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 私の名は、高原 霞《たかはら かすみ》。女、二十七才。あと一ヶ月もしない内に二十八才になる。日本の弱小広告代理店の企画部に所属した経歴を持ち、ある日、鏡像物質の衝突に巻込まれて、異世界であるこの世界に飛ばされてきた。見た目は白系外国人と変わらない人たちが、日常として戦争を行う世界だ。
 それでも、最初、ファーデルシアにいた頃は、まだ平和に暮していた。色々と愚痴をたれてはいたものの、保護された養護施設でルーディやミシェリアさん、ちびっこ達と上手くやっていたし、安らぎがあそこにはあった。でも、突然、国同士の政治的駆け引きの駒として使われ、人身御供のような形でランデルバイアに追いやられた。本来ならば、そこで死ぬ筈だったのだろう。でも、エスクラシオ大公殿下に命を拾われて、仕事のノウハウを使って戦争の手伝いをする羽目になった。そして、今、侵略する為にグスカに来ている。そして、今や魔女扱いだ。

 ……という経緯を辿っているのだが、自分の立場というのが、私自身、未だ分からないところがある。
 ここ二、三ヶ月の間に、三度ほど死にそうになった。その度に、運も手伝ってか、誰かに助けられながらなんとかまだ生きている。
 なかなか、しぶといものだ。自分でもそう思う。
 ただ、理由はなんであれ、常に他者の手によってそうなった。つまり、事故ではなく、殺されそうになったという事だ。三度とも別々の人間の手によって。
 まあ、なんというのか、妙な気分。
 二回はとばっちり。でも。内、一回は、あきらかに私個人に対して完全なる殺意をもってされたわけだから、どこかに私を殺したいほど憎んでいるか邪魔だと思っている人物が、少なくともひとりはいるという事になる。
 日本にいる間の私と言えば、どちらかというと仕事にかまけてのほほんと暮していたから、お決まりの色事絡みの揉め事や金銭トラブルもなく、殺されかけるなんて経験は一度もなかった。ストーカーに付き纏われるなんて経験もない。せいぜい、仕事帰りの夜道で痴漢らしき男と遭遇して逃げたことがある程度だ。
 それが、ここに来て数ヶ月の間に、本物のスリルというものに遭いっぱなしだ。やっている事といえば日本にいた時とそう変わらない筈なのに、この世界では珍しい黒い瞳をしているというだけで、えらい迷惑を受けている。髪こそ白く変わってしまったが、伝説の大陸の覇者となる存在を生む可能性があるというだけで、こんな羽目に陥っている。

 ……んなんだったら、てめぇら、一度、日本に来てみろ。大抵、みんな髪は黒くて目の色も黒いぞ。一億二千万もいて、んなもん、巫女とか神様のお遣いだらけだぞ。神様だって八百万もいるんだぞ!

