-50-
――おまえの仕事の成果、見せてやる。
いらんわ、そんなもん!
と、言えるわけもなく、私はエスクラシオ殿下の後について、陥落したリーフエルグの砦へと向かった。お出掛け気分らしいグルニエラの背に跨がって。
ウェンゼルさんやアストリアスさん、殿下の護衛の騎士さん達も一緒だ。
それとなく話には聞いていたが、リーフエルグ平原というのは、本当に平原だった。多少、起伏があるが、吹き曝しのだだっ広いばかりの草原が続いていて、遠く丘陵と森に区切られる。
すげぇな。東京ドーム何個分の広さがあるんだ? いや、サッカー場にした方が良いかもしれない。だが、その草の合間には兵士達の亡骸が、そこここに転がって見えている。
祇園精舎の鐘の声が聞こえてきそうだ。兵士《つわもの》どもが夢の跡。
……見ない、見ない。見たくない。うわあ、空も広いなあ。
電線や高層建築物で遮られることのない広い空間は、開放感というよりも怖く感じた。
ぽつぽつとある大きな筈の投石器が小さくにしか見えない。地面に突き立つ剣に打捨てられた馬車。その間を、乗り手を失った馬が、鞍をつけたままのんびりと草を食んでいる。
それらの光景からは、廃墟を見るかのような虚しさばかりが伝わる。
人工的な遮へい物がないその見晴らしの良い草原の向こうに、堀に囲まれたごつごつとした石の砦が、ぽつん、とひとつ取り残されたかのように建っていた。
制圧した印である砦の上に掲げられたランデルバイアの旗が、吹き抜ける風に棚引いている。
どっ、と風の唸る音が聞こえた。
否、風ではなく、声だ。
ランデルバイア兵士たちから湧き上がる歓声。
精一杯、声を張り上げ、ディオ、ディオ、と殿下の名前を繰り返し叫んでいる。シュプレヒコールが、何もない草原に響き渡る。『万歳』とか、『やった!』、とかを意味する『トゥーラ』の掛け声と共に。
トゥーラッ、ランデルバイア、万歳、万歳、トゥーラッ、ディオ!
皆、建物の上からこちらを見て旗を振り、身を乗り出して腕を振り上げている。これは……
先を行く殿下が私を振り返った。
「なかなか壮観だろう」
にやり、と笑う顔は、どうだ、と言っている。
いや。
「凄いですね。まるで、猿山のようです」
正直に答えた。
猿山に黒い猿どもが群れている……離れた位置に立つ私には、そういう風に見えた。
アストリアスさんとウェンゼルさんが、同時に吹き出した。
「おまえは」
呆れたような表情が、私を見た。
「言葉を選べ」
「はあ」
とは言われても、他にどう言えば良いというのか。ヘビメタかパンクのコンサート会場か? いや、やっぱり猿山だ。おうおう、猿どもがはしゃいでおるわ。ああ、落ちるぞ、そんなところで暴れたら。ここで死んだら、阿呆だぞ。
……そうかあ、私の死にそうになりながらの努力と苦労の成果は、この猿山なんだなあ。
トゥーラッ、ディオ、トゥーラッ、ランデルバイアと繰り返す声に、殿下は軽く片手をあげて応えた。
途端、わっ、と大きく歓声があがる。野太い声での歌声も聞こえてきた。
「浮かない顔ですね」
ウェンゼルさんに言われた。
「まあ、ちょっと……」
良い気分に水を差すことをしてはいけないだろう。生き残った喜びと、勝利を否定するものではない。
だが、近くにまだいるだろう、グスカの兵士たちの気持ちが気になるなんて。足下に転がる、名も知らない兵士達の骸が哀れに思うなどとは、口にしてはいけないのだろうな。
私は、また空を見上げた。
空は、変わらない顔をして私を見下している。落ちてきた寸前のあの時と同じように。
「何を見ている」
エスクラシオ殿下に問われた。
「空を」
「なにか見えるのか」
いいえ、と私は答える。
「いいえ、なにも」
歪みもなにもない、薄い雲がところどころにかかる、青いばかりの空が広がっているだけだ。
「……そうか」
殿下は軽く相づちを打つと、再び砦に向かって馬首を返して歩を進めた。
私もその後をついていく。
近付いて更に大きくなる筈の歓声が、何故か遠くに感じた。