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 それから私達は大急ぎで、必要最低限の荷物だけを纏めて、家を出る支度をした。元々、大した荷物もなかったから、さして時間もかからなかった。
「スレイヴさん、発つ前にひとつ確認があります」
 動きやすいパンツスタイルに着替えた私は、ランディさんの黒のフード付き外套を中佐に渡しながら訊ねた。
「なんだい」
「貴方はグスカの騎士で兵士だったわけですが、忠誠心はどこにありますか」
 それには、少しだけ考える素振りをみせた。
「忠誠心か。『絶対に裏切らない』、という意味がそれに相応するならば、私を信頼してくれる友と死んだ母に誓うものだ」
「国や国王ではないのですか。御実家については」
 そうだな、と中佐は髪を掻き上げて言った。
「伯爵家は、レッサンドロが継いだ時点でなんの関りもなくなった。それに、解任された今、騎士の宣誓に縛られる義理はないだろう」
「そうですか。では、グスカに対しては、なんのしがらみも思い入れもないとみて良いんですね」
「ああ、そうだな……まったくないと言えば嘘になるが、元より、私に流れる血の半分はガーネリアだ」
 ああ、そういう事か。すべてが得心がいった。
「お母様のお名前はなんとおっしゃるのですか」
「オーフェリア。オーフェリア・シャルロッテ・ロウジエ」
 ふうん。三つ名って事は貴族かな?
「その、キャス」躊躇うように中佐が言った。「出来れば、軽蔑しないで欲しい」
「軽蔑? なんでですか。ああ、ガーネリアの血が入っているからですか。そんなん関係ないですよ。大体、私も国とか殆ど関係ないですから」
 そう答えれば、中佐は安堵するようにゆっくりと微笑んだ。やはり、負い目があるのか、そのせいでこれまで色々あったらしいと想像出来る表情だった。
 中佐の着ていたグスカの騎士服に着替えたランディさんが、部屋から出てきた。
「ぴったりですね。体格が似ているから大丈夫だとは思いましたけれど」
「なかなか複雑な気分だよ。こういうのはね」
 ランディさんは、それでも腰にした剣の柄を愛おしそうに撫でた。
「じゃあ、あとは中佐ですが、ええと、取りあえず、これ被っといて下さい。ちょい、きついかもしれませんけれど」
 私は被っていたカツラを脱いで、中佐に手渡した。
 え、と目を丸くして口を半開きにした顔が私を見た。
「キャス、君は、」
 はい。
「……男、だったのか」
 ぶはっ、とランディさんが吹き出した。
 まったく、この世界のオトコ共ときたら! ほんと、国も何も関係ねぇな。さっき、ぎゅうぎゅうしてたのはなんだったんだよっ!

 夜陰と雨に紛れて、私達は家を出た。
 まずは、シャリアさんの所へグルニエラ達を迎えに行き、そのまま北上して殿下達と合流する事にした。
 前線に行くのは、もう少し後の予定だったが仕方がない。それに、ギャスパーくん達の事も気になる。出来れば、衝突する前に合流出来れば良いのだけれど……とは言っても、ランデルバイア軍に合流するには、グスカ軍を追い越さなければいけない。でもそうするにはなぁ……どうしたら良いんだ?
 ぶっちゃけ、今のところなにか策があるわけでもない。まあ、状況を見て、その場凌ぎでなんとかやってみるさ。本当は、こういうのも嫌いだけれどな。でも、あのまま家にいてグスカに捕まるわけにはいかない。
「密命により通る」
 グスカの軍服を身に着けたランディさんは、流石に姿も言葉遣いもそれらしく居丈高にして、街の検問も難なく通り過ぎた。中佐についても、外套姿の上に金髪のカツラがものを言って、気付かれずにすんだ。私とウェンゼルさんは、荷物持ち宜しく、黙ってその後をついていって事無きを得た。
 戦時下という事もあって、軍属の出入りが多いせいもあっていちいち留めてもいられないってところもあるんだろうな。衛兵なんて、どこも似たり寄ったりのレベルだろうし。
 そうして、夜も更けてはいたが、びしょびしょになった私達はシャリアさんの牧場の扉を叩いた。
 ウェンゼルさんが中佐の馬を預けに来た時点で、シャリアさんも或程度の心積もりがあったらしい。寝ずに待っていてくれていた。
 私達は、夜が明けるのを待ってから出発する事にした。
 灯を消した暗い部屋の中、寝物語ではないけれど、雑魚寝をしながら中佐の昔話を聞いた。
「まだガーネリアが国として存在していた頃、両国の交流もそれなりにあって、母は国の使いとして訪れた父に出会った。若かった事もあったのだろう、一目惚れだったそうだ。それで、情熱に任せて一夜を共にし、私を身ごもった。当然、母の実家は酷く怒り、だが、どうしようもなく、母は父恋しさに身重の身体でひとり家を出て、グスカまで追い掛けてきてしまった。ところが、母は知らなかったが、父には既に妻と息子がいた。父にとっては、一夜限りの遊びであったようだ。当り前に、父は母を追い返そうとした。というのも、婿養子であった父としては、立場上、妻に知られては非常にまずかった。だが、母も今更、実家に帰る事もできず、父は仕方なく、密かに母を囲うしかなかった。そうして生まれたのが私だ」
