけあって、時勢を読むに長けた人物は多い。噂ひとつに神経を尖らせもする。そのせいか、街の空気は荒んでもいる。
 なんて居心地の悪い空気だ!
 その影響あってか、昼間でも目付きの悪い男たちの姿がそこここに見受けられる。チンピラとかいう類もそうだし、兵士や傭兵らしき者もそうだ。時々、擦れ違っては、吹く口笛が聞こえてくる。
 花火の燃えかすのようなキナ臭い匂いが、街全体を覆い尽くしている。
「そろそろ帰ろうか」
 ランディさんが気遣わしげに言った。
「そうですね」
 はっきり言って怖い。ランディさんがついていてくれていても、全身の毛を逆立てるハリネズミになった気分だ。他の女性達も同じ気持ちなのだろうな。
 ランディさんが囁く声で言った。
「少し急ぐよ」
 掴む腕に従って、小走りになる。すると、後ろから数人がついてくる気配を感じた。そうして初めて、私は自分たちが標的になっている事に気付いた。
「こっち」
 路地を曲がる。そこから手を引かれながら、全速力で走り抜ける。とは言え、運動能力に関しては皆無と言って良い身。速さは知れている。それでもなんとか抜けて、大通りへ出た。
「おおっと」
 途端、わざとらしい声があった。先に進もうとする私達の前に男が立ち塞がった。
 明るい茶色の髪を肩過ぎまで長くし、目付きばかりが餓えた獣みたいな男。戦でできたものだろうか。あちこちに傷を残す素肌に革の胸当をつけている。腰には太い剣。傭兵崩れと言われるタイプの男だ。後ろには似た感じの柄の悪いふたりの男が付いている。後ろを振り返ればばたばたと足音も高く、後を追いかけてきたらしいふたりの男が追いついてきた。
 男は剣呑な様子で私達に言った。
「なあ、兄さん、俺達、持ち合せが足りなくて困っていてなあ。少し融通をきかせちゃくれないかなあ」
 たかる言葉に、ランディさんは私を背に庇った。
「まあ、そっちのお嬢さんが付き合ってくれるってんだったら、話は別だが」
 下品な笑い声が周囲からたった。
「……金ならくれてやる。妹には手を出すな」
 今まで聞いた事のない刺々しい声でランディさんは答える。
「へえ、随分と気前がいいなあ」
 どうしよう……怖い。剣を持った五人を相手にひとりで立ち向かうなんて無茶だ。誰か助けを……警察なんていないし……どうしよう……
 周囲を伺っても、見てみぬ振りをして足早に行きすぎる人ばかり。私達を避けるように迂回するか、それとも、遠巻きに眺めるか。誰ひとり当てになりそうにない。
「逃げて」、とランディさんが辛うじて耳に届く小声で言った。
「じゃあ、両方いただこうか!」
 一斉に詰め寄る男を前に、ランディさんは態勢を変えながら私を荷馬車が走る道の真ん中へ押し出した。
「走れっ!」
 私はランディさんの声に弾かれるようにして走り始めた。ランディさんが気になりはしたけれど、私が捕まる事の方がよほど足手纏いになる。
 背後で何か引っ繰返すような派手な音がした。
「待てッ!」
 後を追いかけてくる男の声がした。停まっていた馬車を掻い潜るようにして、私は逃げた。ジグザグに動き回りながら逃げる。でも、後ろからの足音は次第に近付いてくるのを感じた。
 兎に角、今、捕まるわけにはいかない。逃げて、誰か助けを呼ばなければ、ランディさんが……でも、息が上がって苦しい。誰か!
「おっと」
 後ろを気にした一瞬、足が縺れて、前から来た人にぶつかった。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
「助けて下さい! 人に追われてっ!」
 ぶつかったその人を見上げて驚いた。相手も、おや、と驚きの表情を浮かべる。
「中佐、あっちに良い店があるって、そこのおばちゃんが……あれ、キャス?」
 ギャスパーくんとサバーバンドさんがいた。そして、私の身体を支えるロウジエ中佐。
「助けて! 男達に絡まれて……あっちで兄さんがっ!」
「男って、あれかな」
 振り返れば、私を追いかけてきた男がふたり、中佐を見ては顔を引き攣らせて足を止めた。
「まかせとけっ!」
 ギャスパーくんが真っ先に飛びだしていった。
「中佐、そっちは任せましたよ」
 サバーバンドさんも後に続いた。
「残しておけよ!」
 ギャスパーくんが振り返り様に付け加える。
 今度は追われる立場になった男達は背を向け、全速力で逃げ始めた。その後をふたりは躊躇いもなく、追っていった。
「お兄さんはどちらに」
「こちらです」
 私は中佐の手を引いた。ああ、なんて足の遅い……もどかしいったら!
