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 中佐の説得には、長時間を要した。
 ランディさん達がそうであったように、過去の戦いの歴史の中で育まれてしまった憎しみや恨み、そして、己の故郷が蹂躙されるという不安と拒絶感、個人の持つ矜持や尊厳。それらを踏躙ろうとされているのだから、抵抗しない方がおかしい。おまけに、騙された感も強いだろうから、尚更だろう。
「そんな言葉を真に受ける者などいるわけはないだろう」
 縄で両手を後ろ手に縛られた中佐は、嘲るように私に言った。
「口でなんと言おうと、占領した暁には、横行、略奪、暴行それらが行われるのは目に見えて分かっている。住民のそれまであった尊厳は失われ、長く培ってきた生活は根こそぎ破壊されつくされる。それを許せる筈がない」
「問題はそこじゃないんですよ、スレイヴさん」
 私は溜息を吐いた。かれこれ二時間ほども話して、話すのも面倒臭くなってきている。疲れた。でも、ここで放り出すわけにはいかない。
 僅かずつ話の内容をずらしながら、落とし所を見出す。って言っても、かなりヤバイ方向に進んでいる。
「今の貴方に、その件に関する選択権はありません。貴方自身がこれからどうするか、です。実際のところ、私もグスカを占領後、殿下達がこの国をどうするかなんて事は知りませんし、分かりません。ただ、この戦の発端が、とても馬鹿馬鹿しい理由である事は分かっていますし、敵味方に限らず出来るだけ、人的にも物質的にも被害を最小限におさえたいという、今のところの殿下の御意志には賛同します。実際、私の権限で出来る事はごく僅かです。人ひとりに出来る事なんて、たかが知れています。それでも、私は貴方やギャスパーくん、サバーバンドさんを助けたい。無為に命を落とすような真似はさせたくない。そして、それはランデルバイア軍にとっても益になります。あなた方が逃げてくれれば、無駄に戦わずにすみます。だから、今、この目の前にある状況をなんとかする為に手を組みませんか、という話です。ですが、これがうまくいっても、貴方は裏切り者の謗りを受ける事になりかねない。ですから、ランデルバイアに亡命という形で新しい生活を始めるか、或いは、ここで私の提案を拒絶して、なにもせずに指を銜えて眺めた後に、占領下のグスカで新しい生活を始めるか、どちらかです。勿論、己の尊厳を守る為の自害という道もありますが、それは避けて欲しいと思っています」
「グスカが敗けるとは限らないだろう。その言い方は傲慢すぎると思わないのか」
「いいえ。グスカの敗北は目に見えています」
「何故、そう言い切れる。現に、一年前の戦いで我々はランデルバイアを退けた」
「その時は貴方がいたでしょう。ランデルバイア側としては、貴方ひとりにやられたと思っていますよ。実のところ、エスクラシオ殿下も貴方の戦での手腕を高くかっています。貴方をこの戦から排除する事をお命じになられて、今、この現状があるわけです。皮肉なもんですよね、味方よりも敵の方からの評価が高いというのも」
「馬鹿な! 私の任を解かせたのは仕組んだ事とでも言うのか。それとも、軍の高官にランデルバイアの息がかかった者がいるとでも!?」
「いいえ。でも、そう仕向けるよう細工はしました。あと、兵達の士気もそこそこ下がっているのではないですか。国王の吸引力も落ちている。まあ、政治の腐敗は元からみたいですが。この状態で、ランデルバイアに勝てるとは私は思いませんが。貴方も薄々はそう思っているのではないですか」
「……まさか」
「酷い話です。でも、考えてみて下さい。国が、王が貴方にこれまで何をしてくれましたか。確かに故郷としての愛着はあるでしょう。でも、それは貴方の周囲にいる人々、貴方がこれまで努力して築き上げてきた人間関係によるものです。本当は、国の名が変わろうが、国王がどうなろうが知ったこっちゃない。現に貴方も言いましたよね。忠誠心は国や国王にはない、と。私にしろ、貴方にしろ、現状を維持するのに必死だし、周囲にいる大事な人を守るので精一杯って事なんでしょう。戦の勝敗よりも、生きて逃げ延びる方を優先させた戦法もそういう事じゃないんですか」
 自嘲するしかないのだ、私にしても。
「正直言って、私も殿下の言っている事は理想論だと思っていますよ。殿下もそれは分かっているでしょう。奇麗事を言うだけならば、なんとでも言える。現実、グスカがランデルバイアの一部となって、良くなるかって言われても、分からないとしか答えようがないです。もっと、酷くなるかもしれない。その責任はとてもじゃないですけれど私には取れないですし、その後、貴方が反旗を翻して他の兵士共々、国を取り返そうとしても不思議ではないと思います。そうなったところで、私の知ったこっちゃないです。知らない人が不幸になろうが、死のうが、関係ない。でも、今は、私は貴方を助けたいと思っています。それに偽りはないです」
 口中に溜る、錆びた味。
 誓いの言葉を口にした時の事が、ふ、と胸の内に過った。
 ああ、あの時の冷えた空気が、今と似ているからかな。
 私は言った。
「スレイヴさん、貴方の命、少しの間だけでも私に預けて貰えませんか」

