-49-



 中佐はこの隠し通路の存在を、前日の会合で殿下達に話していた。通路がどこを通り、どこに出るかまでもの情報を既に提供していた。
「戦況が悪くなれば、ボズライア将軍ならば必ず使うでしょう」
 ご丁寧にそこまで言い切った。そして、その通りになった。

 砦を攻めながらも、ランデルバイアの一部の騎士たちは、隠し通路の出口で待ち構えていた。そして、通路の奥から、ひぃひぃという何とも不気味な声を耳にしていた。
 ――さては、ガーネリアの兵の亡霊が!?
 虚言と知っていても本気にしかかって、薄ら寒い思いをしたらしい。
 実はそれこそ、逃げる途中でボズライア将軍のあげた悲鳴だったようだ。
 隠し通路と言っても、そう狭いものではないらしい。約二メートルほどの幅で、高さも同じぐらいあるそうだ。普通の人間ならば、楽々通れるくらいの広さだ。
 だが、肉切り将軍の渾名のふたつめの由来となった体脂肪の厚さが、ここで仇になった。通れないことはないが、非常に窮屈な状態であったようだ。加えて、閉所恐怖症の気でもあったのか、普段、そのように暗く狭い場所には馴染みがない為か、軽いパニックを起こしたと思われる。
 横にも奥にもぶくぶくに膨れ上がった巨体を、ゆっさ、ゆっさ、と揺らしながらようやくの思いで通路を這い出てきたところを、直ぐに捕えられた。その様は、通路の中身がそのまま押し出されてきたかのようだったと言う。そして、その指先は、直前まで口にしていた生クリームと脂で、ぎとぎとにてかっていた。
 見かけに似合わず高い悲鳴をあげる将軍をランデルバイアの騎士たちは取り押さえると、そのまま砦へと連行していった。
 仮にも将軍なのだから少なからず抵抗があったと思うのだが、それについてそこにいたグレリオくん曰く、「赤子の手首を捻るが如く容易かったですよ」。自分たちの三倍はあろうかという巨体であるから多少は難儀をしたが、力としては大した事はなかった、と。だが、男にしてはぶよぶよとした、筋肉の欠片もない柔らかい身体の感触がとても気持ち悪かったそうだ。
 一緒についてきた近習たち――昨日の前線で指揮を執っていた中将達だそうだが、は往生悪く抵抗を見せ、将軍を見捨てても逃れようとしたそうだが、内、ふたりはその場で斬って捨てられた。ひとりだけ、ドゥーア中将だけは命乞いをして大人しく捕らえられた。
 兎に角。
 目の前に引き立てられた肉切り将軍の姿に、尚も抵抗を試みていたグスカ兵達も完全に降伏した。
 砦の中からでなく、門から入ってきた時点で、将軍たちが自分たちを見捨てて逃げようとした事をはっきりと悟った。手にした剣や槍などの武器を、その場で投げ捨てる音が響いた。

「急に静かになりましたね」
「終ったな」
 その時、陣内でも、私と殿下は見えない天幕の向こうを眺めながらそんな会話をしていた。

 砦、前庭の中央に引き立てられたボズライア将軍は、みっともないまでに肥え太った身体を震わせ、グスカ兵たちに敵を討つよう命じたそうだ。己が見捨てようとした部下たちに、早く助けろ、と。だが、誰ひとり聞く者などいなかった。
「貴様も武将として名を端に連ねる者ならば、これ以上、恥を重ねることなく、潔く観念して我が太刀を受けるが良い」
 ビルバイア将軍は地べたにへたりこむ敵将軍に向かって恫喝するでなく、哀れみを籠めた口調で告げた。だが、その声の大きさに――と思われるのだが、言われた方は脅されていると感じたらしい。敵兵、味方の兵が見守る中、ボズライア将軍は失禁してしまった。

「流石に、これ以上は、と吾輩も耐えられなくなりましてな」
 ビルバイア将軍は殿下への報告の中、そんな言葉を混ぜた。

 力ない敵将に向かって自ら、他の騎士が使うものよりは倍の太さを持つ大太刀を振り下ろした。

「しかし、憐れにも、一刀でというわけには参りませんでした。こんな事はこれまでなかった事なのですが……この戦で初めて抜いたものでありますし、切れ味が鈍っていたわけでもない。だが、どうにもあの首を、一刀両断する事はかないませなんだ」

 『肉切り将軍』の渾名は、伊達ではなかったらしい。一体、どれだけの脂肪を蓄えていたのか。こんな事がなくても、動脈硬化かなにかで早々にあの世に行ったに違いないと思う。それにしても、ランデルバイア軍でも屈指の剛腕と言われる将軍の腕をもってしても、一太刀で首を落とす事は出来なかった。
 日本刀よりも切れ味が鈍いと言っても、そこまで悪いものでもない。しかも、将軍の剛腕があれば、力任せになんとかなりそうなものだ。だが、一刀めでついた脂が剣の切れ味を相当に鈍らせた様だ。続けて、二刀、三刀と重ねて打込んで、不本意ながら、余計な痛みと苦しみを与えた上で、ようやく死という名の解放に至ったそうだ。

「それも、私欲を得んが為にむざむざと死に追いやられた兵士達の無念がそうさせた、と申せぬ事もありませんでしょうな」
 ビルバイア将軍は、そんな感想を洩らした。

 ボズライア将軍と共に捕えられたドゥーア中将はその様子を眺めて、顔色を蒼ざめるを通り越して白く変えていたそうだ。しかし、この士官にしても、それで済むものではなかった。
 ビルバイア将軍は、生き残ったグスカ軍兵士たちを、身分如何を問う事なく捕虜にする事なく解放した。
 これは、ロウジエ中佐との交渉の中で取り決められた事に従ってのものだ。こちらとしても、捕虜を抱えている間の経費が浮くので、不安はあるにしろ、了承したようだ。
「動ける者は己を待つ家族の下へ帰るが良い。動けぬ怪我人は手当てを与えて後、解放しよう。しかし、二度と我らが前に立とうと思うな。その時こそ、再び、ガーネリアの呪いが降りかかる事にもなろう。それでも戦場でまみえることあらば、次こそは、その拾った命、無きものと思え!」
 そう伝えて、彼等に中将を引き渡した。好きにするが良い、と。或意味、ボズライア将軍以上に残酷な仕打ちだ。
 グスカ兵はその処置に戸惑いもしたらしいが、剣を収めたランデルバイア兵の様子を見て、静かに従った。
 話によれば、後に砦から少し離れた場所で、ドゥーア中将らしき無惨な死体が打捨てられているのが見付かったそうだ。階級章でしか判断がつかなかった為に確信はもてないが、どうやらそうらしいとの話だ。
 こうして、リーフエルグの戦いは、ランデルバイア軍の圧倒的勝利に終わった。

「ビルバイア将軍、砦を完全制圧致しました!」
「では、直ぐに怪我人の救護にあたれ。敵味方、関係なくだ」
「御意!」

 私は一歩もその戦場に立ち入る事なく、初陣を勝利で飾った。
 ……どうやら、そういう事になるらしい。しかし、初陣、初陣っていうのか、これ?




 << back  index  next>>





inserted by FC2 system