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 その後、砦についてから、未だ転がったままのボズライア将軍の首無し死体を見て、不覚にも私は昏倒した。服は身に着けていたのに、まるで屠殺された豚かトド、それとも巨大蟇のようで、凄く気持ち悪かった。とてもじゃないが、人には見えなかった。多分、この世界に来て、一番、醜いものを見たと思う。そして、そのまま、砦の仮眠室だかのベッドに連れていかれて、休む羽目になった。それも直ぐに回復はしたが、軽いトラウマは残った。思い出すだけで、マジ吐きそう。
 それもあってか、殿下は私を、終った後でも二度と戦場に連れていこうとはしなかった。
 それから、約二週間。
 ガーネリアの生き残りの人々やロウジエ中佐らの協力もあって、ランデルバイア軍は着実に駒を進めた。快進撃と言ってもよい早さで、次々と砦を攻め落していった。
 軍内部の規律も厳しく守られ、抵抗しない兵を攻撃する事なく解放する姿勢に、若干、世論もこちら側に傾いたようだ。
 進軍する途中でも、グスカの民達は怯えるでもなく眺めている姿が見えた。特に、殿下の姿をひと目見ようとする女性の姿も、ちらほらと雑ざってみえた。……エスクラシオ殿下は嫌がっているみたいだけれど。ちったあ愛想良くしたらいいのに仏頂面だ。でも、中には手を振る人などもいて、騎士や兵士達は気を良くしているみたいだ。
 道端でそうした女の子を口説こうとしているレキさんを見かけた。まあ、命の恩人でもあるし、一回は見逃してやる事にした。ぎちぎちに取り締まり過ぎても反発が出るだろうし、うまく口説けるとは思えない。ていうか、ほんと、女好きだな。
 それにしても、『貸し』と『借り』を勘違いして、キスさせるところだったのは失敗だったと、後から考えて気が付いた。……私も、それだけ緊張してたって事だろう。自覚はなかったけれど。
 むこうはそれに直ぐに気付いて、うまいこと誤魔化したみたいだ。畜生、騙されるところだった。少し悔しいが、でも、まあ、未遂だったから良い事にしよう。
 でも、こうしたランデルバイアの姿勢にロウジエ中佐たちも、一応は安心したみたいだ。やはり、あちらでもまだ、敵であった者に従わなければならない事に抵抗する声はあるそうだ。それでも、当初に比べて少しは軟化した部分もあるらしい。なんにせよ、この辺の調整には時間はかかるだろう。ギャスパーくんの態度を見ても。
 それに、横から戦況を聞いているだけでも、グスカも国を奪われまいと必死になってきているのが分かる。戦いは激しさを増し、殿下自らも戦場に赴いて陣頭指揮を執るのが常となった。
 現在、グスカの兵士の数は、初戦前の三分の一以下とみられている。対するランデルバイア軍は、兵の数を二百ほど減らしたにすぎないのだそうだ。被害としては少ないと言う。
 それでも、たった二週間の間に、二百人もの人が怪我をしたり、死んだりしたのだ。グスカの兵士をいれれば、軽く千単位になるだろう。
 日常であれば、大惨事と言えるその数も、戦場の中では重さを持たない。ただの数字の羅列だ。
 だが、間近にそんな人の姿を目にする度に憂鬱になる。口の中に鉄の味を思い出す。次第に、心が干からびていくのを感じる。私が知る人達が多少の怪我だけで、無事でいてくれることだけが慰めだ。
 グスカではここに来て、ようやくあらぬ噂を止めようと箝口令が敷かれ、ランデルバイアへの内通者の取り締まりや、特定するための密告を奨励する動きがでてきたようだ。その為に、シャリアさん達も地下に潜ったらしい。陣で匿っている人も何人かいる。
 だが、時、既に遅し。流れた噂はそう易々とは消えない。止めようとすれば、尚更、話したくなるのが人の性だ。密やかに、地を這うように語られる。取り締まりが強化された分、反発や不安を助長させる事にもなる。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼のように、ダメージを大きくする。
 そして、私は今、首都、マジュラスの近くに張った陣にいる。
 途中、私だけでもまた安全な街中に戻したらどうだ、という話もあったみたいだが、エスクラシオ殿下が却下した。
「また、ひとりで動いて何をしでかすか分からん。勝手に死なれても困る」
 だ、そうだ。
 御自らが看視していないと、どうにも不安に感じたらしい。……でも、あんただって、いない事の方が多いだろうが。
 あれから、ランディさんやロウジエ中佐とも何度も顔を合わせたが、殿下が壁になっていて、無言の内に引き離される。ふたりともにろくすっぽ話も出来やしない。ちっ、モテる女は辛いぜ!
 ……冗談はさておき。
 そんなわけで、私は引き続き、アストリアスさんのアシスタントみたいな仕事をしている。所謂、一般事務職だ。お茶汲みみたいなもの。書類整理とか。そして、護衛として、ウェンゼルさんが常に私に付き添っている。
 ……おおい、なんだよ、この圧迫感は。なんで、檻にいれられたような気分なんだ? プライバシーはどうなった? というより、護衛付きの一般事務職ってなに。
 ドナドナ生活ふたたび。
 でも、そう思うのは私だけらしい。
「すべてが順調に動いています」
 アストリアスさんの言葉に殿下が頷く。
 確かに。作戦に関しては順調だ。この上なく、気味が悪いほどに。すべてが思惑通りに、こちらに良いように動いている。でも、なんだろうな、この不安は……

 悪い予感ほどよく当る。
 物事は急速に動き、その先、私はまた道から転がり落ち始める。



『暗くて深い河と嘘と戦争』

  END





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