 思い通りにならない自分の身体に苛立ちながら、必死に足を動かして元来た道を戻る。すると、通りの向こう、行きすぎる荷馬車のまたその向こうに、男達に取り囲まれ殴られるランディさんの姿が見えた。
 二人がかりで取り押さえられ、残るひとりの拳を腹部に受けていた。
「ここで待っていなさい」
 手を離したロウジエ中佐は私を留めると、男たちに向かっていった。
 しかし、それで安心したわけではない。ひとりで大丈夫なんだろうか、と離れた場所から見ていると、中佐は殴っていた男をいきなり殴り倒した。そして、続けざまにランディさんを掴んでいたうちのひとりを蹴り倒した。そして、自由を取り戻したランディさんはもうひとりを振り払い、顎に一発。しかし、立ち上がった最初に殴られた男が掴みかかる。そこから、三対二の乱闘が始まった。
 殴り殴られ、ド突きあい、逃げようとするところを引き摺り倒して、また殴りつけている。中佐がひとり加わったことで、形勢は一気に逆転したようにも見える。
「あー、畜生、遅かったか!」
 私の横を走り抜けながらの声があった。
 もう、あちらの男は片付けたのだろうか。あっ、という間もなくギャスパーくんの走り向かっていく後ろ姿を見送っていた。
 ぽん、と私の肩に手が置かれた。
「直ぐに終りますから安心して」
「サバーバンドさん」
 涼しい表情は相変わらずで、何事もなかったかのようだ。
「あの、あの人たちは」
「ああ、もう片付けて、近くの憲兵隊に引き渡してきました」
「大丈夫でしたか。あの、怪我とかは」
 しているようには見えないが。
「御心配なく。手応えなさすぎて、気晴らしにもなりませんでした」
「はあ」
「ほら、もう終った」
 言われて見れば、地面に倒れた男をこれでもか、と踏みつけるギャスパーくんがいた。なんだか、悔しがっているようにも見える。他の男も地面に伸され、よろけるランディさんとそれを支える中佐がいた。
「ランディッ……兄さん!」
 私は慌ててランディさんに駆け寄った。
「キャス」
 そのまま、ぎゅっと抱き締められた。
「無事でよかった。怪我はなかったかい」
「中佐達に助けて貰えたから。それよりも、そっちの方が……大丈夫?」
 ランディさんの頬に痣が浮かび、口の端も切れたみたいで血が出ていた。持っていたバッグからハンカチを取り出し押さえると、痛みに顔が歪んだ。
 軽い咳払いが聞こえて、中佐を振り返った。こちらは、怪我もないらしい。ギャスパーくんも余裕の表情だ。
「みなさん有難う御座いました。お陰で助かりました」
 頭を下げて礼を言えば、すかさず、手が握られた。
「スレイヴとお呼び下さいと申し上げたでしょう、キャスリーン。でも、ここで再びお会い出来たのも、やはり、運命に導かれての事に違いありません」
 ……病気は相変わらず良くなっていないらしい。
「妹に気安く触れるな」
 ランディさんが手荒く私を奪い返した。……君もな。いい加減、腰から手を離さんか。
「まるで、恋人のようですね」
 サバーバンドさんがクスクスと笑う。
 ほら、みろ!
 軽く叩くことで渋る手を離させて、私は言った。
「あの、皆さん、これから何か御用事でもあるんでしょうか」
「いや、軽く腹ごしらえしてから酒場に行くかしようって話をしてたところでさ」
 と、ギャスパーくんが答えた。
「そう言いつつ、あなた方がチルバにいてひょっとして会えるのではないか、と言い出したのは彼でしてね。でも、まさか、本当にお会いできるとは」
 サバーバンドさんの説明に、ギャスパーくんは少し照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
 マジュラスからの軍務の帰り、買い物ついでの息抜きに、と立寄ったのだそうだ。
「むしゃくしゃしてたからさ」
 と、言い訳らしくギャスパーくんが言った。
「でしたら、宜しければうちにいらっしゃいませんか。大したおもてなしは出来ませんけれど」
「キャス」
 ランディさんから、驚いたような咎めるような声があがった。
「いいでしょ、兄さん。助けて頂いたお礼もしたいし。それに、また、絡まれでもしたら怖いわ」
 それよりも、彼等と話してみたい。中佐ではないが、そういうツキが回ってきているような気がする。この機を逃してはいけない気がする。
「でも、かえって迷惑じゃないのか」
「とんでもない」、と中佐から即座の返事がある。
「こんな嬉しい誘いは滅多にありませんよ」
 よっしゃ。
 サバーバンドさんも、ギャスパーくんも異存はないようだ。
「よかった」
 私は営業スマイル満開で答えた。
「じゃあ、こいつらをなんとかしなきゃな」
 ギャスパーくんが、意識を失っている三人組みを足先で小突きながら言った。
「すぐに憲兵が来るでしょう、言っておきましたから。ああ、ほら、こっちだ!」
 サバーバンドさんが声をかけた先、四名の緑の制服の兵士が気が付いた様子でこちらに向かってきた。
 私達は憲兵隊に男達を任せ、彼等を連れて家へと向かった。




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