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 廊下を進んで案内されたのは、大広間だった。
 扉を開けて入れば、黒い騎士達の壁に阻まれた。まったく、いつ見ても暑苦しい。というより、何か取り込み中のようだ。
 その間を掻き分け、前方を目指す。と、金切り声が聞こえた。
「ディディ、言う事を聞く必要などないわ!」
 シェーラ嬢だ。王子と一緒に引き出されて来たのか。
「殺された王のその前で、戴冠の儀を行うなど馬鹿げている! しかも、敵の手によってだなんて屈辱を受け、永遠に恥知らずと罵られて良いの!?」
「おまえの意見など聞いてはいない」
 深く響きながら、エスクラシオ殿下の冷たい声が言う。
「ディディエ王子。ここで戴冠せねば、死を望むと受け取るが、それで良いか」
 答えはなく、泣きじゃくる声だけが聞こえた。
 ランディさんの後について、漸く、人の間を抜けると、そこには玉座の前に立つエスクラシオ殿下と傍らにはアストリアスさん。そして、床に転がるグスカ王であろう亡骸とそれに縋るディディエ王子。その脇には、仁王立ちになって殿下に向かうシェーラ嬢がいた。
「おまえの身体には、さぞかし冷たい血が流れているのでしょうね、死神。人ではないものには、人の気持ちなど到底、分かりはしないのでしょう」
 幼い傲慢さが、石の飛礫のような言葉を殿下に投げつける。
 周囲がまったく見えていない。だから、子供ってやつは……殿下が、少なくとも表面上は意に介していないに振りをしたところで、騎士や兵士たちが黙っていない。いくら女で子供と言っても、我慢できない者も出るだろう。これまで彼女を守っていた身分とやらが、もう通用しない事に気付かないのか。
 ああ、こういうのは厭だ。日本だったら見て見ぬふりだ。だけど、今は仕方がない。
 私はランディさんを追い越して前に出ると、シェーラ嬢の頬を問答無用で平手打ちした。
「なにするのっ! 無礼者っ!」
「無礼者は貴方でしょう。誰に向かって口をきいているんですか」
「なにを偉そうに! 貴方には関係ないでしょっ!」
「関係あります。私はこの方の部下で、これ以上の侮辱を黙って見過ごせません」
 頬に手を当て、水色の瞳に炎を燃やす少女に私は言った。
「もう貴族でも何でもない貴方は、本来、殿下と直接、口をきく事も許されない身の上である事を弁えなさい」
「弁えるのはそっちでしょう!? おまえなんかにそんな口をきく資格などないわっ」
 私に掴みかかろうとするシェーラ嬢を、いち早く背後からウェンゼルさんが後ろ手に拘束した。
「放しなさいっ! 放さないと許さなくてよッ!」
「どう許さないと言うのですか」
「生き残ったグスカの兵が必ず、王の仇を取りに、国を取り戻しにやって来るわ! そうなったらおまえ達なんてすぐに追い出せるわっ」
「誰も来やしませんよ」
「そんなことはないっ! 忠義に厚き者達が、」
「そういう者達は、既に死んでいません。貴方のお父上と共に」
「嘘っ! 大勢の兵が生き残って戻ったって聞いてるもの!」
「それは、我々がわざと見逃がした兵です。国を守る事よりも己の命を、自分の大事な人達の許に戻る事を選んだ者達です」
「グスカの誇り高き兵士達が、そんな恥知らずな真似をするわけない!」
「恥知らず? 生き残ろうとする事がそんなに恥ですか。私には、味方となるべき者達を死に追いやってでも、己の名誉や利益にしがみつこうとする貴方の父上や、部下が死に物狂いで戦っている最中に、妻や子を置いて逃げ出す王の方がよほど恥知らずに思えますが」
「お父さまや王を侮辱する事は許しません! 王があってこその国よ! 王が生き残るべきなのは当り前よ! おまえみたいな下賎な者には分からないでしょうけれどね!」
 シェーラ嬢の瞳には、今にも零れ落ちそうなくらいに涙が溜っていた。
 でも、男なら兎も角、私はそんな程度で手を緩めたりはしない。
「確かに、私にはあなた方の考える事は分かりませんね。守るべき者を守らずして、なにが王か。なにが貴族か。ボズライア将軍は、自分の意にそわない優秀な兵を千人近くも犠牲にしようとした。味方の兵を我々ともども攻撃するように、忠義厚き部下とやらに命じました。逆らえば、家族ともども命はない、と言って。そんな者に誰が忠誠を誓うというのですか。そして、貴方達のそんな遊興のような戦を行う為に税を支払い、愛する息子や夫を失った女性がどれだけいるかご存知ですか。そして、男手を失い、どれだけ苦しい生活を強いられていると思っているんですか。貴方の今着ている、そのドレス。そのドレス一枚の値段で、そういう人達が、何日の間、暮せると思ってんですか。なのに、貴方はそういう感謝もせず当り前の顔をして、なにひとつ考えもなしに誇りだ名誉だと喚き立てては、この城に残るグスカの他の人達を危険に曝そうとしている。お父上そっくりだ」
