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「キャス」
 暫くして聞こえてきたのは、アストリアスさんの声だった。でも、返事をする気にもなれなかった。
「ロウジエ中佐達は帰ったよ。中佐が君に謝っておいてくれ、と。命がけで彼等を救ってくれた事を、とても感謝していると言っていたよ」
 答えない私に向かって、アストリアスさんは独言のように話した。
「君のお陰で、全滅してもおかしくない危機的状況にあって、大勢の仲間の命が救われたそうだ。中には命を落とした者もいたそうだが、皆、自軍の者に殺されたのだから、君が責められる謂れはないと。ただ、彼等としては味方にも裏切られて、逆に敵である筈の私達に助けられた。それで、どうしたら良いのか分からなくて、八つ当たりのように君にあんな酷いことを言ってしまった彼等を許して欲しい、と言っていた」
 慰めてくれる優しい言葉に、返事をするべきなんだろう。こどもじゃないんだから、いつまでも拗ねてもいられない。
「……ランデルバイアの人達は大丈夫だったんですか」
 そう訊ねると、ふ、と微笑むような声が返ってきた。
「ああ。少々、怪我人は出たが、みな軽いものばかりだよ。死者はひとりとして出なかった。まともに戦っていればこんな事はなかった。奇跡的と言っていい」
「……そうですか」
「入ってもいいかね。まだ、君に再会の挨拶もしていないから」
「どうぞ」
 私は寝台から起き上がると、座ってアストリアスさんを迎え入れた。
 辺りはすっかり暗くなっていて、置いてあったランプに火を灯した。
 中に入ってきた顔を見て、ああ、アストリアスさんだ、と思った。お髭のダンディないつも紳士な。
「無事な君にまた会えて嬉しいよ、キャス」
「アストリアスさんも、御無事でなによりです」
 柔らかい口調もいつも通りだ。たったそれだけの事が、とても安心した。
 アストリアスさんは隅に置かれていた折畳みの小さな椅子を持ってくると、それを寝台の上に座る私の脇に広げて腰掛けた。そして、まじまじと私の顔を見て言った。
「今日、寸でのところで殺されるところだったんだってね。少しでも殿下が駆け付けるのが遅かったら、命をなくしていたと聞いたよ。まったく、危ない真似をしたものだ」
「大丈夫だと思ったんです。みんな逃げるだろうって。でも、」
「そうだね。まさか、敵前逃亡とは言え、その場で同国の者同士が殺し合うなんて思いもしない事だ。それだけ、グスカの兵士達も追詰められていたという事なのだろう。中には恐怖を紛らわせるための薬を呑む者もいるというから、そういう者達だったのかもしれないと中佐も言っていた」
 ああ、こっちにもそういうものがあるのか。麦があるくらいだものな。麦角は手に入るか。それでなくてもコカとかケシとか大麻草とか、どこかに生えているかもしれない。そう言われてみれば、目の焦点が合ってなかったし、完全にイっちゃってた。あれは、ブッ飛んでいたせいだったんだな。
「ドラッグですか」
 でも、生き残ったとしても、廃人になってまで守らなければならないものなのか。そうまでしないと守れないものなのか?
「君のところではそういうのかい」
「はい」
「我が国では、殿下が厳しく取り締まっているが、ここはそうでもないみたいだね。どうしても恐怖に負けてしまう者もいるだろう。それでも、無事で良かった。君になにがあったかは、ランディとウェンゼルから報告を聞いたよ。辛い選択をさせてしまったね」
「いえ……それも役目でしたから」
 選択する自体には迷いはなかったし、辛くもなかった。それに、中佐たちと進んで関ったのは私だ。なにがあっても、私自身の責任でしかない。それも分かっている。
「中佐達とはどういう話に」
「一応、協力を得られる事になった。とは言え、彼等にとっては自国の事だからね。分かっていても、やはり、抵抗も大きい。だから、表立って戦いに加わる事はないが、裏情報などを提供して貰える事になった。それだけでも、我々にとっては大きな利となる」
「戦が終った後の事は」
「ああ、それは政治的な絡みもあるから陛下らの御裁可によるだろうが、グスカをランデルバイア国領とするか、或いは、王子を即位させて、形ばかりの国として存続させる手もある。それは、グスカ国民というよりは、王子の性格次第かな。まあ、いずれにせよ、少なくとも旧ガーネリア領は我が国のものとするがね。中佐についても、今後、こちらに仕えるかどうかは、暫く考えてのち彼次第という事で話はついたよ。殿下は欲しがっているみたいだが」
 当り前に、国王をどうするかは決められているんだな。
「そうですか。そう言えば、中佐のお母さんがガーネリア出身という話は聞きましたか」
「いや、それは聞いていないな。そうなのかい」
「はい。半分はグスカの伯爵家の血筋だそうなんですけれど、なんというか、父親の浮気っていうか、遊びでできちゃった子なんだそうです。でも、お母さんは本気で、身重の身体でお父さんをグスカまで追いかけて来たそうなんですが」
「そうなのか。母親の名前は聞いたかい」
