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 川は流れ、時は過ぎる。
 陽も傾きかけた頃、川面を渡る緩やかな風にのって、きなくさい臭いが漂ってきた。遠くの方で雷が鳴っているかのような、どうっ、という音も響いて聞こえてくる。
 ああ、とウェンゼルさんが声をあげた。
「終ったかもしれませんね」
「砦を突破しましたか」
「いえ、おそらく城門が破られたのでしょう」
 え、いつの間に手前の陣を突破してたの?
 私の顔を見て、ウェンゼルさんは微笑んだ。
「あとは一気に攻め込んで、王の首を取って終いです」
 じゃあ、この戦いも終りじゃん。え、いつの間に? ぜんぜん、知らなかった。
「今夜は戦勝祝いですね。貴方も呼ばれるでしょう。そろそろ陣に戻った方が良いですね」
「私、なんにもしてないのに」
 皆が命をかけているという最中に、ぼうっと釣りをしていただけだ。
 すると、何を言っている、という顔が私を見た。
「今回の戦で『白髪の魔女』が大きく貢献している事は、間違いない事実ですよ。敵の敗走を促し、味方の被害を軽減した。一年前まではあれだけ苦労していた戦を、いとも容易きものにした。貴方がした事で多くの兵士の命が救われました。おそらく、今は納得していなくても、生き残った敵兵の中にも貴方に感謝する者はいるでしょう」
 そりゃあ、褒めすぎだろうよ。逆に恨んでいる方が多いと思う。
「誰かがそう説明したんですか」
「いいえ、そういう噂ですよ」
 まったく! 喜ぶべきかどうか分からない。稀代の嘘吐きと呼ばれているようにも感じる。そう思ってしまうのは、被害妄想なというものなんだろうか。でも、なんだかなあ……
「戻りましょうか」
 そう言って釣り糸を引き上げかけた時、いきなりあたりが来た。
「うわっ」
 くいくい、と鋭く引っ張る感触に慌てて竿を引く。と、
「おや、そこそこ大きいものが釣れましたね」
 ウェンゼルさんが言った。
 二十センチぐらいの大きさの魚が釣り針に引っ掛かって、尾をバタバタと跳ね上げていた。
「馬鹿だなあ、おまえ」
 私は釣れた魚を引き寄せて言った。暴れる細い身体を手で掴んで、針をはずす。そして、すぐに川に逃がした。魚は弱っている様子もなく、素早く水の中に泳いで姿を消した。
「よいのですか。折角、釣れたものを」
 確かにお茶の時間がない分、お腹は空いている。でも、
「今日は御馳走みたいですから」
 そう答えると、そうですね、と微笑む声が頷いた。
 キャッチ、アンド、リリース。
 こうして魚の命を弄んでいる私も、他人を詰る資格などないだろう。

 陣に戻るとざわついた空気があった。
 看護兵、他、後方支援部隊の人達があちこちで立ち話をしている。中には包帯ぐるぐる巻きで杖をついた傷病兵などもいて、じっとしていられなかったらしい。見るかぎり、皆、表情が明るいのは、やはり、城門を突破したとの知らせがあったからなのだろう。
「もし、これでグスカが陥落したとして、その後の動きはどうなるんでしょうか」
 歩きながら、ウェンゼルさんに訊ねる。
「そうですね。まず、本国に報せを入れて、陛下の御判断を仰ぐことになります。返事と同時にグスカ内を治める為の政務官などが任命されて来ますから、それまでの数日の間は、敗残兵などによる反乱分子などの制圧を行う事になるでしょう。政務官等が到着後は、治安維持をクラレンス将軍が率いる部隊に任せ、本隊はファーデルシアへ向かう事になります」
「クラレンス将軍?」
「海からの上陸部隊を指揮している将軍ですよ」
 そういや、そんな事も言っていたな。ああ、合流して一気に兵が補充されたから、だから、動きが早まったんだな。
「なるほど。でも、ロウジエ中佐たちと上手く協調できますかね。面識もないのに」
「クラレンス将軍は人格者で知られる方でらっしゃるから、大丈夫でしょう。それよりも、中佐達へ向けられる国民感情の方が心配ですね。表立っては彼等の行動は伏せてありますし、箝口令もひいてはありますが、人の口に戸は立てられませんから、いずれはどこからか洩れる可能性はあります」
「そうなんですよねえ」
 私は溜息を吐いた。
 味方の攻撃に曝される仲間の命を救うため、と中佐には苦渋の決断を強いたことになるが、そんな事情を知らない者たちにとっては、中佐の行動は裏切り行為とうつるだろう。本来、ランデルバイアへ向けるべき憎しみが、そちらに向かうかもしれない。
「そういうのって許せない人にとっては、どうしても許せないんでしょうね。たとえ、どんな理由があろうと」
 浮気した旦那を許せない妻ぐらいには。
「そうですね。これから先、陰で言われ続けることにはなるでしょう」
 理由はなくとも、悪戯に騒ぎのネタを煽って、無責任に面白がる輩はいる。或いは、まったく悪気はなくとも、心配心から蒸し返してしまう者もいるかもしれない。
「これ以上、辛い思いをしないですむと良いのですけれど」
 これまで十分に辛い思いはしてきたのだから。
 そうですね、と私を見下しながら、ウェンゼルさんも溜息交じりに答えた。




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