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 部屋に灯をともした。
 暖炉に火を入れた。
 温かいお茶をいれた。
 乾いた着替えと、タオルを中佐に渡した。
 そうやって中佐を雨から遠ざけた。
 それで、少しは落ち着いたのだろうか。暖炉の前の椅子に腰掛けた中佐は、正面に座る私に弱々しく微笑みを投げ掛けた。
「気が付いたら、ここに足が向かっていたよ……君に会いたいと……ひと目姿を見られれば、とそう思ったんだが……」
「何があったんですか。サバーバンドさんは、ギャスパーくん達はどうしたんですか」
「リーフエルグの砦にいる。いや、もう既に前線へ出発したかな」
「貴方は行かなくて良いのですか。貴方は彼等の上官でしょう」
 ランディさんの問いに、首が横に振られた。
「もう、上官でもなにもないよ。私は任を解かれた。おそらく今頃は、見付け次第、捕えろとの命も出ている頃じゃないかな」
「何故」
「さあ。背任容疑との事だがどうかな。私は上の連中に嫌われているから」
 くく、と自嘲する笑い声が言った。
「それで、貴方は逃げて来たんですか」
 ランディさんは冷静に質問を続けた。
「逃げた……ああ、そうだな。そういう事になるのだろうな」
「彼等が逃がしたのですね。貴方ひとり」
「……ああ、そうだ」
 そこで、中佐は両手で顔を覆った。
「私は逃げた。仲間を置いて、ひとり……」
 こんなに部屋を暖くしても、明るくしても、雨はまだ降っている。中佐の上に。
 胸が痛い。
 一人前の男が悲しむ様は、まともに見れるもんじゃない。
 私は中佐から目を逸らす。ランディさんを見れば、やはり、眉をひそめて深い溜息を溢した。
 と、そこへ、中佐の馬を隠しにいったウェンゼルさんが戻ってきた。
 どうだった、とのランディさんの問いに、
「馬は、取り敢えず、シャリアの所へ預けてきました。途中、憲兵に呼び止められましたが、馬を納めにいくところだという理由で納得しました。中佐を見かけたら教えろ、と言われました」
「砦から離れた場所の憲兵にまで伝わっているなんて、随分と手回しが良いな」
「ええ。よほど捕えたい理由があるのか」
「何か心当たりは?」
 再びの問いに、中佐は顔から手をはずすと、さあ、と答えた。
「見せしめの為か。もしくは、命を出したのがバイザック伯ならば、私を葬る為にならば、喜んでなんとでもするだろうな」
「政敵なのか」
「いや、兄だ。半分だけ血の繋がる。尤も、向こうは兄弟と名乗るも汚らわしく思っているだろうが」
 思わず、顔を顰めていた。
 『中佐はちょっと違うけれど』、と言ったギャスパーくんの言葉を思い出す。何かありそうだとは思っていたけれど……
「庶子か」
「ああ、そうなるな」
 『そうだ』ではなく、『そうなるな』。微妙なニュアンス。何か理由がありそうだ。
「何故、そんなにまで嫌っているのですか。半分でも血の繋がった兄弟なのでしょう」
 好奇心からでなく。罪悪感からでもなく。同情でもなく。
 だが、ふ、と顔をあげた中佐は私に微笑んだ。
「いや、これ以上は話さない方がいいだろう。君達には関係のない話だ」
「関係なくないです。私達、もうお友達でしょう」
「だからこそ、話せない。これ以上、君達を巻込むわけにはいかない。それに……」
「それに、なんですか」
 中佐は口を閉ざし、答えなかった。
「……世話になった。もう行くよ」
 そう言って、立ち上がった。
「行くって何処へですか」
「軍に出頭する」
 はあっ?
「なに馬鹿な事を言ってるんですか」
「これ以上、迷惑はかけられない」
「迷惑なんかじゃないですよ」
「違う。もし、レッサンドロが指揮を執っているならば、草の根を分けても私を探しだすだろう。それでここにいる事がばれたら、君達もただではすまない」
 ……ストーカーかよ。
「それは困りましたね」
「だから、私は行く」
「じゃあ、私達も一緒に逃げるしかないですね」
「ウサギちゃん」
 ランディさんの呼びかけに私は答えた。
「荷物の準備をして下さい。ここを撤収します」
「いいのかい」
「良いも悪いも」私は溜息を吐いた。「これ以上の危険は冒せません。それに、あらかたやるべき事はやりましたし、ここで捕まるわけにはいかないですから」
「そうだね。ウェンゼル直ぐに準備を」
「分かりました」
 ウェンゼルさんは、その場を離れた。
「それで、どこへ」
「予定を前倒しして合流します」
「それも危険だな」
「でも、一番、安全でしょう。ギャスパーくん達の事も気になりますし」
「待て!」中佐が声をあげた。「何故、君達がそこまでする必要がある。私がここを離れれば良いだけの事だろう!」
「もう、それだけじゃすまないんですよ。もし、ここで兵士達に踏み込まれて引っ張られでもしたら、私こそ死ななければならなくなります」
「何故、そんな」
 私は立ち上がって、初めて中佐を真正面から見上げた。……なんだ、良い顔しているじゃないか。わざわざ口説かなくたって、女の子が自然と寄ってきそうな。
「スレイヴさん、私の目は何色ですか」
 中佐は私を見下して硬直した後、視線を逸らせた。
「……気付いていたよ。確証はなかったが。街中で会った時、一瞬の見間違いかと思った。でも、やはり、そうだったのか」
 そして、手が取られ、唇が落とされた。
「すまない……いや、だからこそ、私は君に会いたかったのかもしれないな」
「言っておきますけれど、私は巫女とかレディとかそんな良いもんじゃないですよ」
 私は中佐に向かって笑った。
「これからはキャスと呼んで下さい。もし、言えるならば、カスミ。それが私の本当の名前です」




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