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 考える事と思う事は違う。
 私は考える。
 考えるのが、私の仕事だから。
 思いは排除して、考える。
 呼吸をするように考える。
 でも、今は考えながら、思っている。
 色んな事を取り留めもなく。
 そして、私の心は細切れになっていく。

 グスカ城の与えられた一室に下がった私は、思い浮かぶ色々な事柄に落ち着いてもいられず、どうしようもなくなった結果、松明の灯が点る城内をひとりうろついていた。
 ウェンゼルさんには申し訳ないが、独りでいたい旨を伝えて、離れて護衛して貰っている。そうして、城の廊下などに飾られている武具や、絵画、彫刻などをぼんやりと見て回った。
 やはり、流石、王城だけあって、趣味に合わずとも、おそらく良い物だろうと思えるものが沢山あった。興味深くもある。だが、なにひとつ心を打つものもなく、自分の感性が麻痺していることに気付かされただけだった。
 廻廊に立ち、暗い庭をただ眺める。夜気に当りながら、頭が冷えて考えが纏まるのを待つ。が、骨まで冷えた事に気付いても、何も変わりはしなかった。
 廻廊の柱が作る影の間から、数人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
 その人達が何者で、誰か分かった時、私の顔は強ばった。
 内、一人はサバーバンドさんだった。ギャスパーくんもいる。
 おそらく、グスカの新王即位に伴う何か行事があったのだろう。グスカの騎士姿をしていた。
 二人とも私に気付いた気配を感じたが、僅かに表情を硬くしながらも素知らぬ態度を貫いた。皆、私に気にする事なく喋りながら行き過ぎて行く。
 私はかける声ももたず、俯いて彼等が行き過ぎるのを待った。
 彼等も何も言わず、私の横を通りすぎていった。
 その時、気まずい空気が流れたと感じたのは、私だけだろうか。
 口にはされなかった言葉があったと感じたのは。
 でも、耳には届けられなかった言葉が、どんな類のものであるかまでは、私には分からなかった。結局、何もないままに見送っただけだった。
 スレイヴさんが私を許してくれたとしても、彼の友人達が私を許すわけではない。それは分かっていたのだが、もしかして、という気持ちがなかったと言えば嘘になる。やはり、虫の良い考えでしかなかったようだ。
 人の気持ちは、そう簡単に割りきれるものではない。
 彼等であれ、私であれ。
 私は、見納めになるかもしれない後ろ姿を眺める。
 誰もが私の脇を通りすぎていく。
 私はただ、それを眺めているしかない。
 さようなら、と去っていく足音を聞きながら、心の中で言う。
 おそらく、これから先、生きている間はずっと、多くの人に同じ言葉を言い続けなければならないのだろう。
 ふ、と急に、日本の家族の事を思い出した。
 あの人達には、別れの言葉もへったくれもなかったな、と苦笑する。そこで、「ああ、そうか」、と風が吹き抜ける心地があった。
 二度と会えない、という事実だけを見れば、相手が生きていようと死んでいようと同じなのだな、と気がついた。そこに違いが生まれるとすれば、相手に対するその人の気持ちだけしかない。
 一期一会。
 一生に一度限りと思って相手に誠を尽くす、という茶道の心得を思い出す。
 彼等に対して、私の中に誠はあったか、と訊ねられれば、苦笑いしか出ない。多分、今あるこの遣りきれなさは、そこにあるのだろう。しかし、誰に対しても常にそうあれ、というのは無理だ。茶会という区切られた時間内であれば、まだしも。そう出来る人間がいたとすれば、それこそ神の領域近くにいる者に違いない。
 ああ、なるほどね。
 相手への気持ちを情と置き換えれば、分かりやすい。
 どういう形であれ、関りがあった分だけの感情は湧く。ゼロという事はないだろう。
 見知らぬ兵士が死んだところで、死への嫌悪はあっても、その人に対する情はない。だが、知っている人物が死んだとすれば、持っている情の分だけの心の変化は否めない。
 ……そういう事か。
 では、私は美香ちゃんにどれほどの情があるというのか。
 可哀想だとは思う。でも、その可哀想さは、同じ人として、若くして不遇の死を与えられる事に対しての憐れみだ。同じ女性として、身ごもった生命を、どういう形であれ殺さなければならない事に対する嫌悪だ。それ以外は大して何もない。
 ……同じ女としてか。
 思い付いた言葉に自嘲する。もう、私には、女としての存在意義は失われているというのに。しかし、人としては? それすらも捨てるべきか。
 ひとでなし。
 ああ、こういう事か、と実感する。
 人としての存在意義を失うとすれば、あとは神か悪魔を名乗るか……いや、とうに私は魔女だった。
 白髪の魔女。
 人は私をそう呼ぶ。まるで、こうなる事を見越していたかのようだ。
 でも、どうなんだ?
 腹の子を守る為に大勢の人間を戦へ、死へと駆り立てようとする娘は、巫女と呼ばれている。例え、ここでランデルバイアが立たずとも、他の国々がいずれは立っただろう。
 それは、私から見れば、巫女と言うよりは鬼子母神。
 ……どちらにしても、ひとでなし、だ。なかなか、笑える。人外大魔境だ。ああ、だから、『聖戦』などという言葉も生まれたのかもしれないな。
 人である事を捨てざるを得ない者達が戦い続けるには、心を奮い立たせる為の大義名分が必要だ。己を善とし、人知を越えた聖なる使命によるものとする。やっている事は兎も角、よいキャッチコピーには違いないだろう。そういう考え方もあるか。
 ならば。
 今あるこの憐憫《れんびん》は捨て去ろう。迷いを断ち切ろう。
 大見えを切って正義を名乗りあげる事は私には出来ないが、果たしたい目的はある。
「キャス」
 いつの間にか、近付いてきたかウェンゼルさんに声をかけられる。
「いつまでもこんなところにいては、風邪をひきますよ」
 立ち止まったままの私を見兼ねたらしい言葉があった。
「ああ、はい」
「大丈夫ですか」
 いつもの問いがある。
「大丈夫です」
 私は答えた。
 そして、歩き始めた。暗がりに向かって。
 ひとりで。
 自分の足で。

 いつものように。




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