 ――おまえの命、私が預かろう。おまえに害を為そうとする者から、おまえを守ってやる……

 ああ、畜生、ほんと、悔しいほどに恰好良いな。一体、どれだけ自信があって強いんだよ、あんたは。
 ハッタリにしても、そう言い切れない自分がもどかしい。
「中佐」、と不意にランディさんが口を挟んだ。
「私としては、貴方をこの場で殺しても良いと思っています。それが、一番、面倒なくて良い。だが、そんな事をすれば、キャスが悲しむ。だから、しません。ですが、もし、貴方が彼女になにかしようとしたならば、その素振りを少しでも見せたら、その場で私が貴方を殺します」
「彼は本気ですよ。たとえ、貴方に非がなくとも。その時、私に止める事は不可能でしょう」
 ウェンゼルさんが、にやり、と不敵な笑みをみせた。
 中佐は、私の顔を見た。
 獣はまだそこにいたが、最初の頃のような凶暴さは見られない。見極めようとする冷静さを感じた。
 目を逸らしたくなるのをぐっと押さえて、私も中佐を見返した。
 睨み合う間、数十秒。中佐はゆるゆると息を吐いた。
「つまり、こういう事か。君は私を助ける。そして、ラルとギャスパーも君の友人でもあるから、助ける為の協力をする。その他の友人を助けるについても、ついでならば手も貸すし、それ以外については、私の手で助けようとも口出しはしない。ただし、その遣り方はランデルバイアと戦をしない方向に限る。そして、その後の私の身柄についても、君の出来得る限りの中で保障する。そういう事か」
「はい」
「そして、戦が終った後、反乱を起こそうがなにしようが構わない、というわけだな」
「ううん、直ぐには困りますけれど。私にも予定があるんで」
「予定?」
「はい。ファーデルシアにいる友人を助けたいんです。その為に私は死ぬべき選択を回避しましたし、ランデルバイアに手を貸す約束をしました。だから、やるにしても、出来ればそれが終ってからにして欲しいです」
「友人……」
「はい。私にとって恩ある大切な人たちです」
「そうか……そうなのか」
「はい」
 暫くの間、沈黙が続いた。
 いつの間にか、屋根を叩いていた雨の音がしなくなっている事に私は気が付いた。見れば、窓の外も、夜明け前の澄んだ藍色の明るさを見せ始めている。やれやれ、結局、ろくに休む事も出来なかったな。
「わかった」
 ロウジエ中佐の返事があった。
「暫定的ではあるが、君達と手を組もう」
「有難う御座います」
 私は中佐に頭を下げた。良かった。
「ただし、その後、ランデルバイアに行くかどうかは決めかねる。グスカを占領後のランデルバイアの遣り方次第で、従うかどうかを決めさせて貰う」
「……分かりました」
「あと、君達のところの大将にも会って話がしたい」
「それは、殿下の都合にもよりますが、その旨は伝えて計らいましょう」
 それと、と中佐は、それまで硬く尖らせていた表情を緩めた。
「この縄を解いてくれないか。腕が痺れてきた。もう、抵抗はしないよ」
「分かりました」
 私も少しだけ微笑んだ。

 ……えれぇこった! これからが大変だ。どうすんだよ、私?




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