 それこそ、彼等にしてみれば、パラダイスと思うかもしれない。過剰に物がありすぎて環境は悪いし、生きていくにはそれなりに苦労も辛さもあるところではあったが、少なくとも戦争は遠くにあった。交通事故は多くても、一般人が事故や病気以外で日常的に死をみるという確率も、この世界よりは低い筈だ。
 それにしたって、戸惑うことになるだろうけれど。私と同じように。
 現実、この世界でつぎつぎと遭遇してきた出来事は、私にとっては架空の出来事としてきたものばかりだ。それでも、今、なんとかなっているのは、雇い主というのか上司というべきか、の、エスクラシオ殿下の保護下にあるからだろう。
 まあ、扱いは決して良いというものではないが、悪くもない。どっちかと言えば、優遇されているとは思う。企業に入りたての新人社員程度には。
 親切にしてくれる人もいる。気に掛けて貰っている事も分かる。でも、よそよそしさもある。そのどれもに、不自然さが伴う。主義主張には、相容れないものがある。
 そう感じる度、自分がイレギュラーな存在である事を自覚する。ひとつ間違いを犯せば排除される――殺される可能性もある事を忘れないくらいには。
 しかし、どうやらそうとばかりも言えないらしい、と最近になって思うようになった。
 現在、私を保護してくれているエスクラシオ殿下とは、戦争に手を貸す事と引き換えに命を守って貰うというのが、当初の約束内容だった。だから、私なりに努力もして、そうしてきたつもりだ。
 だが、ここにきて、その約束も私が考えていたものと違ってきているように感じている。
「ウェンゼルさん」
「はい」
「前に私に言いましたよね。殿下は、端から私の事は当てにしてなかったって」
 返答に躊躇う間があった。
「未知の手法に可能性のすべてをかけるのは危険でしょう」
「確かにそうなんでしょうけれど。私の方が失敗していたとしても、勝算があるからこの遠征にも踏みきったんでしょうし」
 いくら、今後、トラブルの元になろうかという黒髪の巫女を放置するのは得策でないにしろ、勝算がなければ、これだけ大々的な侵攻作戦をたてる事もなかっただろう。死傷者の数や物質的な被害の差はあるにしろ、負ける為にわざわざ戦争をしかけたりはしない。
 でも、そうすると、私の命を守るという取り引きが成立しなくなる気がする。
「なにが気になるのですか」
 逆に問い返される。
「なにがっていうか、この先、どうしたらいいのかなって」
 私は、流された針を引き上げて、川上に向かって竿を振り直した。
「さして当てにされているわけでもなくただ保護されている状態がこの先も続くとして、この遠征が終った後でも、私がいる事で、今度はランデルバイアが侵略を受けたりしたらどうしようって」
 当り前に戦争では、大勢の人の命が失われる。毎日のように重症を負った人達が運ばれていくのを見る。それを目の当たりにした今、私の中で想像でしかなかったものが、実感を伴った感覚に変わった。
 今回、この戦争の切っ掛けとなったのは、正統な巫女としての容姿を有する美香ちゃん――私と共に飛ばされてきた女子高生だ――がファーデルシアに存在している事から始まったものだ。そして、ファーデルシアは今のところ、彼女を黒髪の巫女として立てて、次代王位継承者であるジェシー王子の妻として迎え入れるだろう姿勢を示している。
 黒髪黒い瞳をもった王子が生まれる事を期待して。そして、その王子が信心深い民衆の支持を力として、大陸の治める存在となる事を期待して。
 しかし、それは、他国にとっては、いつか侵略者となるべく準備をしている事を意味する。だから、その国のひとつであるランデルバイアは、今の内に災いの芽を潰さんとこの侵略戦争を開始した。まずは、いち早くファーデルシアに攻め入って、黒髪の巫女を手に入れようとしていたグスカの野望を阻止する事から始めた。
 今は、その真っ最中だ。
 要である首都陥落に、王手がかかっている状態。
 対するグスカは、全兵士を投入して、断固阻止の構えを貫いている。未だ降伏する様子は見られない。毎日、大勢の人が苦しみ、もがき、命を落しているにも関らず止めようとしない。
 原因となった美香ちゃんは、この事実を知っているのだろうか。自分の為に、無関係の人々が生死をかけている事を知れば、どう思うのか。そして、私はどうすべきなんだろう。
「殿下は、美香ちゃんを……黒髪の巫女をどうするつもりなんでしょうか」
 ランデルバイアに巫女の存在を利用しようという意志はない。少なくとも殿下は、はっきりとその事を口にした。『これを見過ごせば、更に多くの犠牲が出る。それを防ぐ為の戦だ』、と。しかし、それ以前に、私と美香ちゃんのふたりともを生かしておく事については、『それで得られるものに対する負荷が大きすぎる』。その方針に変更はあったのだろうか?
「私はディオ殿下の御真意を確かめる立場にはおりませんので」、と答えが返ってきた。ちっ、上手く逃げやがって。
「陛下やアストラーダ殿下は何かおっしゃっていませんでしたか」
「いいえ、なにも。ただ、必ず貴方を無事に帰すように、とだけ」
「……そうですか」
 陛下やアストラーダ殿下の私に対する態度というのも、正直、疑問だ。王妃さまは、『女を甘やかしたがる』、と言っておられたが、それにしても行き過ぎの感を否めない。これまでの態度は、私を殺す意志はない、と言っているかのようにも感じる。……そんなわけにもいかないだろうに。いざとなれば、処刑の命令を出す事にもなるだろう。一国と私。どちらが大事か比べるまでもない。
 政治的方針にブレがあってはならない。あれば、仕える者や民衆を不安にさせる。
 そんな事は私にも分かる。
 民主主義の議会政治であれば、気に入らなければ、選挙で首長の首をすげ替えれば良い。だが、専制君主制ではそうはいかない。
「キャス」
「はい」
「あまり考えすぎないように。ひとり勝手に分からない事をあれこれ考えすぎても、結論が出るわけではありませんよ」
「……はい」
「そういうところが貴方の危ういところでもあると、ベルシオン卿が以前、心配しておられました。私もそう思います」
「ランディさんが?」
「はい。貴方は他人の考えの先を読もうとするあまり先走って、勝手に結論を出してしまうように感じられます」
「そうですか」
 ふうん、そうなのかな? 自分ではよく分からんが。
「もう少し我々を信頼して欲しいですね。困っている事があるならば相談にものりますし、貴方を護ることはお約束します。貴方はまだ疑っておられるようですが、私達が貴方を害することは決してありませんよ」
 そうか。
 でも、という事は、私の存在が美香ちゃんを死に追いやる事になるかもしれないって事か……嫌だなぁ。だからと言って、私が代わりに死ぬってのも嫌だし。とは言っても、私の存在が、いつかランデルバイアの多くの人達に迷惑かける事になるのも嫌だ。
 相談しようにも、相談のしようがない話だ。

 あれも嫌。これも嫌。一体、どうしたらいいんだ? ただ、平和に暮したいだけなのになあ。

 どうしたらいいのか、彼等がどうするつもりなのか、どうしたいのか。
 結局、私にはなにひとつ分からないのだ。




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