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 夜が白みかけた頃から、周囲が慌ただしくなった。いよいよ陣形を整えて、ランデルバイアを待ち受ける準備に入るようだ。
 私達も暗い内はウロウロとできたが、流石に明るくなってくると気付かれる危険性も増すので、また、近くの森に身を潜めた。レキさんだけは機嫌よく、自分の配置場所へと向かっていった。……大丈夫か、あの人。妙にハイテンションだったけれど。
 私とウェンゼルさんは中佐からの情報を元に、グスカ軍の狼煙《のろし》が見えるだろう位置までそろそろと移動した。ランデルバイア軍がいよいよ近くなると上がるらしい。それを切っ掛けに、私達も動く手筈だ。
 私とウェンゼルさんは後方から左翼に向かって。
 レキさんと、侵入組の人達は右翼から。
 そして、中佐とランディさんは中央前方から。
 他にも、ゼグスさんが知らせてくれるどれだけのグスカ兵がそれに従ってくれるのか。それは未知数。
 或いは、犬死にをするかもしれない……その覚悟だけは必要だ。
「ランディさんは無事に紛れ込めたでしょうか」
 隣に立つウェンゼルさんに訊ねてみると、さあ、とにべもない返事があった。そして、次に、慌てたように、大丈夫でしょう、と付け加えた。
「なにも騒ぎが起きた様子はないですから」
 ああ、ウェンゼルさんも緊張しているんだな。
 そう思って、私も、そうですね、と答えた。
「きっと、無事ですよね」
 これから私達は、数万の敵の大軍の真っ只中を抜けて行くのだ。緊張するな、という方が無理だろう。
 準備はすべて出来ている。
 私の心臓は、先ほどから大きく時を刻んでいる。それを聞き、焦燥感に似た気持ちに駆られながら、準備しつつ時を待つ。
「って」
 手に持っていたナイフが滑って、指先を少しだけ切った。切れた皮膚の間から、じわり、と血が滲み出てきたのを慌てて口にくわえて止血した。
 錆びた鉄の味が、口中に広がる。同時に、脳裏にここにいない人の面影がよぎった。
 なんて厭な時間。すべてを早く終らせたいが為に、全てを無駄にする行為に走りたくなる。でも、そんな事をすれば、命をなくす。私だけでなく、他の人達も。
 苛々としながら、自分と戦うとはこういう事なのだな、とふ、と思った。