「私はそんな事しないっ! 私は最後までグスカの誇りを守って!」
「でも、そうやって殿下を侮辱する事で、ランデルバイアの兵達の憎しみを煽っている事に気付かないでいるじゃないですか。彼等だって、少なからず、貴方の父上達の手で家族や大切な友人を殺されているのです。今は、殿下のご意志により我慢をしているだけです。殺せないのではなく、殺さないだけです。それが、貴方のその軽率な行為によって、形となって他のグスカの人々に降り掛かってくるとは考えないのですか。それがグスカの誇りというものですか。貴族の役目というものなんですか。そんな者ならば、いない方がマシです」
「私は……私は……」
 シェーラ嬢は頭を垂れ、言葉をなくした。嗚咽がその口から洩れ、溢れ落ちた雫が床の絨毯の上でぽたぽたと音をたてた。
 ウェンゼルさんがゆっくりと、抵抗する力を失った娘の拘束を解くと、シェーラ嬢は両手で顔を覆い、床に崩れ折れて泣き始めた。
「シェーラ……」
 やっと友人の状況に目を向けたディディエ王子に、エスクラシオ殿下が言った。
「名誉の為に死を選ぶか、恥を抱えて王位を継ぎ、己と生き残る者達の命を拾うか、どちらでも好きな方を選べ」
「……ここで私が王位を継げば、皆には手を出さないでいてくれますか」
 聞き取るにも難しいか細い声で、震えながら王子が問うた。その白い頬は父王の血に汚れていたが、顔をあげエスクラシオ殿下の顔を見上げた。
 殿下は頷いた。
「約束しよう。グスカが死を誇りとするならば、我らは、敵であった者を生かし許す事を誇りにする」
 その答えは、広間にいる者たち全員の耳に届いただろうか。
「改めて皆に申し渡す!」
 深く響く声が、しん、と静まり返る広間に広がった。
「この地にてこれ以上の無益な血を流す事は、このディオクレシアスの名に於て、許すものではない。過去の遺恨はあろうとも、ランデルバイアの騎士と兵士の誇りと名誉にかけて、どの強敵よりも強きそれをも捩じ伏さん。そう出来る者こそが、我がランデルバイアにおける真に強き者としての価値であり、誇りであり、栄誉を与えられる者であると心得よ!」
 ひとりが叫んだ。
「ランデルバイア!」
 別の方向からも声があがった。
「ランデルバイア!」
 それはすぐに他の声を呼んだ。
 ランデルバイア、ランデルバイア、ランデルバイア、ランデルバイア……
 繰り返し連呼する男達の合唱に気圧されながら、私は彼等の前に立つ者の姿を見る。
 堂々としながらも、冷ややかなほどに無表情だ。いや、微かに顰める眉は、ひょっとして傷の影響か? 額にうっすらと汗も浮かんでいる。
 脇に控えるアストリアスさんの表情を見れば、やはり、少し心配そうに殿下を見ている。そして、気付いたのだろうか、私の方に視線を流して微かに頷いた。
 どうやら、完全に平気、というわけではなさそうだ。だが、この熱狂した野郎共の気が収まらない事には、先に進まない。
 どうするのか、と思ってみていたら、殿下が、すっ、と肩まで手をあげただけで、シュプレヒコールは止んだ。まるで、ドラマの様だ……すげぇな。こんな事、本当に出来るんだ。
「王冠を……」
 再び、静まり返った広間の中で、細い少年の声が答えた。
「王冠を受けます」
 決意と言うにはあまりにも儚げで頼りない声ではあったが、それでも、彼が初めてはっきりと意志を示した言葉には違いなかった。
 力なくへたり込んでいたシェーラ嬢が顔をあげ、ディディエ王子を見た。
 王子はその顔を見返して、微かな強ばった笑みを見せた。
「ごめんね、シェーラ」
 耳に漸く届くほどの小さな声が言った。
 少女は答えず、ただ首を横に振ると、顔をくしゃくしゃにさせて、新しい涙を床に落とした。

 それから直ぐに城中に残っていたグスカの人々が広間に集められ、簡単なものではあったが、新王の即位式が行われた。
 エスクラシオ殿下から王冠を戴いた少年王は、その重さに細い首がいまにも折れそうではあったけれど、頭をあげてディディエ王の名を名乗り、王としての誓いの言葉を口にした。
 立ちあったグスカの人々は啜り泣きながら、その前に跪いた。

 グスカという、一度はなくしかけた国の名を地図上に留めた瞬間だった。




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