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 最初、彼等が一緒だった事に留守番をしていたウェンゼルさんは戸惑ったみたいだった。だが、経緯を説明すると納得したみたいだった。
 お陰で、その夜はとても賑やかなものになった。
 簡単なおつまみとワインだけのつもりが、料理が趣味だというサバーバンドさんが手伝ってくれて、というより、私が手伝いをしただけになってしまったが、かなり立派な食卓になった。
 隙あらば私に迫ってくる中佐をランディさんがその度に追い払い、ギャスパーくんもそれに加わって騒ぎを大きくして、サバーバンドさんはそれを横で笑いながら、ランディさんのスカウトを諦め悪く仄めかしては、今度はウェンゼルさんまでその標的にされて困っていた。
 その間も、よく飲み、よく食べて、うちの食料庫と酒蔵は空になった。そして、皆、よく笑った。最初はむっつりしていたランディさんも、いつの間にか溶け込んで笑っていた。
「このように楽しい時間を過したのは久し振りだ。この機会を与えてくれたあの馬鹿者共にも、多少の感謝をしなければならないだろう。だが、一番の感謝はキャスリーン、あなたに」
 一晩、うちに泊まっての次の日の帰り際、中佐は私に向かって正式な騎士の礼をして言った。
「やはり、私の目に狂いはなかった。貴方は素晴らしい女性だ。願わくば、この先、私とともに愛しあ、」
「さっさと帰れ! 妹に手を出すなと何度言えば分かる!」
「いい加減にしろって!」
 ランディさんの心のこもった怒鳴り声を受け、ギャスパーくんの愛の籠った足蹴をくらう中佐の横で、サバーバンドさんからも挨拶がある。
「御馳走さまでした。本当に楽しかったです。お陰でこの上ない気晴らしとなりました」
「こちらこそ楽しかったです。お料理、とても美味しかったです。御馳走さまでした」
「また、是非に御一緒にしたいものですね」
「はい、是非」
「キャス、また会おうな!」
「ギャスパー、おまえは何故そんな親しげなんだ」
「だって、俺達、友達だもんなあ、キャス」
「ええ、またね、ギャスパー、気をつけてね」
「いつの間に、おまえはっ!」
「細かい事は気にすんなって」
 雑魚寝であったけれど、皆、風邪もひかず元気そうだ。流石、鍛えているだけはあるらしい。
 バイバイと手を振るその最後まで、とても賑やかだった。
 やれやれ、と見送りながら、ランディさんが溜息を吐いた。

