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そうしたい、という気持ちだけでは世の中は動かない。必ず、そうしたいが為の行動が必要となる。でも、今のそれは、私にとってとても面倒臭いことだ。
……いや、違う。結論を出すのが嫌なのだ。どう選択しようと、自分にとって嫌な結果を残す事だけは決まっているから。
出来るだけ先延ばしにしたい、とそう思っている。でも、時は容赦がないな、本当に。
アストリアスさんがその報せを持ってきたのは、その日の夕方。そろそろ、誰かに付き添いを変わってもらって下がろうか、という時だった。
「カリエスより連絡が入りました」
来た。
ずっと、待っていた連絡だ。
カリエスさんは、数名の騎士達と共にファーデルシアにいる。表向きは美香ちゃんの引き渡し要求だが、裏では、幾つかの工作を行っている筈だった。その結果次第では、戦をせずともすべてを終える事ができる。
「上手くいきましたか」
手紙に目を走らせる殿下に問う。
顔色を窺っても、表情はない。
エスクラシオ殿下は、報告書を読み終えると、アストリアスさんに言った。
「すぐにファーデルシアへの進軍の準備を」
冷たいばかりのたった一言に、私は固まる。
「御意」
アストリアスさんも硬い表情で頭を下げると、直ぐに部屋を退出していった。
「失敗、したのですか」
私の確認の言葉に、殿下は私にカリエスさんからの手紙を手渡した。
私は、直ぐにそれを読んだ。
「そんな……」
書かれている内容に絶句する。読み間違いかと、二度、読み返してみたが、内容に間違いはなかった。
殿下は、あっさりとした口調で私に言った。
「これで、ファーデルシアが翻意する可能性はなくなった。我々は、速やかにこれを討つ」
「でも、巫女の身柄さえ手に入れさえ出来れば、まだ!」
「これまでの再三の引き渡し要求に応じず、尚且つ、巫女にもその意志なしとすれば、他に道はない」
「巫女を攫う機会はまだあるでしょう! それが出来れば、まだ可能性は残されています!」
私の立てた策では、ファーデルシアに対して表立った行動は何もない。が、殿下に渡した最終的な企画書にのみ、ひとつ項目を書き加えてあった。
黒髪の巫女の拉致。それが不可能な場合には、せめて現状を知らせる私からの手紙を渡し、美香ちゃん自らの意志でランデルバイアに身柄を託す事を促す。
それは、殿下に受入れられ、極秘裏にカリエスさんにその作戦実行を任された。だが、その両方が失敗に終った。
カリエスさんの報告によれば、ファーデルシアの美香ちゃんに対する警戒の仕方は、軟禁というよりも監禁状態。私の比ではなく、決められた数人のみが接触可能な状態で、近付くことすら壗ならない様子であるらしい。それでも、なんとか手紙を渡す事だけは出来たが、美香ちゃんからの返答は、ノーだった。
如何なる犠牲を払おうと、ファーデルシアから出ない。城から離れない。ジェシー王子より離れたりはしない。何故ならば、
「まだ妊娠して間もない筈。堕胎は充分に可能です」
厭わしいと知っていても、その言葉を口にする。
美香ちゃんのお腹の中には、今、赤ちゃんがいると言う。父親は、言うまでもなく、ジェシュリア王子。
なんて事だ!
「確かにそうだな」
冷えた青い瞳が私を見た。
「しかし、ファーデルシアは黙ってはいまい。公にされないものの、王子の妻とその跡継ぎを失って黙ってはおらぬだろう。別の報告では、ソメリアとの連絡の行き来が確認されている。この場は収まったとしても、いずれ戦は避けられぬだろう」
「そうかもしれませんけれど、でも、まだ無事に生まれると決まったわけでもないです。黒髪、黒い瞳の王子であるかも分からない。女の子である可能性もあります」
「それもあるだろう。が、これは既に決定されていた事だ。覆す事はできぬし、せぬ」
分かっている。
分かっていた。
今、酷い話をしている事も、酷い事をしようとしている事も分かっている。
私は、ずっと、それを考えていたのだから。
美香ちゃんが私の提案を拒絶した場合、どうなるか。
もし、美香ちゃんが私の提案を受入れた時、私はどうするか。
錆びた味が、血の匂いが、口中に溜る。
――ふたりとも生かしておくという道は
――それで得られるものに対する負荷が大きすぎる
最初、この話を聞いた時の会話を思い出せば、私と美香ちゃんのどちらかの死は免れない。私がこのまま生きていくには、直接、手を下す事はなくとも美香ちゃんを殺さなければならない。でなければ、私が死ぬか。
そのどちらにも覚悟が必要だった。
だが、美香ちゃんの妊娠が、選択する余地も与えず決定を下した。
「戦になって、ランデルバイアが敗ける可能性は」
「万が一もない」
怪我を思わせない、きっぱりとした返答がある。
そうだろうな。
分かっていた。
分かっている。
奇麗なだけでは生きていけない。
でも、ここまで手を汚さなければならないものなのか?
「ランデルバイアはファーデルシアと黒髪の巫女を討つ。与える温情はない」
急速に薄暗くなった部屋で、闇を呼ぶ声が言った。