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 人を殺せば犯罪。でも、戦争で殺せば英雄。
 誰が言ったんだ、そんな事。
 ここで、中佐達がどうなろうと、私自身になんら不利益をもたらしはしない。というか、排除できた方が、逆に褒められるのか。だって、敵だから。
 最初、私が提示した標的からロウジエ中佐に変更させたのは、エスクラシオ殿下だ。だから、私が思い悩む必要はないのか?
 否。
 当然、私にも責任はあるだろう。『そんなつもりはなかった』なんて中学生みたいな事を、いい年した大人が言ってなぞいられない。全部、学校の責任にするPTAみたいな事も言っていられない。悪意がなくたって、それこそ結果論として人を死に追いやる事に変わりはない。例え、敵と名付く相手であっても。
 でも、敵だから。これが私の務めだ。任務は果たさなければならない。私自身の為に。
 心の痛みには目をつむり、良心の呵責には口を閉ざし、叫び声に耳を塞ぐ。
 そう覚悟した筈だ。
 だって、これは戦争なのだから。
 だが、もし、彼等が私の正体を知れば、騙されたと思うだろう。憎むだろう。私を殺そうとするかもしれない。
 だって、敵なのだから。私は彼等の国を侵略しようとする敵。
 私だって、今、彼等に殺されるわけにはいかない。私には、私のやらなくてはいけない事がある。
 殺られる前に殺る。それだけの事。
 だって、戦争だから。敵だから。
 きっと、彼等の事はこのまま放っておくべきなのだろう。
 正体さえ彼等に知られなければ良いだけの事だ。キャスリーンという名前の、身体の弱い、一時だけ交流を得た娘がいた、というだけで恨むも何もないだろう。
 だって、キャスリーンは彼等にとって友人のひとりなのだから。
 彼等の敵である、白髪の魔女。友人であるキャスリーン。
 どちらも私。私であって私でない私。
 畜生っ! このまんまだと、本当に禿げるぞ!
 アイデンティティどころか、ゲシュタルト崩壊だ!

 本日は雨天なり。
 良い感じに降っている。ざんざん降りだ。この同じ雨に殿下達は、今頃、濡れているのだろうか。……水も滴るいい男、そのまんまだな。
 あれから一週間経って、ランデルバイアのグスカへの進軍がここチルバの街にも伝わった。
 ファーデルシアよりも先に、自国が再び戦場になるという危機に、国民は不安と恐怖に怯えきっている。寝耳に水、というわけでもなかったが、思わぬ早い動きに慌ててもいるようだ。
 ファーデルシアへ向かう筈だったグスカ軍は、そのまま進路を北に変えた。
「酷い降りだ」
 外から帰ってきたランディさんが、髪を頭に張り付かせて言った。
「街はどうでしたか」
 乾いたタオルを渡しながら訊ねる。
「悪いね。我々にとっては良いと言うべきなのか。浮き足立った様子だ」
「皆、疎開し始めているんですか」
 近所でも、親戚を頼ったりして街を出ていく人の数も少なくない。市に立つ店の数も目に見えて少なくなったと、ウェンゼルさんが言っていた。目に見えて荒んだ雰囲気である、と。
「そうだね。戦場にならずとも、略奪の対象となるのを怖れもするから。ここは商業の街だから余計なのだろう」
「ああ……殿下は守って下さるでしょうか。兵士達に、絶対そういう事をしないように徹底させて下さっているでしょうか」
 ガーネリアの話しを聞いた後では、不安も残る。
 ランディさんは微笑んだ。
「殿下は約束を破るような方ではないよ」
「でしょうけれど」
「兵士達も殿下の言葉に逆らうものではない。多少、不満はあっても。だから、信じよう」
「……はい」
 なんで、そんな寂しそうな顔をしているの?

 その日一日、雨は強まったり、弱まったり。
 晴れ間みたいな強制力のない天候は有り難く、ぐずつく天気に憂鬱を委ねてだらだらと時を過した。考える事はやめて、取り留めない思いを纏いつかせながらリビングのソファで仮寝したり、自虐心を弄んでは深みの中で泳いで過した。
 ランディさんやウェンゼルさんも、それぞれ似たような状態でひとり静かな時を過しているようだった。
 夕刻、外が薄紫に染まる時刻、部屋の灯をつけようと椅子から立ち上がった。
 ふ、と玄関扉の脇にある窓から外を覗いた時、家の門扉の前に佇む人影と馬に気付いた。
 それが誰かすぐに分かった。私は慌てて、そのまま外に飛び出ていた。
「中佐! スレイヴさん!」
「……キャスリーン」
 小雨の中、駆け寄った私に、全身しっとりと濡れそぼったその人は微笑んだ。
「こんなに濡れて、いつからここに? ギャスパーさんやサバーバンドさんは? 風邪をひきますから、どうぞ中に」
 腰の高さの門扉を開け促すその場で、濡れる両の腕に捕えられた。くすんだ緑の胸元に顔が押し付けられ、耳元に呼吸を感じた。背中に回された腕は、私を包んでも尚も余る。
「スレイヴさん」
 表情は見えなかったが、震える腕や詰まる呼吸に、哀しみが伝わってきた。首筋に落ちてきた雫は雨なのか。
 そして、私は、私のせいでこの人はすべてを失ってしまったんだ、と気付いた。
 私は大きなわんこを抱き締める。捨てられた、ひとりぼっちになったわんこ。
 ……ごめんね。謝ってすむ事じゃないけれど、ごめんね。言葉に出さずに謝る。本当に、ごめんなさい……
 人ひとりの人生を変えた。悪い方に。しかも、この今、腕の中にある命でさえ根こそぎ奪おうとしている。
 これは、罪だ。罪以外のなにものでもない。そして、加害者は私。
「キャス」
 ランディさんの低く呼ぶ声がした。
 はっ、と緩んだ腕の中、私は振り返る。
 玄関の扉の前、今にも斬り掛かってきそうな目をしたランディさんが立っていた。
 怖い顔だ。こんな怖い表情をしたランディさんは、初めて見るかもしれない。
 ゆっくりと、中佐が私から身を離した。
 ランディさんは溜息を吐いて言った。
「中に入りなさい。中佐も……人目につく」
 その言葉は、おそらく、言葉以上の許しに違いなかった。
「どうぞ」
 私は中佐の手を引っ張った。
「中に入って下さい。話を……聞かせて下さい」

 私は知らなくちゃいけない。
 自分が何をしたかを。




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