-11-


 医師の言う通り、移った先のベッドでエスクラシオ殿下は発熱した。
 だが、逆に言えば、発熱するだけの体力がまだあるって事だ。悪いことばかりじゃない。
 眠る傍について、額を冷やすタオルをこまめに取り替えた。あと、脇の下と。本当は下半身もあった方が良いことは知っていたが、そっちは遠慮した。
 なんであれ、我慢強い人だ、と寝顔を見ながら思う。多少、息が荒いだけで、痛むだろう傷に呻く事なく静かに寝ている。
 思えば、戦続きで、かなり疲れも溜っているだろう。ストレスも相当に溜っているに違いない。熱の高さには、そういう原因もあるかもしれない。
 そういえば、私はこんな風に病人の付き添いをするのは初めてだ。自分も、こんな風に付きっ切りで看病をうけた事などない。
 こどもの頃は風邪をひいて熱を出す事もあったが、薬を飲んで、殆どはひとりで寝ていた。親は、食事時とかに時々、様子を見に来るだけで、大体は放っておかれた。自分でパジャマを着替えて、額の冷却ジェルも自分で取り替えた。他の家の子がどうしていたかは知らないが、そんな感じだった。
 実際、こうしていても、温くなったタオルを絞り直すぐらいしかする事などない。だが、立場が立場だけに、何か異常が起きても直ぐに気が付いて対処ができるように、付き添いが必要という事だ。
 しかし、それにしても、人の寝顔を見るというのは不思議な気分だ。起きている時とは、別人に見えもする。
 みっともなさが見えても仕方がないのに、糸のほつれほどの乱れもない。感情のない端正な寝顔は、作り物めいて見える。ここまで出来すぎだと憎たらしくもなる。
 過去に私が付合ったオトコ達は、もっとだらしなかったし、寝相が最悪のヤツもいた。パンツ一丁で部屋の中をウロウロするのが当り前の連中だった。風邪をひけば、大声をだしながらくしゃみを撒き散らかすし、甘えて、さも辛そうに溜息を吐いたりグズグズと泣き言を言ったりしたものだ。
 ……でも、したくても、そういう事もできないんだろうなあ。きっと、隙のなさが身についてしまっているんだ。
 そう思ったら、ちょっとだけ気の毒に思えた。

 夜が明けても、殿下が目覚める事はなかった。
 でも、熱は少し下がったみたいだ。ゆっくりと身体が回復しているのを感じた。
 私の腕時計で朝の八時。医師が顔を見せた。殿下はまだ眠っていたので、包帯を取り換えるのは目覚めてからにすると言って、帰っていった。
 その後で、部屋自体が騎士さんにがちがちに護衛されているので休んで貰っていたウェンゼルさんが、私の分の朝食を運んで来てくれた。
「代わりましょう。貴方も休んだ方がいい」
 そう言ってくれたが、断った。
「どうせ他にする事もないし、ここにいますよ。でないと、落ち着かないだろうし」
「そうですか。では、辛くなったら言って下さい」
「有難う」
 その後で、アストリアスさんが顔を出した。
「殿下の具合は」
「少し良くなったみたいです。熱もだいぶ下がりましたし。そちらはどうですか。進展ありましたか」
「ああ、人質たちも随分と落ち着いた様子で、僅かに気を許し始めたか、愚痴めいた事を言うようになってきているよ。案外、早々に王の居所を告げようとする者も出てくるかもしれない」
「王子達の様子は」
「かなり不安そうではある。食事も殆ど手をつけていなかったらしいし」
「そうですか」
 きっと、今頃、ぐるぐると同じ考えを巡らせているのだろう。
「進展したら、また教えよう。君も殿下が目覚めたら教えてくれ。外にグレリオがいるから、彼に伝えてくれればいい」
「ああ、はい」
 グレリオ君とも、暫く、まともに顔を合わせていなかったな。でも、無事で良かった。本当に、ここは、いつ誰が死んでもおかしくない世界だから。

