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 本当にふざけた話だと思う。
 普通に働いて、普通に暮していただけの人間が、戦争の被害を軽減させようとするだなんて。
 女性だから、そこまで期待していないからそんなに頑張らなくてもいいよ、と言われて、「はい、そうですか」、と素直に頷く女もいる事だろう。それが許される立場にある、自分に自信のある女は沢山いるから。それに、この状況ではそうする方が当り前だし、正解なのだろう。そんなことは私にも分かっている。
 ただ、私は自分にそこまでの自信がもてない。いまはオンナも関係ない上に、他に何かするわけでもない。たまたまの巡り合わせで生き残っているだけで、とうに死んでいてもおかしくないのだ。
 だから、自分の責任を果たす。与えられた自分の仕事をする。成果をみせる。そうする事で僅かなりとも生きている理由にして、罪悪感をすこしでも軽くして、安らかな眠りにつける夜を作る。
 他の誰の為でもない。全部、自分の為だ。
 それ以外になんの理由も必要ないだろう? それに、ストレス抱え込んで禿げるのも嫌だ!
 ……そう自分に言い聞かせる。

 夜明け前だというのに、受ける風がぬるく感じた。
 これが、戦いを直前に控える男たちの熱気というものなのか。
 緊張と興奮。怖れと不安。言葉にしがたい感情みたいなものが、肌に突き刺さるように感じる。だが、予想に反して、殺気立っている、というほどの雰囲気ではない。まだ、肝心な部分は布で被われている感じだ。
 並ぶ天幕の間を落ち着きなくうろつく者。武器の手入れをする者。焚火を囲む者。ひとり、じっとしている者。その中に数人集まって、なにやら騒いでいる一団がいる。
 お、あれは『ちんちろりん』をやっているのか?
 多分、そうだ。金の遣取りが行われている。あっちでも。時間的に定着するかどうか分からなかったが、それなりに広まってはいるみたいだ。
 これがどれだけの効力を発揮するかは分からないが、少なくとも儲けた連中は、真っ先に逃げ出すだろう……あ、なんか揉めてる。喧嘩になりそうだ。
 怒鳴りあう男たち。それを止める周囲の者たち。一見して纏まった集団の中にも、僅かな綻びが見え隠れする。数は揃えていても、所詮は烏合の衆という事なのだろう。
 あー、でも、なんだか久し振りだわ。この汗臭くて、ウザイ感じ。好き好んでこの状況を作りだしているやつらの神経が知れない。戦争が怖いとか殺し合いはいかんという以前に、この雰囲気が嫌だとは思わんのか、君らは。ああ、目の保養になるものが欲しい。
 それとも、これも連帯感や、他人との一体感を感じる機会として受け入れられるものなのだろうか。だとすれば、よほど、寂しがり屋さんが多いという事なのだろう。
 身体的にアクティブもアクロバティックも好まない以上に集団行動が苦手な私とは、どう頑張ったって相性が悪い。こうして、少し離れた位置から様子を窺っているだけで、目にも鬱陶しい。が、目前の未来に気を取られて、私達がこうして馬をひいて傍を歩いているにも関らず、誰も気に留める者がいないのは幸いだ。
 荒んだ空気にあてられたか、グルニエラがそわそわとして、頭を私にこすりつけてくる。私は時々、その鼻面や肩を撫でては宥めてやる。大好きな角砂糖も奮発してやる。ここで暴れられでもしたら、すべては元の木阿弥だ。
 今頃、ランディさんや中佐はどの辺にいるのだろうか。どうしているのだろうか。しかし、場慣れしている彼等の事だ。私よりもずっと安全にしているに違いない。
 私を含めて、ここにいるどれだけの者が、明日の同じ時間に生きていられるのか。
 それは、まだ、誰にも分からない。
「この辺にいそうだな」
 ウェンゼルさんは足を止めて、周囲を見回した。
「なにか目印になるようなものを身に着けているんですか」
 私が訊ねると、いや、と首を横に振る答えがある。
「一応、繋ぎはとっていましたけれど、三日前のシャリアからの報告が最後でしたので。そこから移動になっていると、この中で探しだすのは不可能に近いです」
 ウェンゼルさんが探しているのは、同じくランデルバイアから紛れ込んだカリエスさんたち仲間だ。でも計画では、カリエスさんは今は先んじてファーデルシアにいる筈。だから、その他の人たちは、私には誰が仲間か見分けがつかない。
 そろり、とウェンゼルさんが動いた。
「そこで待っていて。少し探してみます」
 ひとり取り残される心細さに、私も、と言いそうになるのを我慢する。今は、足手纏いにならないようにするのが、ベストな選択だろう。息を凝らしながら、グルニエラを撫でて気を紛らわせた。
 だとしても。
 ひっ!