「はい。ええと、確か、オーフェリア。オーフェリア・シャルロッテ・ロウジエと言っていました」
 それには、ふむ、とアストリアスさんは考える表情を浮かべた。いつもの髭を撫でる癖もみせる。
「私の記憶にはないが、ひょっとしたら、親族がランデルバイアにいるかもしれない。調べてみよう」
「そう言えば、グレースさんもガーネリア出身だったんですね」
「うん、王妃さまのお輿入れの供として一緒に。そうだね、貴族であれば、グレースか王妃さまならば、間違いなく知ってらっしゃるだろう。それとなく問い合せてみよう」
 微妙なところではあるけれど、血筋の誰かがひとりでもいると知れば、中佐も天涯孤独の寂しさから抜け出せるかもしれないな。女の子を見ると口説いたりするのはなんだけれど、仲間を大事にするところは、きっと、そういう気持ちの表れなんだろうと思う。
 アストリアスさんは言った。
「あと話す事は、そうだな。明日にもリーフエルグを攻める事になるが、こちらは私達に任せて、君は陣内で殿下のお側についているといい」
 あれ?
「殿下は出られないんですか」
「うん。明日は、余程の事がない限りは、ビルバイア将軍に全指揮を任せられるだろう。ロウジエ中佐がいない分、容易いだろうしね」
「あ、そうですか、でも相手が肉切り将軍って」
 渾名のインパクトが強すぎて、本名を忘れた。
「ボズライア将軍が入っているという話は聞いたが。なんだい、その肉切り将軍というのは」
「ああ、それは」
 私は名前の由来を教えた。
 アストリアスさんは、露骨に厭そうに顔を顰めた。
「それは、また……不名誉なふたつ名をつけられたものだ。しかし、相応しくもあるし、実に許しがたい。それを聞けば、ビルバイア将軍も攻手に張切ってくれるだろう」
「ああ、あと、戦いの最中に余裕があれば、ガーネリアの亡霊の呪いっていうのも言ってみるといいかもしれません」
「ほう」
 私はこちらで流した噂の内容も伝えた。
 アストリアスさんは苦笑を浮かべて、頷いた。
「なるほど。それも伝えておこう。あと、報告する事や訊きたい事はないかい」
 ええと。
「もう、二、三。まず、ヨルガの砦はどうなったんですか。陥落できたんですか」
 国境を越えてすぐのあの難しそうな砦。形ばかりの攻撃を仕掛けるつもりと聞いていたが、気になる。
「ああ。あれは、そのままだよ」
 え、そうなの?
「こちらも元より相手にせず抜けるつもりではあったが、向こうもそのつもりだったらしい。のっけから無視をされたから我々も肩透かしを喰らったというか、驚いた。先ほどの中佐からの説明では、我々を平原におびき出す為だけで、元より大した攻撃をしかけるつもりはなかったそうだね。その上、あそこを預かっているグランバディア少佐は、ロウジエ中佐と親交が深いそうだ。我々が着くより前に、中佐が攻撃をしないよう勧めていてくれたらしいんだ。なにか含むものがあるのではないか、と我々も警戒してはいたのだが、結果、何事もなく助かったよ。今も中佐ら多くの兵士が匿われているそうだ」
 きっと、ゼグスさんが知らせてくれたんだろう。
「ああ、そうだったんですか。ええと、次、カリエスさんから何か連絡は入っていますか」
「うん、彼からは、ファーデルシアに無事、潜入できたという連絡は受けているが、その後どうなったかは、まだ報告を聞いていない」
「そうですか……」
 あっちこそ肝心要であるのだけれどな。
「心配せずとも大丈夫だよ。彼ならば、きっと上手くやるだろう」
 私を安心させるような微笑みがあった。
「そうですね」
「また、何か連絡が入ったら、君にも教えるよ」
「有難う御座います」
「それで、以上かな。他にないならば、食事の用意が出来ている筈だから一緒に行こう。君も空腹だろう」
 そう言われて、やっと、お腹が空いていた事を思い出した。でも、空きすぎて、もう感覚もないや。
「はい。では、あとひとつだけ」
 私は言った。
「グルニエラ、何処にいきましたか」

 グルニエラは私が寝ている間に連れていかれて、他の馬達と一緒に放牧されたり、餌を貰ったりしてのんびり過していた。
 アストリアスさんと食事の用意された場所に向かう途中、確認の為に寄ってみたら、至極、御機嫌で、私の事などどうでも良いみたいだった。
 ……薄情なやつめ! その内、馬刺しにして食うぞ!

 でも、それから、やっと安心して私は約一日振りに、質素ではあるが、まともに火の通った食事にありつく事ができた。……すんげぇ、不味かったけれど。子供の作ったカレーの方がよほど美味しいだろう。
 アストリアスさんと話して随分と機嫌は直っていたが、食事をしたら、やっと、普通の精神状態に戻った。それから、カップが当ったせいでたんこぶをこさえてしまった騎士さんにはちゃんと謝って、カップを返して貰った。騎士さんは、苦笑しながら許してくれた。
「腹が膨れて、癇癪は収まったか」
 と、にやついた表情で横から言ってきた殿下には、またムカついたが。
 でも、まあ、やっぱり、人間、どんな時でも空腹はいかんよ、うん。




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