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 そして、東側のテラス。
 テラスと言うよりは廻廊の一部が庭にはみ出たような、アーチ型の屋根付きの四阿《あずまや》みたいな場所になっていた。
 夜も更けかかった時間なので、ちとばかし寒い。しかも、暗いので庭は見えない。でも、柱に絡みつく蔓薔薇の花は綺麗だ。
 そこに設えられたテーブル席を囲んで、私とディディエ王子、シェーラ嬢、そして、ナタリーさんの四人でお茶を飲んだ。
 ウェンゼルさんは、誘ったのだけれど、断られた。自分が同席すると、こども達が警戒するだろうと言って。気配を消して、どこからか私を護衛してくれている。
 ナタリーさんの淹れてくれたお茶には毒が入っているどころか、とても美味しかった。黙ってそれを味わった。……話す事なんて何もないし。
 最初、警戒して口をつけようとしなかったこども達も、私とナタリーさんが飲んでいるのを見て、恐る恐るカップに手を伸ばした。そして、今はやはり、大人しくお茶を飲んでいる。王子の涙も止って、放心状態といった方が正しいか。シェーラ嬢はそんな王子の様子を気にかけつつ、時々、私に不思議そうな視線を向けては目が合うと逸らす。なんとも落ち着かない様子だ。
 あの、とナタリーさんが思いきった様子で声をかけてきた。
「先ほど、騎士の方と話されていた事は本当なんでしょうか。王子の嗜好が女性のものであると」
 ああ、聞いていたのか。
「まあ、私が受けた印象ですが。実際どうなのかは、本人に聞いてみないと分かりませんけれど」
 その本人に目を向けると、思いきり俯かれた。
「確かに王子は同じ年頃の子供達と比べ大人しい方でいらっしゃいますし、剣術などもあまり得意ではないようには見受けられましたが、まさか、そんな事があるなんて……」
 ナタリーさんは、ショックを隠しきれない様子で言った。
「一時的なものとも考えられますが、物心ついた時からそうならば、そうなんでしょう。こればっかりは、他人がどうこうしようとしたって変われるものじゃありません」
 私は答えた。現代日本ならホルモン治療とか精神療法とかあるみたいだが、それだって完全なものではないだろうし、最終的にはモロッコ行きになるのかもしれない。それにしたって、医学の遅れたこの世界では無理だろう。どこかに、宦官ぐらいはいるかもしれないが。
「でも、個人的な感想を言わせて頂くならば、跡継ぎの問題とかを別にすれば、それで構わないとは思いますよ。それで人としての判断力に劣るというわけでもないでしょうし、色んな人がいて、世界は成り立っているわけですから、一概に悪いと決めつけられるものではないでしょう」
「王子は……私達はこれからどうなるんでしょうか」
 その問いには、さあ、と首を傾げる。
「政治的な事は私には分からないので。ランデルバイア国王やエスクラシオ元帥の御裁可が必要でしょうし。ただ、今の方針では、無闇に処罰するという事はないと思います。王子の処遇に関しても、王子の態度次第でしょうね」
「どういう事」、と黙っていられなくなったらしいシェーラ嬢が口を開いた。
「ディディは処刑されるんじゃないの?」
「最終的にはランデルバイア国王が決められる事でしょうが、選択によっては可能性もあるという事です。その場合、当然、行動の自由の制限もあるでしょうし、国政へ関与する権利も失われるでしょうが、少なくとも寿命が尽きるまでは、生活面でそれなりの待遇を受けられはするでしょう」
「まさか、そんな」、とナタリーさんが、信じられないと首を横に振った。
「敵国の王子を殺さずおくなんて、考えられません。ランデルバイアにとっては、邪魔な存在でしかないしょう」
「信じられないなら、それでもいいです。ですが、ランデルバイアにとっては王子を生かしておく事で、グスカ国民の反発を緩和するという利用の仕方もあります。所謂、政治的人質です。ただし、その前に、グスカ国王の死が条件となるでしょうが」
「父親を、王を売れと!? そんな事できるわけないわっ!」
 シェーラ嬢が激昂した。……瞬間湯沸かし器だな。