 待つ間、新たにレキさんから貰った情報も含めて、グスカ軍の陣容のおさらいをしてみる。
 まず、一つ前に出ている、真っ向からランデルバイア軍を迎え撃つ中央前衛。ここには、元はロウジエ中佐が指揮していたリーフエルグの砦の大隊がいる。中佐とランディさんも、既に中に紛れ込んでいる筈だ。
 この中央前衛の役割は、ランデルバイア軍と戦いながらじりじりと後退しつつ、奥へ引き込む役割を持つ。つまり、囮だ。
 奥へ引き込まれ、縦に長く伸びたランデルバイア軍を、少し下がった位置にいる右翼と左翼の軍が、同時に挟み打ちの攻撃を仕掛ける。そして、中央後衛が、洩れた敵を討取る。戦の基本的な戦略のひとつだそうだ。簡単に言えば、待ち伏せての袋叩きってやつ。
 が、ここにグスカ軍内での思惑が加わる。
 まず、ひとつがロウジエ中佐の更迭に伴う、中佐の息のかかった部下たちの始末。政治的謀略とでもいうのか。
 常に兵士たちを大事にする中佐は、一般兵士たちの人気が高い。だから、軍内の派閥争いで、各派閥は勢力拡大の為になんとかして中佐を自分の駒として加えたがっていた。が、中佐はどこの勢力にも属さず、独自の立場を守っていた。しかし、そのせいで、可愛さあまってではないが、今回の件では更迭までの圧力も加わったし、また、中佐の父方の実家である伯爵家からも排除する声があがったのだろう。或いは、一部では、出世の妨げとなる存在と思っていたかもしれない。兎に角、中佐を葬り、部下である大隊も、大方、戦死という扱いで始末してしまおう、という事になったようだ。
 大隊の始末は、中佐がいなくなった後により強固な反抗勢力と成りえるから、というのが主な理由であるらしい。脛に傷持つ身としては、証拠隠滅の意味もあるだろう。つまり、今回、囮としてランデルバイア共々見境なく攻撃して葬ってしまおうという作戦。
 大隊であるから、千近くいる数の兵を一度になくしてしてしまって良いのかと思うのだが、派閥争いにうつつを抜かしているような上の連中は、兵士など一時は減ったとしてもすぐに補充のきくもの、という頭があるらしい。減った分だけ自分たちの息のかかった兵を増やそうという魂胆なのだろう、というのが、中佐の話。
 その最たる存在が、今、リーフエルグの砦で待ち構えている『肉切り将軍』ことボズライア将軍。そして、ここにふたつめの思惑が重なる。
 ボズライア将軍の評価は、ノルト将軍に比べていまひとつ精彩に欠けるものという。そこで今回、この戦で巻き返しを図ろうと考えている。ランデルバイアの死神――エスクラシオ殿下の首級を手土産にして。
 殿下を討取ったとなれば、大金星。大陸中に名を轟かすこと間違いなし、だそうだ。それで、一気にノルト将軍を追い越して、国一番の名将として、歴史にも名を残すことが出来ると言う。
 その為に、この戦場でエスクラシオ殿下を殺してはならない、という実に奇妙な作戦を立案した。
 殿下を生かさず殺さず、瀕死でもいいから兎に角、リーフエルグの戦場まで引っ張ってきて、そこをボズライア将軍が華々しく討取る、という筋書きらしい。故に、国境に近いひとつ手前のヨルガの砦も、おびきよせる為に形ばかりの攻撃を仕掛ける程度だそうだ。
 そりゃあ良いとして、しかし、混乱しているだろう戦場でそんなに都合よくいくもんかね?
 当然、そんな疑問が湧くが、ランディさんは、可能、と答えた。
 攻撃する側が手心を加えるつもりならば尚更、ディオ殿下はその程度で討取られるような方ではない、と言い切った。
 ……評価がだんだん人外魔境じみてきている気がするのは、気のせいか?
 でも、そうすると、グスカの右翼左翼の兵士たちが問題となってくる。
 敵を殺さず、生かさず。それは、言葉を変えれば、本気で戦ってはいけない、という事だ。敵兵の数は減らしつつ、かと言って、とどめを刺してはいけない。
 どう考えたって、難しいに違いない。加減を間違えれば、自分の方がお陀仏だ。
 実は、『肉切り将軍』の異名は、ここに由来する。教えてくれたのは、レキさん。
 肉を切らせて骨を断つ、ではないが、『肉』が暗喩するのは『一般兵士』。
 この将軍が指揮を執るとなると、毎度、戦ごとに半端ない数の兵士が命を落とす羽目になるらしい。一般的には、消耗戦と言うらしいが、ぶっちゃけ言えば、『将軍閣下の御為に死んでこい』戦術。玉砕戦法だ。カミカゼ特攻隊。まあ、それよりは、若干、生き残れる確率は高いようだが、それでもとんでもない話だ。
 言うことをきかなかった場合、後が怖いらしい。自分だけでなく、家族にまで累が及ぶ。どっちにしろ、もれなくタイロン神の下へ召される事になるという。
 どう聞いても、最低な話。『最悪』よりも、『最低』だ。
 それでよく将軍になれたと思うが、名門の家の出である事と、被害は大きくても、ちゃっかり、一応の成果はみせるからだそうだ。
 自身の肉体も刃物を通さないんじゃないかってほどの皮下脂肪を蓄えた、メタボと言うには度を超しすぎたデブデブ体形であったりする事も含めた、通り名であるらしい。
 ……聞くだけで、とんでもねぇな。既に病気だ。中佐が支持されるわけだわ。というか、根本的に比較する事自体が間違っている。
 今回、中央、左翼、右翼、揃って指揮を執る士官たちというのは、この『肉切り将軍』の傀儡。忠実な派閥構成員であるそうだ。間違いなく、適当なところで逃げをうつだろう、という話。こうして、逃げ足だけは鍛えられていく。
 だから、実際、ボズライア将軍が総指揮を執ると決まった段階で、グスカ兵士たちは既に死に体か腰が引けた状態である、と言う。その上、私が流した噂が、やる気のなさに拍車をかけたらしい。
「切っ掛けひとつで、連中、直ぐに逃げ出すぜ」
 にやにや笑いのレキさんの、心強い太鼓判を頂いた。
 けっ! ありがたいもんだぜ。

 あ、とウェンゼルさんの短い声があがった。
「狼煙があがりました」
 眺める方角を見れば、明るい朝の光の中で戦場になる平野の向こう、高くなった丘の頂に薄い煙の筋が立ち昇っているのが見えた。
 空は青く、天気が崩れる心配はなさそうだ。
「ぼちぼち行きましょうか」
 硬く表情を引き締めるウェンゼルさんに、私は大きく息を吐いて言った。

 さて。
 なんであれ、舞台は整った。一世一代の茶番劇の開幕だ。上手くいけば、拍手御喝采ってか?
 魔女っ子で、ウサギちゃんの私の役割は決まっている。
 なにがってそりゃあ、やっぱり、月に代わってお仕置き……いや、やめとこ。
 本来、お仕置きされるべきは、私の方であるかもしれないのだから。




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