 エスクラシオ殿下が目覚めたのは、午前十時を過ぎた頃だった。
「具合は如何ですか。傷は痛みますか」
「ああ……おまえがついていたのか」
「はい。今、医師とアストリアスさんを呼びます」
「ああ、その前に水をくれ」
「はい」
 上半身を起き上がらせるのを手伝い、コップに水を注いで渡した。その間に、廊下にいるグレリオくんに、殿下が目覚めた事を伝えた。明らかにほっとした表情を、グレリオ君は浮かべた。
「よかった。直ぐに伝えます」
「うん、お願い」
 戦場にいてもふわふわ髪のわんこみたいなところは変わっていなくて、安心した。
 部屋に戻れば、ベッドの上で気怠そうな表情を浮かべる殿下がいた。
 土台が美形だから、男臭さが抜けてなかなかに色っぽい。レアもんだ。ご馳走さま。
「身体を拭いて、シャツを替えましょう」
 汗でしめったシャツを脱がせて、水で絞ったタオルで背中を拭いた。
 広い背中だ。奇麗に筋肉のついた清潔な肌。
 多分、私の両手では届かない首の太さ。
 日本人とは、まったく違う体格を実感する。筋肉の質から違うのだろう。
 ぼそり、と殿下が言った。
「夢の中にチャリオットが出てきたのは、おまえが傍にいたせいか」
 ……やっぱり、猫扱いかよ。
「猫となにしてたんですか」
「覚えていない。だが、チャリオットが出てきた事だけは覚えている」
「そうですか。いつごろ飼っていたんですか」
「二十年近くも前になるか。八年間、一緒にいた」
「そうですか」
 飼っていた、とは言わないんだな。でも、飼い猫の寿命にしては早いな。環境のせいか、事故かなにかで死んだのか……ああ、爪の形も綺麗だ。メイドさん達の手入れの賜物か。
「でも、猫はこんな風に世話したりしないでしょう」
 ぐいぐいと力をいれて、身体を拭ってやる。これだけ筋肉がついているんだ。どうせ軽く拭いたところで、さっぱりもしないだろう。
 確かにな、と苦笑する声が答えた。
「ただ、私が病で臥せっている時には様子を見に来た」
「そうなんですか」
「うん、結局、邪魔をしただけだったがな。相手にしないと、ベッドに上がってきて一緒に寝ていたが、その内、だんだん身体が伸びてきて、私を押し退けてベッドを占領しようとしたものだ」
「それで、どうしたんですか。猫はそのままで?」
 身体の前面に回って、こっちも拭く。鎖骨、太いなあ。頑丈そう。肩のこの傷は矢でつけられたものだろうか。
「いや、投げた」
「投げた?」
「寝ている身体を掴んで、放り投げてやった」
「ひどっ」
「酷いものか。投げても着地は得意だ。猫は少々手荒く扱っても堪えない。何かあっても、直ぐに忘れるようだ。その点、犬はそうはいかない。あれはいつまでも覚えているから、哀れに感じる事すらある」
 ……おおい、だから、私の事も手荒く扱ってんじゃねぇだろうな。
 ふ、と顔を上げたら、目が合った。うわあ!
 こんな間近で、この人の顔を見たのは初めてだ。距離にして十センチほど。一瞬、言葉をなくした。
 青い瞳に私の影が映っている。いつもより温かい色に感じるのは熱のせいか。
 タオル越しとは言え、私はその人の胸元に手を乗せている。
 直ぐそばに、息遣いを感じた。
「……私は、何故、おまえにこんな話をしているのか」
「……知りませんよ、そんな事」
 手早く残りを拭って、身を離す。
「熱があるせいじゃないですか。申し訳ないですけれど、下は御自分か他の者にやらせて下さい」
 気まずくも着替えを渡して答えると、丁度タイミング良く医師がやってきた。
「熱はまだ少しありますか、だが、脈はしっかりしていますね」
 着るよりも先に、診察と包帯の取り替え。
「傷も塞がりかけている。しかし、暫くは安静にして下さい。決して無理をなさらないように。また、すぐに開いてしまいますから」
 その間に私は、殿下の着替えたシャツと使ったタオルを抱えて部屋を出た。後の事を、戻ってきたグレリオくんに任せて、待機していてくれたウェンゼルさんと一緒に、一旦、陣へ戻る事にした。

 まいったなあ……

 頭を擡げかけたもぞもぞと落ち着かない気持ちを、その場で封じ込めた。




 << back  index    next>> 





inserted by FC2 system