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 ――おまえの仕事の成果、見せてやる。

 いらんわ、そんなもん!
 と、言えるわけもなく、私はエスクラシオ殿下の後について、陥落したリーフエルグの砦へと向かった。お出掛け気分らしいグルニエラの背に跨がって。
 ウェンゼルさんやアストリアスさん、殿下の護衛の騎士さん達も一緒だ。
 それとなく話には聞いていたが、リーフエルグ平原というのは、本当に平原だった。多少、起伏があるが、吹き曝しのだだっ広いばかりの草原が続いていて、遠く丘陵と森に区切られる。
 すげぇな。東京ドーム何個分の広さがあるんだ? いや、サッカー場にした方が良いかもしれない。だが、その草の合間には兵士達の亡骸が、そこここに転がって見えている。
 祇園精舎の鐘の声が聞こえてきそうだ。兵士《つわもの》どもが夢の跡。

 ……見ない、見ない。見たくない。うわあ、空も広いなあ。

 電線や高層建築物で遮られることのない広い空間は、開放感というよりも怖く感じた。
 ぽつぽつとある大きな筈の投石器が小さくにしか見えない。地面に突き立つ剣に打捨てられた馬車。その間を、乗り手を失った馬が、鞍をつけたままのんびりと草を食んでいる。
 それらの光景からは、廃墟を見るかのような虚しさばかりが伝わる。
 人工的な遮へい物がないその見晴らしの良い草原の向こうに、堀に囲まれたごつごつとした石の砦が、ぽつん、とひとつ取り残されたかのように建っていた。
 制圧した印である砦の上に掲げられたランデルバイアの旗が、吹き抜ける風に棚引いている。
 どっ、と風の唸る音が聞こえた。
 否、風ではなく、声だ。
 ランデルバイア兵士たちから湧き上がる歓声。
 精一杯、声を張り上げ、ディオ、ディオ、と殿下の名前を繰り返し叫んでいる。シュプレヒコールが、何もない草原に響き渡る。『万歳』とか、『やった!』、とかを意味する『トゥーラ』の掛け声と共に。

 トゥーラッ、ランデルバイア、万歳、万歳、トゥーラッ、ディオ!

 皆、建物の上からこちらを見て旗を振り、身を乗り出して腕を振り上げている。これは……
 先を行く殿下が私を振り返った。
「なかなか壮観だろう」
 にやり、と笑う顔は、どうだ、と言っている。
 いや。
「凄いですね。まるで、猿山のようです」
 正直に答えた。
 猿山に黒い猿どもが群れている……離れた位置に立つ私には、そういう風に見えた。
 アストリアスさんとウェンゼルさんが、同時に吹き出した。
「おまえは」
 呆れたような表情が、私を見た。
「言葉を選べ」
「はあ」
 とは言われても、他にどう言えば良いというのか。ヘビメタかパンクのコンサート会場か? いや、やっぱり猿山だ。おうおう、猿どもがはしゃいでおるわ。ああ、落ちるぞ、そんなところで暴れたら。ここで死んだら、阿呆だぞ。

 ……そうかあ、私の死にそうになりながらの努力と苦労の成果は、この猿山なんだなあ。

 トゥーラッ、ディオ、トゥーラッ、ランデルバイアと繰り返す声に、殿下は軽く片手をあげて応えた。
 途端、わっ、と大きく歓声があがる。野太い声での歌声も聞こえてきた。
「浮かない顔ですね」
 ウェンゼルさんに言われた。
「まあ、ちょっと……」
 良い気分に水を差すことをしてはいけないだろう。生き残った喜びと、勝利を否定するものではない。
だが、近くにまだいるだろう、グスカの兵士たちの気持ちが気になるなんて。足下に転がる、名も知らない兵士達の骸が哀れに思うなどとは、口にしてはいけないのだろうな。
 私は、また空を見上げた。
 空は、変わらない顔をして私を見下している。落ちてきた寸前のあの時と同じように。
「何を見ている」
 エスクラシオ殿下に問われた。
「空を」
「なにか見えるのか」
 いいえ、と私は答える。
「いいえ、なにも」
 歪みもなにもない、薄い雲がところどころにかかる、青いばかりの空が広がっているだけだ。
「……そうか」
 殿下は軽く相づちを打つと、再び砦に向かって馬首を返して歩を進めた。
 私もその後をついていく。

 近付いて更に大きくなる筈の歓声が、何故か遠くに感じた。




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