 ……アイリーンがこんなところにいた。名前を聞いて、シェークスピアの悲劇の姫であるオフェーリア思い出したのは、あながち的外れでもなかったらしい。
 そして、伯爵も最初は遊びの清算と、渋々、面倒をみていたものの、可愛らしく自分を慕うオーフェリアに次第にほだされていったらしい。日陰の身の生活ではあっても、それなりに幸せだったようだ。
「ラルやギャスパー達と会ったのは、その頃だ。彼等のいた養護院と近所で、最初は喧嘩相手みたいなものだったが、いつの間にか仲良くなって、それからずっと共にいる。こどもは単純だからな。一緒になって近所の悪ガキ共と遣りあったりして。喧嘩の仕方は彼等に習ったようなものだよ」
 その頃の武勇伝は、以前、再会した時に彼等からたっぷりと聞かせて貰った。随分とやんちゃで、激しくも愉しそうな幼少時代を過したようだ。
 しかし、そうやって平和に暮していたものの、ついには、本妻の知るところとなった。
「相当、腹を立てたそうだ。父がどうこうというよりは、プライドが許さなかったというのか。まあ、あとはお決まりのコースで、母は心労が祟って病死。私は食べていく為に軍に入り、そこで、また、母親の恨みをそのまま映したかのようなレッサンドロと……つまらない話だ」
「お父さまはどうされたんですか」
「十年前のガーネリアとの戦で」
 ランディさんと一緒だ。
 と、そのランディさんが訊ねた。
「その頃、君は、十五か十六か成人したばかりだったろう。君も出たのか」
「ああ、一応、後方部隊で。十七になる少し前だった。流石に母の故郷相手だから、大して働きらしい働きもできず。ただ、人が死んでいくのを目の前で見て震えていた」
 なんだ、じゃあ、同い年だ。でも、それは辛いだろうな。相手に血縁が交じっているかも知れないと思うと、そりゃあ攻撃も出来ないだろう。でも、残り半分の血が、それを許さなかったりもするんだろうな。
 ランディさんは、尚も中佐に問い掛けた。
「戦の終盤、新規で送られてきたランデルバイアの猛追に、しんがりを務めながらそれを躱し、逃げ切った中隊があった。疲労困ぱいしていた筈なのに、ランデルバイアに少なからず被害を与えたというその指揮をまだ若い少年兵が執っていたと聞いたが、それは、君じゃないのか」
「……どうしてそれを」
「落とし穴や、縄、足下に張られた綱、自動的に跳ね上がる投石機に弓矢。地の利を生かした、まるでこどもが仕掛けるかのような罠があちこち張られ、とても戦場とは思えなかったそうだ。まさか、そのようなものが施されていると思っていなかったランデルバイア軍は次々と引っ掛かり、狼狽え、結局、追撃を諦めるしかなかった。君は戦の間、後方部隊にいて、退却のその時の為に仕掛けを作っていたんだな」
「何故、知っている。君もあそこにいたのか」
「いや。私はいなかったが、いた人物を知っていてね」
「誰だい。私の知っている者かな」
 返答をぼかすように、ランディさんは私に話しかけた。
「キャス、これからどうするんだ」
 ……ああ、そうだね。そろそろ正体を明かさないといけないなぁ。気が重いけれど。
「キャス?」
 中佐が不思議そうに私の名を呼んだ。
 よいしょっ、と。
 私は起き上がると、中佐の寝ている方を向いて座った。
「ええと、ですね。スレイヴさんに聞いて欲しい話があります。というより、決めて欲しい事があります」
「私に?」
「はい。今後どうするか、という話なんですが、ふたつ選択肢があります」
「どういう事だい」
「はい。ひとつは、グスカを捨ててランデルバイアに行くか。もうひとつは、ここから私達の捕虜として戦争が終るまで、一旦、世間からご退場願うかのどちらかです。どちらにしても、絶対とは言い切れませんが、命は助けてもらえるように、精一杯、努力はします」
 がちゃり、と剣を取る音がした。続けて、激しく人が揉みあう音が続いた。
 暗闇に慣れた目にも動きが収まって見えた時、私はポケットからライターを取り出し、手元に置いてあったランプに灯をともした。
 目の前に、ランディさんとウェンゼルさんに四肢の動きを封じ込められた中佐がいた。荒く息を吐きながら、鋭い視線で私を睨みつけていた。狼の血を思い出したかのような表情だ。
「君は……君達は……」
 怒りに滲んだ声を前に、私は答えた。
「私達は、貴方の友人です。でも、敵でもあります。私達はランデルバイア国軍元帥、エスクラシオ殿下の部下です。この国を侵略する為に入り込んでいました」
 返答は、くぐもった呻き声だった。




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