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 そっぽを向きかける私を引き戻すように、レキさんは言った。
「なにか様子が変だとは思ってはいたが、あんたがここにいるってんで、ようやく得心がいったぜ。戦いたくない、って今、言ったよな。実際、そんなヤツは大勢いる。上はどうか分からんが、下の連中はこの期に及んでも今一つ締まらねぇ。妙な噂があちこち飛び交って、びびるやつやら愚痴を垂れるやつ、賭事にのめり込むやつ。どこの戦場でも多かれ少なかれそういう連中はいる。だが、今回に限っては奇妙な雰囲気だ。八割方、民兵って事もあるだろうが、これから戦うってなったら、素人でもそれなりに覚悟を決めて纏まるもんさ。なのに、未だ落ち着かねぇ。俺も幾つかの戦を経験してきたが、こんな雰囲気は初めてだ。だが、あの件を思い出せば、すべて納得がいく。原因はあんただな。全部、あんたがやらかした事なんだろう」
 へえ。私にはよく分からないけれど、プロがそう言うのなら、それなりに効果は出ているって事か。大成功と言っても良いだろう。
 良かった、と思いながらも、目の前に立つ、まるでいじめる相手を見付けたガキ大将のような顔をする傭兵を見上げた。
「だとしたら、どうするんですか」
 『ここにいじめっ子がいますう』、とか言っても誰も助けてくれないよなあ。ウェンゼルさん、何処まで行ったんだろう。帰ってこないなあ。
「さて、どうしたもんかな。あんたには、ちょっとした借りもあるからな」
「謝ったじゃないですか。それに、代わりにこの仕事を貰ったんじゃないんですか」
 執念深すぎるぞ。そんなんじゃ、確実に女には嫌われるな。
「まだ気がすんじゃいねぇな。ここであんたをグスカに売れば、報償金が稼げるかもな」
「そんな事したら、ランデルバイアから死ぬまで追われますよ。私も呪いますし」
「それはこぇえなあ」
 なにを戯れているんだ。何が目的なんだろう?
 にやつく笑い顔は、からかって反応を愉しもうとしているように感じる。ムカつくな、こいつ。
「じゃあ、どうしますか」
 重ねて問えば、そりゃあ、とよりにんまりとした笑い顔が私を見下した。チェシャ猫みたいだ。
「あんたも女なら、男に許しを乞う方法ってのがあるだろうが」
 ……ああ、そういや、セクハラ親父だったな、あんた。でもなあ、私もまだ死ねないからなあ。ううん、と。
「……仕方ありませんね」
 いつまでもごねられても、鬱陶しいだけだ。揉めたところを見付かってもまずいし。ここは、がまん、我慢。
「で、何をすれば良いんですか」
「本当に分かんねぇのか」
「はい」
 土下座なんて言われたら、逆にコケるぞ。だけど、脚開けってのもムリ。
「普通な、こういう時に女が許しを乞うって言ったら、ごめんなさい、って可愛く言ってキスするもんだろうが」
「そうなんですか?」
 意外。吃驚だ。流石、異世界。久々のカルチャーショックだ。その程度か。
「どこにするんですか」
「それも分かんねえのか」
「はい」
「唇に決まってんだろうが」
 流石に頬とか額とかではないんだな。へえ。
「唇は特別だからな。商売女も唇だけは許さねえ、ってのはそういう理由だ」
「あ、なるほど。それは聞いた事あります」
 本当か嘘かは知らないけれどな。
「分かったら、ほら」
 ぐい、と腰が引き寄せられて身体が密着した。
「ほれ、言ってみろ。許して下さいってな」
 やっぱり、ムカツク。棒読みで答える。
「ゆるしてください」
「……色気に欠けるが、まあいいか」
 そんなにしたいのか。ううん、これも嫌だけれど、ま、仕方ないか。減るもんじゃなし。というか、私からするもんなんじゃないのか? この姿勢からして、どうしたってあんたの方が迫ってると思うのだが。ああ、でも、ディープキスは嫌だなあ……
 覆い被さってくる顔に目を閉じた。唇に生暖かい息がかかった。と、そこから待てども、唇に触れる感触はなにもない。ただ、腰を抱いていた手が、急に強張ったのを感じた。
 そっ、と目を開くと、白い刃が目に入った。レキさんの首筋に短刀が当てられていた。
「彼女から手を離せ。ゆっくりとだ」
 低い声が言った。
 レキさんの肩越しに、いつの間に戻ってきたのかウェンゼルさんがいた。
 ゆっくりと腰から手が離れていく。
「大丈夫ですか、キャス」
「はい」
「護衛付きか……だよな。ひとりでウロウロさせるわけないか」
 両手をあげたレキさんが苦笑いを浮かべた。
「それにしても、完全に気配を消していたな。あんた何者だ」
「それを訊くのはこちらだ」
 ウェンゼルさんの声は厳しく、本当にこの場で殺してしまいそうだ。
「傭兵のレキさんです。こちら側の人間です」
 私から答えた。
「仲間?」
 訝しげにウェンゼルさんの眉がひそめられた。
「ええと、こちらの内部状況を伝えるようにカリエスさん……トルケス卿が雇ったらしくて」
 私の説明にわずかに殺気が緩んだような気がするが、短刀はまだ首に当てられたままだ。
「その男が何故、貴方にあのような真似を」
「ちょっと、からかっただけだ」
 レキさんが答えた。
「こいつとはちょいとした因縁があってな。意趣返しにちょいと困る顔でも見たかったんだが、眉ひとつ動かしやがらねえ。それで、引くに引けず、ってところだ」
「そうなんですか?」
 ウェンゼルさんの確認する言葉に、私は溜息を吐いた。……なあんだ、そんな程度だったのか。だったら、嘘でも困ってみせるんだった。ちぇっ。図体ばかりデカいガキめ!
