-12-


 ランデルバイアに来て以来、時々、凄く疲れる。日本でのあの慢性的な、永遠に同じ日々がつづくのではないか、と焦りさえ感じてしまうような何もない日々が恋しくなる、というのか。
 一週間も釣りをしてぼうっと暮していた反動が、この一日でやってきたかの様だ。メリハリのある生活を、と奨励されるにしても、あんまり差が激しすぎると眩暈を起こす。
 陣に戻り、すぐに自分の天幕に戻って眠るつもりだったのだが、思わぬ人の訪問を受けていた。少し前に来て、私が帰るのを待っていてくれたらしい。
「スレイ……ロウジエ中佐」
「スレイヴでいいよ。中佐でもないしね。私もキャスリーンでいいかな。どうも、『キャス』という呼び名には馴染めなくてね」
 グスカ軍にいて、私のせいで裏切る事になってしまった人は、気さくとも言える口調で言った。でも、私に向ける微笑みには寂しさが漂う。
「どうぞ」
 いちど開いてしまった溝を埋める手立ては、多分、ないのだろうな。
「おひとりですか」
「ああ、まだ、目立った行動をするわけにもいかないから」
 そう答える姿も、グスカの制服を既に身に着けてはいない。白いシャツの上にキャメルの上下にブーツとありふれた恰好だ。
「殿下なら、今、王城におられますよ。ただ、お会いできるかどうかは」
「いや、きょうは君と話したくてね。あれから、ゆっくりと話す機会もなかったから。顔を見ても、死神が邪魔をするから」
 微笑みの中に苦さが加わった。
「ああ、そうですね」
 会談の際に、擦れ違いで軽い挨拶をする程度だ。私が会談の席から外されるか、中佐が追い立てられるか。出来るだけ、私を中佐に近付けないようにしているみたいに。……無理もないけれど。でも、私には、今のこの人からは敵意も殺意も感じられない。
「立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」
 私は中佐……スレイヴさんを自分の天幕へ案内した。

 入り口の布は上にあげて、天幕の中でスレイヴさんと二人で話した。
「そちらのみなさんの様子は如何ですか。サバーバンドさんやギャスパーくん達はどうしていますか」
「ああ、皆、随分と落ち着いて、元気でやっているよ。民兵は、今頃、家族のもとへ戻っている頃だろう」
「そうですか。良かった」
「ラルやギャスパーも今は落ち着いている。まだ、君達とは顔を合わせづらいみたいだが、事が終れば、会って話せるようにもなるだろう。口には出さないが、君の事を気にしているみたいだから」
「……だと良いんですけれど」
 でも、騙してしまった事を許してくれとは言えないな。
「取り敢えず、今は、あの状況から生き残れた事を感謝している。君も無事で良かった。危ないところだったそうだね。死神から聞いた」
「いえ、あの場では、あっても仕方ない事ですから」
「それでも良かったよ。あの時、君が命を落すような事になっていたら、我々も今頃、遣りきれなかっただろうし、後悔もしていただろう。ランディ君もウェンゼル君も同様に苦しんでいたに違いない」
「……有難う御座います」
 なんと答えれば良いのか、よく分からない。割りきったつもりでいても、やはり、この人に対しては後悔に似た苦い感情が残っている。
「きょうは、わざわざそれを伝えに来て下さったのですか」
「それもあるが、一言、礼を言いたくてね」
「礼?」
「君がガルバイシア侯爵に、母の事を話してくれたのだろう」
「ああ、えっと、はい。余計な事かと思ったんですが」
 中佐の母親がガーネリア出身であった事をアストリアスさんに話した。
「侯爵からその事でなにか?」
「うん、母の親族がランデルバイアにいるかもしれないから、調べてみると。時間はかかるだろうが、見付かったら知らせるとおっしゃってくれてね」
「ああ、でも、」
「あまり当てにせず、とは言われているよ。それでも、母の事は知っているようで、知らない事も多い。親族とはいかないにしても、僅かなりとも知る人物がいれば、会って話を聞きたいと思う。どんな家でどんな風に育ったか、とか。母はガーネリアでの事をいっさい話そうとしなかったから」
 それは、自分のルーツを知る事にも繋がる、という事なのだろう。敢えて知ろうともしなかったが、ずっと気になってはいたのだろうな。
「そうだったんですか……少しでも分かる事があると良いですね」
 こんな事でも、僅かなりともこの人への報いになれば良いのだけれど。私の中の罪悪感を埋めるために。
「有難う」、と穏やかにその人は微笑んで言った。
「君がどう思っているかは分からないけれど、私は君に心から感謝をしている。君は多くのものを私から奪いはしたが、その代わりに多くの仲間の命を救い、今までとは違う過去を私に与えてくれようとしている。過程はどうであれ、君と出会う機会を与えてくれたタイロンの神にも感謝をしている」
「……みんな私の勝手でした事です。それで、大勢の人に必要のない辛い思いをさせた。ですから、その中で良い事があったとしても、感謝する必要なんてないんです」
 結果的に良い事があったとしても、それは受け取り手の意識によるものだ。私に礼を言うべき事柄ではないだろう。
「キャスリーン」
 溜息を吐くような声が呼ぶ。
「やはり、君は私の知るキャスリーンだ」




 << back  index    next>> 





inserted by FC2 system