 いきなり肩に手を置かれた感触に、思わず声をあげてしまったのは失敗。
「声をたてるな」
 瞬時に口を手で塞がれ、耳元に低い声が囁いた。
 硬直しながら、顎を僅かにひいて頷きに変える。と、その人はゆっくりと位置を変えて私に顔を見せた。
 驚いた。口がまだ塞がれていたから良いようなものの、自由だったら、また声をあげていただろう。
 そろそろと、手が外された。
 私は息を大きくしながら名を呼んだ。
「……レキさん」
 ラシエマンシィ城で一度会った事のある傭兵だ。ランデルバイアに雇われていた筈なのに、何故、ここに?
「よう、魔女。なんであんたがこんなところにいる」
「それは、こっちの台詞です。何故、貴方がここに」
 緊張しながら、目の前に壁のように立ちはだかる大男を見上げる。以前会った時は、座っていたからよくわからなかったが、ひょっとしたら殿下より上背があるんじゃないかってくらいに大きい。
 長い栗色の髪を後ろでひと括りにし、無精髭も相変わらず。腰には大振りの剣。手には丸い形の楯を持ち、胸当と臑当を身に着けた、どこから見ても、傭兵そのまんまの恰好だ。だが、その中に国を示すものはなにもない。
「ひょっとして、グスカに鞍替えをしたんですか」
「と、言ったらどうする」
 にやり、と胡散臭く笑う顔を私は睨む。
 冗談なのか、本気か。本気ならば、敵。でも、力では太刀打ちできない。どうする? 逃げるか?
「そんな怖い顔すんなよ。呪われるのはごめんだ」
 ……まだ、本当に私が魔女だと信じてんのか、こいつは。
「確かに今はグスカに雇われているが、ランデルバイアとも切れたわけじゃないんだぜ」
 え、という事は。
「カリエスの旦那に頼まれてな。特別報償付きで、おまけにグスカからも支度金が貰える美味しい仕事ってわけだ」
「カリエスさんに?」
 そう言えば、初めてこの人に会った時にカリエスさんも同席していた事を思い出す。
「ああ。例の件の埋め合わせにどうだってな」
「……アイリーン」
「やめろ、その名を聞くだけで、ぞっとする」
 怖い顔で睨まれた。
「どんな仕事を頼まれたんですか」
「ああ、グスカに志願して内部の様子を指定された場所に定期的に知らせるだけだ。戦が始まったあとは、そのまま居残ろうが、適当に逃げてランデルバイアに戻ろうが、好きにしていいってよ」
 なるほど、間諜か。存外、抜け目がないな。ああ、だから、あの後、この人に会う事はなかったんだな。
「それで。これからどうするんですか」
「どうするもなにも潮時だし、そろそろおさらばしようかと……それより、あんたは、なんでいるんだ」
「まあ、戦いたくないグスカ兵を逃がそうかと」
「はぁっ?」
「あ、私の事は気にしないで行って下さい。始まる前の方が安全でしょうから」
 本当は猫の手も借りたい状況だが、この人が完全に味方かどうかは怪しい内は、手伝ってとも言えない。端から、お互いに良い印象は持っていないし。
「待てよ、おい、何しようってんだ、あんた」




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