「お父さまを、他の大勢を死に追いやった敵に! おまえ達が来なければ、王妃さまだってご自害なさらなかった! 今や我が物顔で城に居座っているそんな連中に、自国の王を売る馬鹿はいないわっ! そんな恥知らずな真似、畜生にも劣る!」
 私は溜息を吐いた。
「これは国同士の交渉です。個人の感情など入れるべきではないと思いますが。それに、私達が今しているのと同じ事を、グスカは過去にガーネリアに対して行いました。そしてファーデルシアに対しても行おうとしていた。父上を死に追いやったと言いましたけれど、それと同じ事を他国に対してノルト将軍は行ってきた。それが今回、自分の身にも起きたというだけの事です。将軍は私達と交渉して生き延びる事を善しとせず、御自分の信念と誇りをもって討ち死にされたのでしょう。それで私怨を訴えるのは間違いです。その中で、王妃は王族としての義務を果たさず、勝手に自害をされた。だから、元帥は愚かと言われたのです。そして、王は行方を眩ましている。必然的に、現在、グスカ国の代表はディディエ王子です。交渉の席につく準備があるこちら側に対し、どうするかは王子次第です。このまま誇りと父親の為に、義務を放棄しなんの役にも立たないままに命を捨てるか、それとも、国王の居場所を知らせる事で、自分と、今、城に残っている者たちの身の安全を約束させるか。或いは、同程度の他の引き換え条件があるならそれでも構いませんが、まあ、どれでも御自由にどうぞって話しです」
 そんな、とそこで初めて王子が声を発した。男性にしては高めではあるけれど、それらしくハスキーな声をしていた。
「そんな……私にはできません……無理です」
「ディディ」、と気遣わしくもシェーラ嬢が声をかけた。だが、それも聞こえていないようだった。
「私なんかに、そんな事、できやしない……そんな難しい事、選べるわけないです」
「選ばず死ぬのも自由です」
 私は言った。
「そんな、ひどい」ナタリーさんが声をあげた。「王子は、まだ十四才なのですよ。そんな重責を負わせるような事を!」
「そんなのはこちらとしては、知ったこっちゃない話です」
 私は言い捨てた。
「ただ、言わせて頂くならば、男だろうと女だろうと、若年だろうと、それを負うのが王家に生まれついた者の務めというものではないのですか。その責任の代わりとして、民から税を取り贅沢が許されている。そして、その判断ができるように教育を施されるものだと私は思っていましたが」
「それでも! この年で国の責任のすべてを負えというのは酷でしょう」
「確かにそうかもしれませんね。ですが、王がその息子にすべてを押し付けて逃げたのです。王妃も見捨てて、勝手に自害をした。酷とおっしゃるならば、王と王妃に言うべきでしょう」
「私は……一体、どうすれば……」
 縋る目付きで、初めて王子が私を見た。
 本当に女の子みたいだな。いや、女の子の方がまだしっかりしているか。ただの甘やかされたヘタレだ。ハムスターみたいな可愛さがあると言えない事もないが、はっきり言って、ウザイ。これが次代の王だったかと思うと、グスカの国民も気の毒だ。
「王子、それを訊く先は私ではありません。私は貴方の敵に属する者です」
 吹き抜ける風は強くはないが、流石に冷えてきた。お茶もなくなったし、そろそろお開きだろう。
 兎に角、彼に残された時間は僅かだ。どう考えるか、それとも、考える事自体を放棄するかは、好きにするといいさ。これ以上は知らんし、責任は取れん。
「そろそろ部屋へ戻りましょう。暫くの間、考える猶予を差し上げます」
 小刻みに震える王子を前に私は言った。
「おまえなぞ、死神ともども地の底深く堕ちて、永劫の苦しみを味わうが良いわ」
 シェーラ嬢が憎しみも露に私に言った。
 世間知らずの小娘が!
「……元よりその覚悟は出来ていますよ」
 私は答えた。

 もう、それだけの罪は犯した。己の手は汚さずも、関係のない大勢の他人を苦しめ、死を与えた。そうする事に手を貸した。そして、なによりその原因となった。

 ちびっこ達、元気かなあ。今頃、どうしているだろう。ミシェリアさんやルーディは、こんな私を許してくれるだろうか。

 ファーデルシアにいる人達の事を私は思った。
 でも、以前に比べてやけに遠くに感じた。




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