 私は、特に彼等から何が聞きたかったわけでもない。ただ、流れのままに話を聞いて、彼等の人となりみたいなものが知りたかった。何故かよく分からないが、興味があったから。好奇心と言えるものかもしれない。私とは関係がないどころか敵対する位置にいる人に、こんな風に思うのは危険だとは分かっていたけれど。
 でも、その中でも有益な情報を幾つか得ることが出来た。
 ひとつは、グスカ軍が戦以外の理由で少なからず混乱しているに違いない事。ふたつめは、それが、下部の兵士たちに悪影響を与えつつあり、無法化を促している事。そして、それを含めて、中佐達にとって非常に不愉快かつ都合の悪い環境になりつつある、という事だ。機会さえあれば、誰かを力一杯に殴り倒したくなるほどに。おそらく、それは私のした事も少なからず影響を与えているに違いなかった。
「我々にとって有利であることに間違いないのですが……正直言って、素直に喜べないところがあります。妙な気分ですよ。憎むべき相手と分かっていても、先行きを思うと、なぜか落ち着かない」
 彼等が帰った後のリビングで、ウェンゼルさんが眉間に薄く皴を刻んで言った。
 ウェンゼルさんだけでなく、ランディさんも、私も、さっきまで賑やかに笑っていたとは思えないほど深刻な表情に変わっていた。
 それは、単純に『敵』でしかなかった者を『人間』として認識してしまったからだろう。自分たちと同じように名を持ち、泣きも笑いもする人間。抱く矜持、苦しみ、哀しみ、喜び、そういったものに、自分たちとなんら変わらないものを見出してしまったからだ。
 そして、それは私の心も重くしていた。分かっていた事とは言え、あれだけ笑った後の反動としては厳しいなんてものではなかった。
「ただ、守りたいだけなのですよ」
 中佐は私達に言った。微笑みさえ浮かべて。
「隣で戦う仲間を失いたくないと、こうして共に笑って過せる相手を守りたいと、ただそれだけです」
 それが、戦場に立つ理由。
「こうして我々は出会い、同じテーブルを囲み、食事を楽しみ、共に笑いあえる。それだけで、私には守るべき理由となるのです」
 それを聞いた時、同じだ、と思った。私と同じ。私がルーディ達を助けたい理由と何ら変わるところはなかった。
 私は、先ほどまで彼等が占めていた空間を眺める。
「ウサギちゃんとしてはどうなんだい」
 ランディさんに問いかけられる。
「君は彼等との関りを深くする事を選んだ。敵である彼等と関ってどうするつもりだい。言っても遅いことだが、自分の首を絞める行為と言わざるを得ないよ。君が苦しむだけだ」
 どうする? ……どうしよう。
「でも、何も知らないよりはいいと思ったんです」
 浅はかな考えかもしれないけれど。結果、この鬱陶しさを抱え込んでいる。自業自得。
「ランディさん、殿下はランディさんになんて? この任務を行うにあたって、何か言っていましたか」
「いや、なにも。ただ、ウサギちゃんを守るようにと。絶対に敵の手に渡さないように、そして、指示があればそれに従い行動しろ、とそれだけだよ」
「……そうですか」
 本当に甘やかしてくれない人だな。全権を素人の私に委ねるなんて、普通、有り得ないだろうが。
 私はランディさんに訊ねた。
「ランディさんは、どう思いますか。中佐たちの事」
 それには、さあね、と冷たく答えた。
「気にくわないな」
「それは、やはり、敵だから」
「ああ。それに、ウサギちゃんに手を出そうとするのも気に入らない」
 どきり、とした。ううん……
 でも、と付け加えられる。
「でも、それ以外では、ウェンゼルと同じような気持ちだ。腹立たしいことにね」
 エメラルド色の瞳に濃い影が落ちる。
「例えば、中佐が更迭された場合、どういう処分を受ける事になるんでしょうか」
「そうだね。理由が理由だから……中佐の身分は剥奪されるのは当然の事ながら、監禁……投獄。その上で自白は有り得ないから、拷問を受ける事になるだろうな。彼の政治的立場にもよるだろうが、場合によっては、うむを言わさず処刑される事も有り得るだろう」
「でも、軍人としては有能なんでしょう。前の戦いで功績だって残しているわけだし」
「我々にとってはね。でも、勝利したわけでもなく、グスカにとっては敵を退けただけの話だ。上からしてみれば、出来て当り前の事なんだよ」
「実際、戦場にいない者にとっては、結果がすべてですからね。結果だけみれば、評価にも値しないとされる事は数多くあります。そして、彼等にしてみれば、兵士は取り換え可能な駒でしかない。ひとりいなくなった所で別の者にやらせれば良い、というだけのね」
 ウェンゼルさんも溜息交じりに言う。
「そんな……いや、ああ、そういう理屈ですか」
 かつて日本でもあった、馴染み深い話だ。大企業に限らず、現場の人間と管理責任者がきまって擦れ違いを起こすポイントだった。でも、そこで重要視されるのは利益であり、金だった。この世界では、命。重みが違う。
 どうしよう……
 今更ながら、自分のした事に悚然《しょうぜん》としながら、震える。せいぜい降格ぐらいにしか考えていなかった。私はあの人を、好意を示してくれた人を死に追いやろうとしている。迂闊だった、ではすまされないだろう。
「もし、そうなった場合、ギャスパーくんやサバーバンドさん達はどうなるんでしょうか」
「さあ、同罪とされて同じ扱いをされるか、或いは、もっと厳しい、戦であれば捨て駒とした場所に送られるかするだろうね」
 どちらにしても、碌な事にはならないわけか。ああ、なんて嫌な話だ。
「ランデルバイアでも同じような事が」
「そうだね。でも、我々にはディオ殿下がいて下さるから。他の貴族連中が何を言おうと、殿下がすべてを払い除けて下さる。無理を通してでも、我々を庇って下さる。だからこそ、我々も殿下に忠誠を誓い、従う部分が大きい」
「それは、殿下が貴族との個人的な関りを断ったからできる事もあるんでしょうか」
「それもあるね。でも、グスカに同じような人間がいるかどうかは、疑問だ」
 ランディさんは頷いて、私を見て言った。
「ねえ、ウサギちゃん。実際、君が背負い込む事などなにもないんだ。彼等の命でも、私達の命であろうとね。君も以前、私達に言ったろう。自分がどうなろうと私達は私達の務めを果たせば良い、と。だから、君が助かろうと努力しようが諦めようが、私達には関係のない話しだ、とそう言ったね」
「ああ、そんな事もありましたね」
 私がランデルバイアに連れていかれる途中の宿で、私は私の立場に同情して怒るグレリオくんにそう言った覚えがある。
「彼等にも同じ事が言えるんじゃないのかい」
「……そう、ですね。そうなんでしょうね」
 彼等はどうするだろうか。ひょっとしたら、難局を乗り越えるかもしれない。私が心配する事など、何もないのかもしれない。
 それに、これは戦争だ。奇麗事など言ってはいられない。下手に情をかければ、明日は我が身を危うくするかもしれない。私が手を汚したわけではない。必ずしも、彼等を手にかけるわけではない。殺すつもりまではなかった。
 でも。

 ……これも罪だ。

 そう思った。




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