「まあ、以前、少し揉めたのは確かですが」
「ひょっとして、アイリーンの件ですか」
「やめろ!」
 すかさず声を荒げたレキさんにウェンゼルさんは迷いをみせながらも、血を見る事なく短刀を鞘に収めた。
「私で運が良かったですね。他の者であれば、問答無用で斬り殺されていましたよ」
「ひょぉっ、こええっ」
 本気にした様子もなく軽口で答えるレキさんに、「冗談でなく」、とウェンゼルさんは気にするでもなく、すまし顔で言った。
「彼女に少しでも手を出したと知れば、本気で君を切り刻もうという人間が、私が知るだけでも二人はいます。いや、三人かな。逃げたところで、確実にランデルバイアからはお尋ね者扱いでしょうね」
「おいおい、大袈裟すぎやしないか」
「いいえ、間違いなく。捕まれば、必ずや悲惨な末路が待っているでしょう」
 と、凄みのある笑顔をみせる。思わずレキさんがびびって、後退りするほどの。
 はったりにしても大袈裟だなあ。ランディさんだって、キスひとつで殺すような真似まではしないだろうに。あれ、もうふたりって誰。中佐なわけないし。あれ、それに、なんでアイリーンの件って分かったんだろ……まあ、いいや。
「みつかりましたか」
 ウェンゼルさんに訊ねると、ひとりだけ、と答えがあった。
「合図で動くよう指示して、ほかの者も混ざっているそうなので、伝えるように頼んでおきました」
「そうですか」
「この男はどうしますか」
 私は、この男、と指されたレキさんを見た。なんだか、しげしげとこっちを見ている。
「まあ、放っておいていいでしょう。丁度、今から逃げるところだったみたいですし」
 すると、おいおい、と声がかかった。
「なんだよ、冷てぇなぁ。仲間外れかよ」
「おや、手伝いたいのですか」
 ウェンゼルさんのからかうような問いにレキさんは、「話によっては、のってやってもいいぜ」、と頷いた。
「謀《たばか》られるのには腹が立つが、仕掛ける方なら面白そうだ」
「これからやるのは、謀るってもんじゃないですよ。それに、報酬も出ませんし、命の危険も伴います」
 私が答えると、ほう、と目が眇められた。
「報酬なしってのは考えるところだが、益々、面白そうな話だな」
「彼も加えてみたらどうですか」
 ウェンゼルさんが言った。
「ひとりでも多くの手が欲しいところです。まあ、裏切らない保証はありませんが、裏切ったところで大した事にはならないでしょう」
 それには、ちっ、と舌が鳴らされる。
「信用ねぇな」
「仕方ないでしょう」
 まあ、と私は言った。
「どっちでもいいですけれどね。面白いかどうかも分かりませんし」
「でも、うまくいけば滅多にない戦になるでしょうね。長く語り草になるような」
 ウェンゼルさんの言葉に、レキさんは、にやり、と太い笑みを浮かべた。
「聞かせろ。その話、のってやる」
 乗り気というか、既にノリノリだな。悪戯を企むこどもの顔をしている。なんだよ、さっきまで脅していたくせに。男だって気まぐれなもんじゃないか。
 私は頷くと、レキさんに計画の説明を始めた。




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